25 白の誘い

 翌日。部屋の外からかけられた声であたしはまどろみから浮上した。


「涼音様、体調が悪いとうかがいました」


 練の声だ。今日から練と話をすることになっていたんだっけ。


「……大丈夫、とは言えないけど」


 横たわったまま答えると、練は中に入らないで会話することにしたようだった。


「食事もろくに摂らずに床に伏せっておられると聞いて。心配することしかできませんが」


「ありがとう。その……ちょっとお腹が痛くて」


「ああ」


 練はすぐに納得したような声を上げる。……そういえば、彼には奥さんがいるんだっけ。


 ちょっとどころかねじ切れそうな激痛を訴えるあたしの下腹部。


 練の予想はたぶん半分当たっているようで当たっていないんだけど、今する話でもないからあたしはなるべく元気な風を装う。


「明日にはたぶん、話ができるようになると思うから……そのときは、よろしく」


「ええ。ご無理なさらず、お大事になさってください」


「……うん」


 練は失礼しました、と言い残して、その場を去っていったようだった。あたしはため息をつく。


「……全部、夢だったらいいのに」


 激痛と倦怠感。あたしはまた、不快な夢が支配するまどろみの中に、落ちていく。




 さらに翌日。痛みはだいたい引いたし、つるばみの許可も下りたし、朝食後に小紋を着付けてもらう。


「でも昨日の今日ですから、ご無理はいけませんよ」


 着付けながらのつるばみの言葉に、あたしは少し微笑ましさを感じてしまう。


「わかってる。ありがとう、つるばみ」


 着付けが終わって客間のふすまを開けると、練が座っていた座布団から腰を浮かせた。


「もう、大丈夫なのですか」


「だいたいは。昨日はありがとう」


「いえ……俺の妻も毎月辛そうですから」


「…………」


 やっぱりあたしの予想通りの誤解をしているらしい。あたしはどう言ったものか悩みながら練の前に置いてある座布団に座る。


 男の人にこの話をするのは抵抗があるけど、でも、誰かに聞いてほしい。


「実は、その……昨日のあれは、月のやつじゃないの」


「え?」


「体が……受け付けなくて」


「受け付けない、とは」


「その……入った、ものを、流そうとして、ああなるの。最初の夜のときも、顔合わせが終わってから急に体調が悪くなって」


「……!」


 練はようやく意味がわかったように口元を押さえる。なにをどう表現したものか悩んでいるようだ。


「こればっかりは、あたしの気持ちの問題だから、あたしが頑張るしかないんだけど……」


「……やはり、こんなことはいけません」


 練はたっぷり間を置いて、重々しい口調でそう言った。


「貴女がそこまで辛い思いをせねばならない理由がない。……逃がして差し上げます」


 あたしは自分の耳を疑った。逃がす? あたしを?


「待って。でも結局また誘拐されるんじゃ」


「俺がそうならないように工作をします」


「それに、あたしが逃げたらそれを逆恨みしておじいとおばあを殺しに来る奴がいるって」


「そんなのは宗主様の妄言でしょう」


 練の表情はいたって真剣だ。あたしは暗闇の中に一筋の光を見たような気がした。


「……本当、に?」


「本当に。……ちょうど来週の頭に里の外に出る仕事がありますので、その車に乗せてお送りします」


「本当に、そんなことができるの……?」


「できます」


 練の声は力強くあたしの心を打った。思わず涙が出そうになる。


「じゃあ……お願い。あたしを……助けて……」


「任せてください」


 練は手を伸ばして、あたしのにじんだ涙をぬぐってくれた。

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