46 独白


 「彼女」が泣きながら部屋を去っていって、しばらく経った。


『ありがとう……これで、本当のことがわかった』


 礼など言われる筋合いはなかったし、「彼女」を相当傷つけたのであろうことは目に見えて明らかだった。


 少し前まで私に敵意さえ向けていた「彼女」に、どんな心境の変化があったのかはわからない。


 ただ、私の言葉が、私に歩み寄ろうとしてくれていたらしい「彼女」を手ひどく拒絶するものだったことは、自覚していた。


 でも、それならば、なんと答えればよかったのだろう。あれが、今まで私を突き動かしてきた原動力のすべてだったのだ。


 思考は自然と、「あの人」に出会った頃に戻っていく。




 あの人――桑子さんに出会ったのは、お互いがまだ義務教育の期間中の、幼い頃のことだった。


 他の当主候補も含め、全員がものの道理をわきまえられる年頃になってから一斉に引き合わされたわけだが、他の人間の第一印象は曖昧だ。


 桑子さんのそれだけが、鮮烈だった。


 視覚と触覚の共感覚。初めてこれに感謝したのも、この日かもしれない。


 桑子さんは、人生の中で一番、滑らかで柔らかい、優しい感触の人物だった。


 そしてその中身はといえば、もっと強く凛々しくて、それでいて人を思いやる余裕のある、将来の宗主として完成されているといっても過言ではないようなもので。


 惹かれないほうがおかしいくらいの、私にとって理想の人物だった。


 もちろん、お互いに婚約者がいるから、結ばれることは叶わない。


 それでも、あの人が宗主になって、私が当主になったそのときには、後見人として一緒に里を、一族を、支えていくのだと。それを心待ちにしていた。


 しかし桑子さんは、高校卒業後、大学に行くと言い残して行方をくらませてしまう。


 私は半狂乱になって、もてるすべてのものを使ってあの人を探した。


 それなのに。


 見つけたときにはもう、あの人は他の男と結婚して、子供を身ごもっていた。


 絶望、だった。あの人は、この里を、この一族を、私を――見捨てたのだ。


 その後、監視役からあの人が女の子を産んだという知らせが入る。そのときに、私の理性は壊れてしまったのだろう。


 手からこぼれ落ちた、あの人の面影を、その娘に求めて。私は計画を練り始める。


 幻影でもいいから、桑子さんが欲しかった。ただそれだけを思って、この18年間を、生きてきた。




『縹悟』


 ふと、名前を呼ばれたような気がして、私は思考の海から浮上する。


 しかし、部屋には自分ひとり。誰かが自分を呼ぶはずもない。


 空耳か、疲れているのだろう、と考えてゆるく頭を振ったところで、私はなにかがおかしいことに気付く。


 若かった、あの声は、果たして。


 記憶に残る「あの人」の声か、それとも、「彼女」の声か――?


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