89話 Message for you
温かい空気を逃がさない造りで冬は快適だった竜の巣も、今は蒸し暑く住めたものではない。ただ入り口付近は風通しがいい日陰になっていて快適だ。
二人はそこで鍛錬の疲れが取れるまで、のんびり横になっていた。
「少しは退屈が紛れた?」
「うん」
「やっぱ本気で身体を動かすのはいいな」
「だね」
リオはそっけない返事。イルクに背を向けて横たわっていて、表情は見えない。
まだ不機嫌なのかなとイルクが思うと同時。
「退屈は苦手だから、助かった。退屈だと彼の状態が届きやすくなるから……」
「あ? ああ」
リオがぼそっと呟いた。
『彼』とはなにを指すかは明白だ。イルクはリオの背に問う。
「ノアは、どうしてる?」
「体調は良好であると思う。大切にはされているはずだから」
「身体はそうかもだが、心のほうは?」
「普段は弱い感情はさほど届かないんだ。お腹すいたとか眠たくなったとかいちいち届けられても困るし。でもこちらがなにもしていないほど、どうでもいい感覚までもが伝わりやすくなる」
「どうでもいいって、お腹すいたとか?」
「それは例えであって……大抵は、ただただ陰鬱なそれ。僕もつられて落ち込んでしまう」
「そっか」
リオは久しぶりにノアとの繋がりについて口にした。
せっかくの機会。ずっと抱いていた疑問を投げる。
「あいつも同じように、お前の状態を感じ取れるんだろうか?」
「きっとそのはず。僕が怪我したら彼も痛がっていたものね」
「じゃあ例えば、腕とかを文字の形にひっかいて、あいつに文章を伝えたりはできないのかな」
「以前やってみたことがある。でもあちらからは無反応。伝わらなかったのか、無視なのかはわからない」
「そっかー」
まあ俺が思いつくことくらいやってるよな、とイルクが息を吐くと、リオが身体を起こしてイルクのほうに向いた。
「彼に伝えたいことがあるの?」
「ああいや、もし連絡ができれば作戦の幅も広がるって思ってさ」
「協力なんてしてくれなさそうだけれど」
「それもそうか」
イルクも身体を起こす。
疑問は解消されたが、新たな疑問が生まれた。
いったいリオはそのときノアになにを伝えたんだろうな。
だが他人がそんなことを訊くのは不躾だとも思い、触れるのは止めておく。
「ともかく落ち着いたらまた街歩きに行こう。アルマは誘えないとして、エリスは呼んでもいいか?」
「もちろん構わない。社交辞令ではないよ」
「あ、まだ怒ってる? ごめんな」
「念のためだよ」
リオは笑顔で立ち上がり、イルクに背を向けて竜の巣の内側へと歩み始めた。
「もう一戦しよう。武器、新しいのを選んでくる」
「あ、俺も行くよ」
イルクはリオを追う。
竜の巣の奥は夏の熱気と湿気がこもっていて、汗が噴き出る。
武器置き場に行く手前、巣の中心に置かれているドラゴンの卵が視界に入った。
そういえば卵はいつか孵るんだろうか? もし孵ったらどうするんだろう?
イルクは漠然と思った。
◇◇◇
広間の中央にかつてのミサの客用だった長机が集められていて、上に仰向けに並べられた人型の物体が二つ。周辺にはうっすらと白い
しかしあれがなにかという思いよりも、もっと重要な疑問があった。
ノアは広間の扉を守る衛士に問う。
「ここに来るよう母上に命じられたのだが、いらっしゃらないのか」
「陛下は今、私室に戻られております」
呼びつけておいて不在なのかと嫌悪感を強くしつつ、もうひとつの疑問を晴らすために広間に入る。
長机に近付くことで、上に置かれた物体が防腐処理のため凍らされた見知らぬ人物の死体だと判った。
「これはなんだ」
「ポートラヴィ北側外郭にて発見された、エレクファレリア帝国兵と思われる者どもでございます。宿屋に残されていた所持品により勇者を捜索中、もしくは勇者そのものの可能性もあります」
「勇者?」
死体は男と女。
男には頭部がないが、あのとき会った勇者とは明らかに体格が違う。
ノアは男の横に置かれた二人の所持品を見た。
汚れた大剣と魔法の杖はきっと二人の使用武器。汚れていない美しい剣の横には封書。身分証に書かれた名前はベイナーズ・グロンディンとサミーナ・トロス。
勇者家系の苗字はアイベリルのはず。
グロンディンはエレクファレリア帝国の地方豪族の苗字のひとつ。トロスはおそらく庶民か。二人とも勇者どころかその傍系でもなさそうだ。ただのエレクファレリアの兵士だろうな。
しかし男は首を落とされ、女は背を深く斬られ……仮にも皇帝勅命を
……いや、これは、どういうことだ?
男の頚部からあいつの気配を感じる気がする。
さすがに気のせいか?
その感覚は正しいものだったがノアにそれ以上のことを知る術はなく、次に封書を手に取る。
封は切られている。裏に押された封蝋の紋様はエレクファレリア皇帝勅命を表すものだ。中の紙を取り出し開き見た。
『勇者たるアイベリルの子に命ず。悪しき女帝を討て。しかし今は力を蓄えるべきときだ。この聖剣で己が腕をさらに磨くがいい。良き知らせを期待している』
皇帝勅命にしては覇気の感じない内容だな。
そう思ったとき、ノアは衛士の緊張を感じ取った。同時に足音。
身体硬く最敬礼をする衛士の前を見た目だけは美しい女が素通りする。
「お前はどう見る?」
女帝イメリアは前置きもなく、目の前のものについて問うた。
グロンディンが豪族の苗字だとかは、かつてヒューイなど一部の部下に密かに行なわせていた各種調査で知った知識だ。余計なことは口にしないよう、慎重に答える。
「勇者の名はここに書かれているとおりアイベリル。男も女も少なくとも勇者ではなく、勇者と合流予定だった者たちでしょう。勇者が我らが帝国に侵入していること自体に不思議はなく、合流する前に何者かに殺された。しかし首を落とすなどはやり口が過剰に思います。ポートラヴィ外郭で発見された死体とは聞きましたが、手を下した者は判明しているのか、不明ならば目撃者などがいなかったかなど知りたく思います」
「その程度か?」
「私には死体の過去や物体の由来を読む力は無きゆえ、これ以上は解りません」
ノアは嘘ひとつない、差し障りのない見解を述べた。
――この死体はなんだ。リィゼリオと勇者、あのあとどうなったかわからない二人の存在を匂わせる死体。
あれだけ脅しておいたのに彼らはなお接近してきてきているというのか……?
そんな疑問を抱いていることは決して表に出さず、ただノアはこれを見せつけた女帝の真意をはかる。
「そうか。まあ解らぬともよい。ただ面白いモノが搬入されたので見せたかっただけだ」
女帝は笑む。
わざわざ呼びつけたのはただの戯れのようで安堵する。
「手を下した者は見つかっておらぬ。死の直前と思われる時間帯、酒場にて男が深酒をしていたという目撃情報はあったがそこまでだ。現地の調査員は手練れの暗殺者の仕業ではないかと結論を出したという」
「暗殺者ですか。それも、こちらには情報のない?」
「うむ、不思議なほどに手がかりがない。腕のいい
ネクロマンサー。
ノアはオアシス・レーヴに置いた転移の魔法石を探すよう命じられた男を思い出し、意識しすぎて彼に触れないのも不自然だと判断した。
「以前ガトリア最上位のネクロマンサーが仕官を希望してきませんでしたか。彼はどちらに」
「あの者は死んだよ。その犯人も見つかっていないな」
「……知りませんでした」
「お前に伝える必要もない些細なことよ。ああそうだ、お前は死霊術を会得してはいないか」
「母上は死霊術をお嫌いになっていると聞き、学習を避けております」
「そうか。ならばもう自室に戻ってよいぞ。私は今からこれらで遊ぶとしよう」
「はい」
今日は自分が弄ばれることなく解放された。
ノアは物言わぬ兵士二人に感謝しつつ広間を出た。
あれは新鮮でない死肉も食うのだろうか?
それとも呪いでもかけてエレクファレリアに送り返すか。
あの剣、聖剣と呼ぶわりにはごく普通の剣に思えたが……確実に呪いの剣とされるだろう。もし勇者が手に取ってしまったらどうなるだろうな?
そういえば勇者は槍使いだったか。
ならばリィゼリオが手にしたら……さすがにあいつならば呪いに気付くか?
あいつらがここに向かってきているか知らないが、くだらない罠にかかりはしまいか……?
自室に帰り、ノアは腕を見る。
かつてリオは自らの腕を引っかいて、痛みで文字を、文章を送ってきた。
同じ手段を使い、警戒するよう連絡を……
いや。
そんなことが可能だとあいつに知らせ、文通でも始めたいというのか。
愚かしい。
思い直し、溜息をつく。
こうして静かにしているとお前がどうしているか。僅かに伝わってくる。
最近は意外と楽しくやっているようだね。
いいことだ……羨ましいよ。
一緒にいるのは勇者か?
もしそうならば、付き合う人間はもう少し選んだほうがいいな。
以前、お前がメッセージを送ってきて。
もしもいつか、どういう形かでお前と出会うことがあるならばと考え始め。
どんな状況でも醜態など晒さないよう、私は死の直前まで正気であろうと誓った。
おかげでこれまで狂人にならないで済んでいる、はず。
感謝はしないといけないな。
短文しか送れなかったとはいえ、あまりに直情的な言葉には……馬鹿な奴だとは思ったけどな。
『待っていて。愛している』
残りカスなんかに向かって、本当に馬鹿な奴。
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