第四章 過去という幻影

43 白の囁き

 ある夜、あたしは窓がコツンと鳴った音で目を覚ました。窓?


 布団の上で起き上がってそのまま窓を振り返ると、ぼんやり月の光に照らされて、窓の外の縁側に人影がある。灰色の羽織、後ろを向いた背中に長めの髪が流れて――。


「……れ、」


 練、だ。あたしは大声を出しそうになったのをどうにかこらえて、立ち上がって窓に駆け寄る。


 窓を開けると、もう冬も近付いてきた秋の夜風が入ってきた。練はゆっくり振り返る。


「この音量でお気付きになるとは、やはり能力が目覚めたという話は本当だったのですね」


「練、謹慎中なんじゃ」


「ええ。おかげで情報も入ってきませんし、今ここに至るまでだいぶ時間がかかってしまいました」


 白くて角っぽい練の声はあくまで淡々としている。


 あたしはここに忍び込んできたのであろう練の真意を知りたくて、そのまま話を聞くことにした。


「涼音様は、この一族の人間として生きていくとお決めになったと、そういう認識でよろしいのでしょうか」


「うん……あたしは、もう、逃げないよ」


「そう、ですか」


 練はふと知的な眼鏡の奥で目を伏せる。


「きっと、白道家の思惑についてもご存知なのでしょうね」


「そうだね。あたしと縹悟がいては白道家の思惑は達成されないっていう話だった」


「その通りです」


 あたしは練のどこか苦しげな様子が気にかかる。なにを、あたしに伝えたくて、ここに来たんだろう。


「そうやって貴女を騙そうとした、俺を信用できないと言われても仕方がありません」


「あたしは、練がなにを思ってあたしを逃がそうとしたのか、気になってた。本当に騙そうとしただけだったの?」


「…………」


 練は少し黙った後、首を横に振った。


「少なくとも俺は、本心から、貴女のことを可哀想だと思っていました。利用する形になったとはいえ、貴女の状況は過酷すぎる」


「……でももう、あたしは、この状況を受け入れるって決めた。練の心配は、もうなくても大丈夫」


 練はもう一度首を横に振る。そして、あたしの目を真っ直ぐ見つめてきた。


「信じられないと言われても構わない。けれど、俺はこれだけは言わなくてはならないと――そう思って、ここに来ました」


「な、に」


 練はそっとあたしの手を取る。お互い夜風で冷えた手が、ひんやりと重なった。


「宗主様が見ているのは貴女ではない。……あの人が見ているのは、桑子さんです」


「……!」


 驚くあたしを逃がすまいとするように、練は手を握る力を強める。


「貴女が宗主様に歩み寄ろうとしているという噂も聞きました。しかし、やめたほうがいい。なぜなら」


「……嫌、」


「宗主様は貴女を通して桑子さんを見ているから。貴女の思いとあの人の思いは、重なることはありません。貴女が無駄に傷つくだけです」


「っ……」


 思い当たるふしが、ないわけじゃない、のが、辛い。あたしは練にとっさに反論できなくて、突きつけられた情報に胸が痛む。


「そんなの……本人に聞いたわけじゃ、ないんでしょ」


「そうですが、彼の言動からしてその可能性はじゅうぶんに高い。傷つくのを厭わないのであれば、ご本人に確認なさってもよいかとは思いますが」


「…………」


 ずきずきと、胸が痛い。練は今にも泣き出しそうなあたしをふわりと柔らかく抱き締めた。


「宗主屋敷に、白道家の女中もいます。彼女に貴女がひとこと『ここから出たい』と言えば、白道家はその願いを全力で叶えるでしょう」


 練はそう囁いて、そっとあたしから離れる。


「俺個人としても、貴女が無駄に傷つくところは見たくないので。お伝えに上がりました」


「……考えて、みる」


「……貴女は、強いですね」


 練は微笑んでそう呟くと、縁側から立ち上がる。そして静かに歩き去っていった。


 あたしは寒い空気が入ってくることも忘れて、窓を開けたまま呆然と、頭の中を巡る練の言葉を繰り返していた。

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