42 糸と縹悟

 翌日。朝食を砂を噛むような気分で過ごして、それでも縹悟と一緒に言葉少なにご神木に祈りに行って、あたしは今日も客間に向かう。


「涼音、おはよ」


「おはよう、蘇芳」


 蘇芳の声は色が綺麗だから少し元気が出る。あたしはいつものように座布団に座って、でも思わずため息を吐いていた。


「元気がないな?」


「ちょっと、ね」


「なんだよ、おれに言えないことか?」


 蘇芳の声は明るい。あたしは蘇芳に少しだけ昨夜のことを話すことにした。欝々とした気持ちを抱えたままでいるよりはマシだろう。


「その……昨日の夜、縹悟にあたしを連れてきた理由について訊いたの」


「ほう」


「一族のことだけじゃなくて、縹悟自身にも、あたしを必要とする理由がある、っていうのは教えてくれた。でも縹悟はそこに、罪悪感みたいな……なにかを抱えている気がする」


 蘇芳は黙ってあたしの話を聞いている。


 あたしは昨夜の苦しさを思い出して、蘇芳の優しい空気もあって涙が出そうになる。


「縹悟はいつも、あたしと話すとき哀しい声をしてる。あたしはできるだけ気持ちに応えたいと思うのに、理由を教えてくれないから近づけない」


「…………」


「あたしは、もっとちゃんと、縹悟のことを知りたいのに。はぐらかされてばかりで、先に進めないの」


「そっか……」


 蘇芳は困ったように眉を下げた。


「でもたしかに、宗主様って涼音を自分から連れてきたわりに素っ気ないよな。まあ、もともとすっげー優しいってタイプの人でもないけど」


「うん」


「涼音がこうやって歩み寄ろうとしてるのに、煮え切らないんだろ? なんか変な感じだよな」


「うん……」


 あたしは蘇芳の言葉にうつむくしかできない。


「ま、落ち込んでてもしんどいだけだし。ちょっと外にでも出ようぜ!」


 蘇芳が突然、明るい声を上げた。座布団から勢いよく立ち上がる。


「蘇芳?」


「ほら、早く」


 蘇芳が差し出してきた手を取って、あたしはおずおずと立ち上がる。そのまま流れるように、屋敷の外に連れ出された。




 蘇芳に連れて来られたのは、手芸全般を扱っているという大きな手芸店だった。


「ここ、おれのお気に入りなんだ。裁縫の材料とかよく買ってる」


「へえ……」


 入ってすぐの展示に綺麗なビーズのネックレスがあって、たしかに気分転換にはちょうどいいかもしれない。


「涼音は手芸でいうとどんなのが好き?」


「あたし、家庭科あんまり得意じゃなかったんだよね……」


「苦手でもいいんだよ。ま、とりあえずじゅんぐりに回るか」


 ビーズアクセサリーの材料がきらきらする通路を抜けて、レジンの材料まであって、もこもこした毛糸の山を通り過ぎて、布がカラフルに飾ってあって、最終的に刺繍糸のコーナーにたどり着く。


 蘇芳がおもむろにひと束の刺繍糸を手に取った。手の中で転がしながら、視線を落とす。


「糸ってさ。縫ってるとけっこう絡まるんだよな」


「うん」


「ごっちゃごちゃになって、きつく締まって、もうどうしようもないかなってくらいになることもある」


「……うん」


 蘇芳はなにを言いたいんだろう。あたしはじっと続きを待つ。


「でも、辛抱強くほどいてやると、結局は一本の糸に戻るんだよな。――おれは、人間もおんなじだと思ってる」


「……!」


「涼音のやってることは、無駄にはならないよ。宗主様もけっこう頑固な人だから大変だろうと思うけど、きっといつか、ほどける日がくると、おれは思う」


「……うん……」


 蘇芳は蘇芳なりに、あたしを励まそうとしてくれている。それが伝わって、あたしは目頭が熱くなるのを感じた。


 大丈夫。あたしが諦めさえしなければ、きっといつか。

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