84話 街歩き
腰バックだけつけたイルクと、口周りにスカーフを巻いて護身用の素朴な銅の剣を腰に下げたリオ。二人は素朴な石畳を並んで歩いていた。
「丸腰なの?」
「街中で槍は邪魔だろ。ナイフを懐に入れてるが、それだけ」
「ふうん。身体が大きいと他人から絡まれにくくていいね」
「そうなのかな。てかお前は絡まれるってこと?」
「ここに来たころは随分と。アルマ狙いで近付く人も多かった」
そう会話している間にもリオを見て慌てて姿を隠す大柄な男。すっかり教育が行き届いているなとイルクは感心する。
「アルマと言えば、本当に夕食はいいんだろうか」
「総菜がまだ残っていたから大丈夫」
「前の日のかよ。そんなんでいいのか?」
「いつもそんなものだよ。明日の朝のぶんを含めたパンは買って帰るつもり」
「なんか申し訳ないな」
なぜ二人が貧民街の通路を雑談しながらのんびりと歩いているかというと。
ルクスの作戦行動の伝達とクリストファーの移送というイルクの役目が終わったのは陽が天頂から少し傾いたころ。そのあとイルクはリオとアルマを街歩きに誘ったのだった。
エリスから「リオくんには娯楽を教えないと」と言われ、アーディンから「とりあえず食べ歩きにでも誘ったらどうだい」と言われ、クロケットから「君ももっとオールドタウンに歩き慣れておくべきだからね」と言われ、ヒューイからは「ルクスさんの結果が最悪であってもギリギリ今日くらいまでは安全に出歩けるでしょう」と不穏なことを言われ――だったのだがアルマからは丁重に断られた。
結果リオだけ半ば無理やり引きずり出しての今だ。
「そもそも姉……が一緒だと人が集まってしまい、街歩きどころじゃない」
「やっぱりそうなる?」
「歌を聴きに来る客、ファンっていうのかな、に強く当たるとあとでお店の人に注意されるし」
「お前が他人からの注意を気にかけるとは」
「その程度の社会性はある」
そんな話をしながら十字路を横切る。
横に走る通路の先。目の端に人影が映ったかと思うと、それは「あっ」と小さな声を上げてこちらに早足で駆け寄って来た。
「こんにちは。今日はお二人ご一緒ですか」
挨拶してくるのは隻腕の男。
「こんにちはサイモンさん」
「あ、こんにちは」
リオの返事でイルクは忘れかけていた名前を思い出す。
キャメロ派遣商のサイモンと名乗った男だ。
サイモンは腕のあるほうの肩に大きめのショルダーバッグを下げている。
彼は片手でショルダーストラップを整えながら、笑顔で話し始めた。
「最近あなたたちの家に行けていないですが、どうですか、家に不備はないですか? 水漏れとか、虫がわいたりとか」
「問題なく快適に過ごしています」
「それはよかった。なにかあったら大家にではなく仲介してる私たちにご相談を」
「ありがとうございます」
神妙に対応し、頭を下げるリオ。
その程度の社会性はあると自認するだけあるなとイルクは思う。
サイモンはバッグを軽く叩いた。
「今日はですね、このずっと先の教会に仕事を持っていくところなんです。貧民街の孤児たちが大人になったとき真っ当な仕事ができるよう、練習用にね」
「教会の孤児?」
孤児と言われ、イルクはふと思い出す。
自分はポートラヴィの貧民街にある教会で育ったんだと語っていたハウワードのことを。
「ええ、孤児院をやってる教会がありましてね。子供のうち亜人種の子が六割、そのほとんどが迅雷一族とかいう珍しい孤児院なんですけれど……ああ、迅雷とか言われてもわからないかな」
「いやわかるよ。鷹の人達でしょ」
「へえ、正式名称を知らない人のほうが多いのに博識ですね」
「友達に迅雷の人がいるんだ」
「それはそれは」
嬉しそうに頷くサイモン。
イルクは友人がそこ出身かもしれないなどの余計な情報は口に出さず、サイモンの話を聞く。
「迅雷は奔放な性格の子が多く、性格と翼を生かした特殊な仕事が向いています。なのでそういう仕事もあるんだよっていうのをあらかじめ教えておいてあげないと、のちに孤児の再生産になりかねないので……このカバンの中身、ニュータウンやバックサイドあての手紙や小包なんです。子供のうちに簡単で安全な郵便の仕事を試してもらって、例えばこうやって生きていく道もあるんだよって教えてるんです」
ショルダーバッグを優しくなでながら説明する彼はいかにも篤志家。
リオが彼はある程度信用してもいいと言うだけあって、イルクから見ても善人に思える。
「もちろん店番とか、普通の仕事を選んでもいいんですけどね。可能性の提示です」
「いい活動だ」
「はは、そう言ってくれると嬉しいです。それでは私はこれで」
「気をつけて」
「お疲れ様です」
サイモンは頭を下げて十字路を北に進み、イルクとリオは西、大通りのほうに歩き始める。
「いい人だな」
「お世話にはなっているね」
サイモンとの距離が充分になり、リオが問うてきた。
「迅雷の友人というのは、兄の友人だった人のこと?」
「そうそいつ。ポートラヴィの教会で育ったと言っていたから、サイモンさんが向かってるところが出身地かもしれないな」
「ならばその人の話題は今後出さないほうがよさそうだね」
「そうだな。あいつはここへんの出世頭っぽいし、『処刑』されていることを知っている人もいるかもしれない」
「うん」
そろそろ貧民街を抜ける。
大通りに近いほどに住まう人は貧民やならず者ではない普通の市民。リオの顔を見ても軽く挨拶するか頭を下げる程度で、恐れたり警戒したりする様子はない。
「ここへんまでくればビビられてなさそうだな」
「まあね」
街を南北に貫く大通りに出た。
離れたところにこの前酒を買った店が見える。
少し気にはなりつつも未成年のリオを連れて行くわけには行かず。
「どっか行きたいとことかある?」
イルクはとりあえず希望の行き先をリオに訊くが、リオは問い返す。
「君が行きたいところがあっての街歩きなのでは?」
「いやあ……俺はうろうろ見て回って気になる店があれば入りたいってだけだし、なんか用事があったらまずそっちに行ってもいいかなって」
「あてのないものだったの?」
「そう。偶然の出会いに期待みたいな」
「ふうん?」
リオは目的もなく歩き回るという行為が理解できないと首を傾げ、それならばと希望を言う。
「ならば……いつも魔法理論書を買う店に行ってもいいかな」
「もちろん。案内して」
「こっち」
そしてたどり着いたのは古書店。在庫はどれもこれも専門書のようなものばかり。店番はいない。価値のありそうな本が多いのに不用心だなとイルクは思う。
リオは勝手知ったる様子で奥に向かう。
イルクも中に入り、背表紙のタイトルを適当に見回す。
「どれもこれも難しそうだ」
呟くイルクに構わず、リオは一冊手に取りぱらぱらとめくって棚に戻すを数回繰り返す。
やっと客の気配に気付いたのか、奥から人の良さそうな老人が顔を出した。
「おやおや君だったか。いらっしゃい」
「勝手に見せてもらっています」
「今日は連れもいるのかい。珍しいね」
「……そうですね」
あれだけ毎日魔法理論書を読み漁っているのだ。当然の常連客扱い。
「お連れのかたも自由に見ていってくださいね」
「ああはい」
イルクも声をかけられたが、専門書など自分には縁遠いと生返事。
しかし背表紙を眺めていたら目についた書物があった。
『観葉植物全集』
そういえばエリスがアーディンに店の周りを植物で飾ってくれと言われていたはず。手に取り中を開くとイルクとエリスの故郷レオングラードでは見かけない花や木の名前や特徴、育てかたが載っていた。
「これ買おうかな」
「なぜ植物図鑑?」
「そのうち店にする建物を手に入れたらエリスが園芸担当することになってるんだ。お土産にいいかなって」
「ふうん」
「お前も買うの決まった?」
「めぼしいものはもうないかな」
「そっか」
イルクは老人に「これください」と本を見せ、代金を支払う。
そのあと老人はリオに視線を向けた。
「おや、もういい本がなくなってしまったかい?」
「すみません」
「いやいや謝るこたないよ。また来ておくれ。読み終わった本を売りに来てくれてもいいよ」
「ここで買ったものを戻しに来てもよいのですか」
「うちも商売だから売った値段よりずっと安くはなるけどね。本棚に眠らせておいて二度と読まないくらいなら考えておくれ」
「わかりました」
老人はにこにこしているが、リオは淡々としていて無愛想。
可愛げないなとイルクは思ったが、はっと悟った。
こいつが愛想を振り撒くと同時に他人に快楽を与える魔力も振り撒きかねないんだった。この店主やさっきのサイモンさんとかを魔力の支配下に堕とさないよう気をつけているんだ。
……難儀な力だな。
イルクは植物図鑑を手持ちの布で丁寧に包み終え、せめて自分くらいはと明るく「また来ます!」と声をあげ、二人で店を出た。
いろいろな店の並ぶ通りをあてもなく進む。通りから見える品物を物色しつつ、でも店の中に入るほど興味のあるものもない。
しばらく歩いていると、真横から声が聞こえた。
「あれ、ネコ目のお兄ちゃんじゃない」
顔を向けると誰もいなく……ではなく、視線の斜め下に普通の大人の半分くらいの背の、フードを被ったヒトがいた。
その顔は、猫のもの?
「お久しぶりです」
驚くイルクとは対照的に、リオは普通に挨拶を返す。
猫は男とも女ともつかない声で笑った。
「もう、お久しぶりじゃないよー。ボクのお店にいつ遊びに来てくれるの。お礼のお菓子も用意してるのに、キミが来ないから食べては買い直しちゃってる」
「お礼なんて用意などされなくても……」
「まあお菓子はいつもキミ関係なく買ってるボクの好きなヤツだから気にしなくていいんだけどさ。冷やかしでいいから売り物見に来てよ。珍しいモノいっぱいあるから。今日は見てのとおりお出かけで、もう店じまいしちゃってるけど」
「はい、そのうち」
「その言いかたじゃ来そうにないなー。でも待ってるよー」
猫は明るく手を振りながら去っていった。
それをにこりともせず見送り、「行こうか」と歩みを再開するリオにイルクは問う。
「今の人は猫の亜人種?」
「コボルトの猫版のようだけど、僕もよく知らない」
「知らないのかよ。人口少ないのかな、初めて見た」
「先祖がガトリア島からの移民で、彼世代はダムダラヴェーダにはもう数人しかいないと言っていた」
「数人か……じゃあ合わないわな。つかお礼って?」
「以前、彼が若者に絡まれているところを助けただけ。僕の目を見て似た種の血が流れている人の目だと思い込んだようで、気に入られたみたい」
「なるほどー。お店って?」
「骨董店をやっていると言っていた。こっそりと禁制品も扱っているとも」
「へー、面白そうじゃん。今度行ってみようぜ」
「今度があればね」
「……ルクスさんにかかってるな」
興味の湧かないものに意識を向けないのは相変わらず。
イルク的には猫亜人が経営する禁制品取扱店舗など、是非行ってみたく思う場所なのに。
街歩き……やっぱりリオにとっては気をつかうことも多く興味も薄く、面白くはなかったかと残念に思う。
だが、だからといってじゃあもう解散とはいかない。せめて食事はすませないと。
「食べ物の好き嫌いあったっけ?」
「特にないが、肉や魚の生食はしたくない」
「そうだったな」
適当な食事処を探して歩く。
海の近くまで来て魚料理の店が目についた。
ボロ小屋の、大きく開けられた窓から見えるのは店員が大きな鉄板で海の幸を豪快に焼いている姿。魚や貝の美味しそうな香りがあたりに溢れている。
「俺、こういう店好きかも。入ったことある?」
「選択肢に入れたこともない」
「入るの抵抗ある?」
「僕一人や姉となら絶対に入らない。ただ君がこういうところに慣れているというのなら構わない」
「おう、なら入ってみるぞ」
「うん」
店に入るなり威勢のいい挨拶をされ、どれくらい食べるかを聞かれた。
この店は値段ごとのおまかせコースしかないようだ。
どの値段でどれくらいの量来るかわからないが、予算内のコースでお願いした。
待っている間、リオはイルクの雑談に相槌を入れる程度で自分からは口を聞かず。
料理が来てからもイルクの「美味いな!」に「うん」と答える程度。
淡々としていて、楽しんでいるようには感じない。
やっぱこいつを楽しませてやるのは、
密かに苦悩しているうち食事も終わり、大通りまで戻った。
これからイルクはニュータウン行きの馬車乗り場に向かい、リオはいつも行く店でパンを買ったあとに家に帰る。イルクはルクスの件があり、長いオールドタウン滞在は避けるよう言われているからだ。
「今日は付き合ってくれてありがとな。明日からは念のためしばらく来れないと思うから、今日はゆっくりできてよかった」
「うん。僕らは今後、クロケット師からの指示を待つよ」
「そうしてくれ。じゃあな」
イルクは手を振って別れの挨拶をした。リオからは、意外な返事が。
「思いのほか楽しかった。再びオールドタウンに来れるようになれば、また、誘って」
「お、おうもちろん」
リオは軽く笑んで、すぐに立ち去った。
楽しんでくれてた……のか?
あいつの言う社会性の延長の、社交辞令かもしれないが。
本当わかりづらいヤツ。
イルクも土産の本を大事に抱え、馬車乗り場のほうに歩を進めた。
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