30 もう逃げないということ

 朝食が終わると、昨日からまた蘇芳が来ている。昨日は正直なにを話したかも曖昧だけど、今日はどうしたものか。


 客間のふすまを開けると、先に来ていた蘇芳がニカッと笑った。


「おはよ、涼音」


「おはよう」


 蘇芳は部屋に入るあたしをちょいちょいと手招きする。あたしは座布団に座って、小首を傾げた。蘇芳は右手を差し出してくる。


「涼音、手ぇ貸して」


「こう?」


 言われるまま右手を差し出すと、蘇芳はぐっとあたしの手を握る。数秒そうしたあと、ほう、と呟いて手を離した。


「蘇芳?」


「ん、昨日様子がおかしかったからどうかなと思ったけど、むしろいい手触りって感じ」


「ああ……」


 やっぱりバレてたのか。あたしは思っていることを隠すのが下手らしい。


「実は、昨日は練に逃がしてあげましょうかって言われてたの」


「……へ!?」


 驚いて身を乗り出す蘇芳を、あたしは両手で押しとどめる。


「縹悟にバレてて、無理だったけど。白道家の思惑の話も聞いたし、蘇芳の家にだってなにかしら思うところがあるんだろうっていうのもわかった」


「…………」


「あたしは、もう逃げないって、受け身にならないって決めた。今の、この現実から」


「……そっか」


 蘇芳は優しく笑みを浮かべる。


「赤道家は『なにも知らない涼音に重責を押し付けるのは筋違いだ』みたいなのが今の主張なんだ。涼音が納得したなら、それでいいんじゃないかな」


「ありがとう」


「そっか、なんかもやもやしてたのを吹っ切ったからすっきりした感じになってるのな。理解したわ」


「……そんなにあからさまにわかるもの?」


「能力使わなきゃわからないよ。見た目は普通」


「ちょっと、安心した」


 昨日から今日にかけて大きく心境が変わったのは確かだけど、それが丸わかりだったらちょっと恥ずかしい。蘇芳はあたしが胸を撫でおろしたのを見て小さく笑った。


「受け身にならないといっても、なにかこれがしたいとかある?」


「そこまでは、あんまり思い付いてないんだよね」


「それこそ高校に通ってみるとか」


「……そこまではいかなくても、この里のことをもう少し知りたいかな」


「ほうほう」


 あたしの話を聞いた蘇芳は、袂からスマホを取り出す。なにやら操作し始めた。


「じゃあみんなで里をぐるっと一周でもしてみようぜ。ひとつの里だけど一応それぞれ家の領地とかあって、知ってる場所が違うんだよな」


「……もしかして、呼び出しかけたの?」


「うん。行動は早い方がいいだろ? 練は仕事だしなにするかわかんないから外したけど」


「早すぎて、心の準備ができないかも……」




 昼過ぎ、集まった晃麒と鳶雄にも事情を話して、偶然今日が誕生日だった鳶雄を祝ったりなんかしたあと、宗主屋敷が持っている車で里を回ることになった。


 運転手がついて、助手席が蘇芳、後部シートに左から晃麒、あたし、鳶雄と並ぶ。……ちょっと、せまい。


「どこから行く?」


 蘇芳が後ろに身を乗り出すと、鳶雄が丸眼鏡の奥で目を細めた。


「そんな乗り気な蘇芳の庭から行けばいいんじゃないかな」


「お、じゃあ赤領せきりょうから!」


「承りました」


 蘇芳の言葉に運転手が応じて、車が走り出す。


 赤領はその名の通り、赤道家の領地という意味で、里の南側のことだった。


 晃麒と蘇芳の通っている高校の横を通りすがってもらって、改めてこの里の規模を感じる。


「どの領にどの施設があるかっていうのも五行思想で決めてるらしいんだ。仁・義・礼・智、あれ、あと一個なんだっけ」


「信だよ、蘇芳にい。赤は礼で、礼儀が大事だって意味で中学と高校がある」


「うっわセリフ盗られた」


 次は里の東側の青領せいりょう。仁の意味で大きな病院がある。表向きは私立の大学病院という扱いらしい。


「たまにどこから調べたのか、里の外から受験したいって人が書類提出してきたりして大変らしいって話を聞くよ」


「……落とすの?」


「……だろうね。可哀想だけど」


 あたしは鳶雄と苦笑しあった。車はどんどん進んでいく。


 次は里の北東、ひとつしかない出入り口に近い黄領おうりょう。信の意味で幼稚園や小学校がある。


「もしかして涼音おねーさんの能力が開花したら小学校からやり直し?」


「あー、可能性はある」


「たしかに」


 晃麒の言葉に頷くふたりに、あたしは驚く。


「そんなに早くから能力が現れるの?」


「小学生とかいったら全然制御できない頃だけど。言ってみればおねーさんはまだ能力が現れてない幼稚園生みたいなもんだもんねー」


「…………」


 なんともいえない気持ちになったのは、晃麒には秘密にしておこう。


 次は里の北側、黒領こくりょう。智の意味で、図書館や資料館がある。


「……調べ物するのに、よさそう」


 あたしが呟くと、蘇芳が肩をすくめた。


「宗主屋敷にも資料ならたんまりありそうだけどな? それこそ里の一般人には見せられないようなやつとか」


「それをあたしにほいほい見せてくれるかは、話が別でしょ」


「それはうーん、たしかに」


 最後は里の西側、白領はくりょう。義の意味で、役所のたぐいがひとまとまりになっている。


 なんとなく、全員が黙り込んだ。練のことを考えているんだろう。


「……練にい、帰ってきたら謹慎かなあ」


「帰ってこさせてもらえないかもしれないね」


「怖いこと言うな、鳶雄……」


 そんなこんなで夕方、宗主屋敷まで帰ってきた。婚姻の儀のときにざっと見て以来だけど、3人の解説付きだったからかなり理解は深まった気がした。


「今日は、ありがとう」


 あたしは3人に頭を下げる。彼らはそれぞれ首を横に振った。


「涼音の役に立つのがおれたちの仕事だし」


「なんだか吹っ切れたみたいでよかったよ」


「おねーさんとドライブ楽しかったー」


 快く返してくれるみんなに、あたしは気持ちが前向きになるのを感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る