85話 前領主
ルクスは一人、ニュータウンの南端にある宿屋で過ごしていた。
直接ポートラヴィの前領主に会うことは許されず、祖父の手紙は兵士が届けることとなった。返事が必要だと告げたら滞在している場所を教えろと言われたので適当な宿を取り、おとなしく待機しているところだ。
手紙を兵士に託したのは昨日。
そろそろ手紙も届くだろう。
いずれ来るのは前領主からの返事か、怪しい者を拘束するための兵士か。
毒をいつでも飲めるよう、ビンを長袖の内側に仕込んでいる。
勇者殿のために殿下のために、どうかこれが役に立つことがありませんように。
ルクスは窓越しに見える、青空に浮かぶ白い半月に祈った。
◇◇◇
白髪の老人は上質な革張りの椅子に深く座り、机の上の書類に目を通していた。
老人はポートラヴィ前領主シオン・カルセドリス。
領主の座を下りて久しいが、未だ体力も知力も衰えを見せない。背筋を正し、自らの館の収支に問題がないか確認する。
ふと気付くと、窓から見える空に薄く昼の月が見えた。
あの月に今のこの
そんなことを思っていると、部屋をノックする音が聞こえた。
「なんだ」
扉が開き、使用人が頭を下げる。
「失礼いたします。旦那様にお手紙なのですが、お机までお届けしてもよろしいでしょうか」
「手紙? 誰からだ」
「それが無記名でございまして」
「ならば中身を確認しなさい」
「それがどうしても親展とさせていただきたい手紙だと……手紙を封している紋を旦那様にお見せすればわかっていただけると言われまして」
「封か……どこぞの貴族からか」
「美しい封がなされておりますので、おそらくは。しかしこちらで調べる限り、全く記録のない紋様でして。魔法使いに調べさせました結果、怪しげな術はかけられておりません。どういたしましょう」
「――仕方ない。持って来なさい」
「承知いたしました」
丁重にシオンに渡される手紙。
軽く、便箋以外の不審なものは入っていないと感じる。
表に書かれた宛名は『ダムダラヴェーダ帝国子爵 シオン・カルセドリス閣下』
どこか見覚えのある手書き文字。
裏返す。確かに無記名。だがそこにあった封蝋の紋様で、若き日の記憶が蘇った。
「これは……!」
シオンの顔色が変わる。
若き日の自分が兄のように慕っていた、エヴァーディル男爵家のケイザードという男。彼からの手紙にいつも押されていた封蝋の紋様。かつて勇者との戦乱で滅ぼされ、歴史から消え去ってしまった貴族家の紋様が、そこに。
「あ、あの、旦那様。いかがいたしましたか」
「いや、問題ない。……中を見よう」
戸惑う使用人。
シオンは表向き冷静を装い、丁寧に封筒の端を切って、便箋を取り出した。
『ケイザード・エヴァーディルより 親愛なるシオン・カルセドリスへ』
最初の一行で、眩暈。
だが冷静に冷静にとひとつ深呼吸したのち、ゆっくりとその先を読んだ。
『久しぶりに貴殿に手紙を書く。
まずはずっと連絡ができなかったことを詫びたい。
我がエヴァーディル家のあったディルフォレスト一帯が先の戦乱にてエレクファレリア帝国支配下に落ちたとき、私だけが死に損なって捕虜となってしまった。本来ならば私もエレクファレリア帝国に引き渡されて死罪となったところであろうが、当時の勇者の計らいで秘密裏に現ディルイベリル共和国の保護下に置かれ、これまで生を許されてきた。
ディルイベリルへの恩義もあり本国に生存を知らせることができず、貴殿にすらもこれまで連絡をためらっていた。不義理な私をどうか赦してほしい。
保護下の私は、あるディルイベリルの一般の女性と出会い、一人娘を儲け、そして孫までも手にすることができた。祖国に帰れぬ不自由はあれど、幸せな人生だった。
貴殿はどうであっただろうか。幸せに暮らしていると信じたい。
さて、この年になって今更手紙を書いたのは、私の命が残り少なくなったからだ。この手紙を貴殿が見るころにはもう私はこの世にはいないであろう。
幸せな人生だったと書いたが、ただひとつ、思い残すことがある。
孫のことだ。
孫は今、ある組織と関わっている。
それが我らの祖国を善くすると信じて、理想に燃えている。
しかしそれがなにを意味するか目標とするか、貴殿ならば理解できるだろう。貴殿の管理する領内を通らねば理想を阻む者の足元にすらたどり着けないことも。
貴殿の立場上、手助けをしてほしいなどと軽々しく言われても困るだろう。
だがもしも、孫たちの祖国を想う心に理解を示すならば。
この手紙を届けた者の話を聞いてやってほしい。
話すらも聞くべきでないと思うならば。
そっと手紙を閉じ、ただ故郷に帰るよう、手紙を届けた者に説いてほしい。
できることならば、シオン、最期に貴殿と直接話をしたかった。
こんな一通の手紙で一方的な願いを投げて、心から申し訳なく思う。
貴殿にとっての最良を選んでほしい。
私は一足先に、安寧の地へ。
いつか再会できることを。』
「……ケイ」
そばにいる使用人にも聞き取れないほどの小さな声で呟くシオン。彼の手は便箋が小刻みに揺れるほどに震えていた。
「旦那様、どういたしましたか」
使用人は不安な表情を浮かべて問いかける。
シオンははっと顔を上げ、使用人に告げた。
「これを持って来た者を呼びなさい」
「は、はい」
しばし手紙を見返しながら待つ。心臓が高鳴る。
だが使用人とともに現れたのは見慣れた警備兵の制服。
「お呼びでしょうか。カルセドリス卿」
明らかに手紙に記された『手紙を届けた者』ではない。
シオンは無表情で、問う。
「……この手紙は、どこから来た?」
「はい。オールドタウン北部関門に卿宛ての手紙を届けたいと申し出た者が現れてでございます。身分が確認できない者であったため、自分が手紙を預かり、参じました」
「つまりその者は今、ニュータウンにいるのか。よもや追い返してはおらぬな?」
「はい。手紙の返事を聞きたいと申すので、連絡がつく場所で待機するよう命じております」
安堵した。
その安堵を顔には出さないまま、シオンは兵士に命じた。
「その者を至急、ここに連れてきなさい」
「承知いたしました」
「もちろん客人として、丁重にだ」
「わかりました。では失礼いたします!」
兵士は敬礼し、退室した。
至急と言われたため早足で立ち去る足音が聞こえる。
「……お前も通常業務に戻りなさい」
「はい」
不安げにしている使用人も退室させ、シオンは窓から遠くを見る。
そのうち現れる者はケイザードの孫か代理か。心は
手紙に書かれた内容の不穏さよりも、ただ会ってみたかった。
死んだと思っていた友の、忘れ形見に。
◇◇◇
翌朝。
宿屋の窓の下に軍の馬車が止まるのが見えた。
ルクスは唾を飲み込み、自らの袖の下に確かに毒があるかを確認をする。
だが現れた兵士は拍子抜けするほどに腰が低く。
「フォレスター殿、先日は失礼いたしました。ポートラヴィ前領主カルセドリス卿より、客人としてお迎えするよう仰せつかってまいりました」
「……ありがとうございます。すぐに宿を出る準備をいたします」
「はい。それではわたくしどもは宿を出たところにある馬車で待機しておりますので、準備ができましたら馬車までおいでください」
カルセドリス卿は未だ祖父を好意的に覚えていてくださっている可能性が高い。
だからと言って心を許しすぎないよう、油断はせぬようにと、ルクスは気を引き締めた。
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