80話 新時代の勇者の役目

 がしゃんがしゃんと金属のぶつかる音がドラゴンの巣に響く。

 二人が手にしているのは長い時間泥に沈んでいたであろう剣。見た目は錆びてはいないが強度は確実に落ちていて、打ち合ううちに金属音のほかに軋むような音が混ざり始めた。


 イルクはリオに目配せをしたあと数歩後ろに引いて、柄と刃の境目を見る。

 リオは確認すらせず、剣を無造作に投げ捨てた。


「ちょうどいい。休憩にさせて」

「ああ。剣も限界だしな」


 夏の泥地でいちの朝。

 街中よりは風が涼しいが、それでも気温は高い。

 二人は噴き出た汗を、濡らしたぼろ布で拭いた。

 


 昨夜イルクがエリスとアーディンと別れたあとのこと。

 いぶかしげな表情でイルクを再び家に迎え入れたリオに、イルクはリオの前で二度と他人に憎しみを持たないと誓った。リオはなぜここでそんな話をするのだと、アルマの前では工作員暗殺時の話をしてほしくないといった視線。

 二人きりでないと駄目な話だと言うならばと、イルクはやっぱり泥地に行こうと誘いだしての今だ。



 日陰で涼しい巣の入り口で、二人は黒い地と青い空ばかりの広大な景色を臨みつつ、地面に打ち捨てられたぼろの剣について話す。


「あれ、また泥に捨ててしまってもいいと思う?」

「町に持って帰ればジャンク品を買い取ってくれる店があるけど、はした金のためにわざわざ持って帰るかどうか」

「じゃあレディにどこかの浮島に置いて来させようか」

「それでいいんじゃないか。欲しいと思う人が拾えばいいんだし」

「うん」


 頷くリオの表情は昨日よりは明るく、イルクは無理やり連れ出してよかったと思った。


 今こそ、ちゃんと話すときだ。

 イルクはひとつ深呼吸して、リオに伝えた。


「俺のせいで気分が落ちていたんだろう? あのときは俺も気が立っていて、お前になんのフォローもしなかったことを反省してる。ごめんな。本当にもう二度と、勇者オレは誰かを憎まない」


 謝るというのも違う気がするが、そう伝えるほかなかった。

 リオはなんでもない場所に視線を向けたまましばらく黙り込み、そして口を開いた。


「……君と僕がそういう性質なのはわかりきっていたこと。フォローされたところでなにが変わるわけでもないし、勇者キミが憎悪で強くなるならば積極的に使って行けばいい。僕に謝る必要など一切ない」

「でもそれじゃお前の腕が」

「確かに君が敵に憎悪を向けると僕は腕の痛みで剣士としては動けなくなる。でも痛み程度ならば魔法の消去のほうは問題なくできると思う。だから僕はこれからのためにそちらを主に伸ばすべきだ。だから遠征は断ったんだよ。時間の無駄でしょう?」

「無駄って」


 剣の鍛錬は時間の無駄だとはっきりと言われ、イルクは言い返すための言葉を失う。もともとリオとの口喧嘩は分が悪い。

 リオはイルクに微笑んでみせた。


「でも今回はアルマのいないところで話したいという理由があったから、ぎりぎり無駄な時間ではないかな? 最後に思いきり身体が動かせてよかった。これで思い残すことはないよ。ありがとう」

「いやいやいや……」


 最後ってなんだ。

 本気で剣を捨てる気か?


 イルクは頭を打ち振り、なんとか言葉を絞り出した。


「俺はお前と剣や槍の鍛錬するの、楽しいと思ってる。リオ、お前はどうだ?」

「僕も楽しいとは思っているよ」

「それなら」


 これからも互いに切磋琢磨していこうぜ。

 そう言おうとしたところ、言葉を遮られた。


「でもどうあがいても、君は僕にとって乗り越えられない壁だ。こうやって時間を割いて剣を打ち合う必要性、もともと僕にはなかったんだ。残念なことだけれど」

「……必要性ない、わけがない」

「君にはあるかもしれないが、僕にはない。僕はもうどんなに努力してもきっとこれ以上は体力も腕力も伸びない。ならば魔法の知識を伸ばすほうがはるかに有意義だ」

「伸びないわけがない。まだ若いんだ。これからだろう?」

「いいや限界を感じている。僕は所詮、魔法特化の血筋。こんなものだよ」

「くそっ、よくもそんなにぽんぽんと口から言い訳が」

「事実だから。僕はもう、ただ剣を振り回していると楽しい、ってだけのことをしていては駄目なんだよ」


 イルクの悪態も、リオは笑んで流す。


「でも割り切れてないんだろ? 割り切れてるなら、どうして街では暗い顔してたんだよ」

「それはもちろん、ずっと頑張って来た剣の鍛錬もここまでかと残念には思っているもの」

「お前の剣の腕がもう伸びないと言うのは認めない。でももしも、たとえそうだとしても、ただ楽しいで剣を振り回しに来たっていいじゃないか。気が晴れるだろう?」


 でもイルクのこの説得に、リオは表情を変えた。

 心から、不可思議だと言わんばかりに。


「でもただ楽しいだけのことなんかしていてもいいの?」

「ええ!? 悪いの??」


 イルクも心から驚きの声を上げた。




    ◇◇◇




「というわけでさ。あいつ驚いたことに、趣味とか娯楽とかの概念がまるでなかったんだよ」


 三日間の遠征を終えてポートラヴィ・ニュータウンに帰ってきたイルクは、家にいたエリスとアーディンにリオの相変わらずズレている感性を愚痴っていた。

 しかしエリスはリオの感性を笑わず理解を見せる。


「賢者グランと剣士ミレア。厳格さの権化みたいな人たちに育てられんだもん。趣味を持てなんてこと教えられる余裕なんかなかったのかもよ」

「ああ、その二人じゃ」

「彼、笑わないじゃない。微笑んだりシニカルな笑みくらいはするけどさ。厳しく育てられて楽しいこととかを心の奥で忌避するよう育てられてるとしたら可哀想」

「そっか、伝説の英雄たちも子育ては専門じゃないだろうし」


 イルクはエリスの意見になるほどと思うが、アーディンはふふっと笑った。


「その二人が子育てに不向きそうなのは同意だが、幼いころの彼に対してに限って言えば正しかったんじゃないかな。他人を盲従させる魔力を持つような幼子にたまには遊んで来いなどと言って人里にでも放ったら、あっという間に彼を崇め奉る集団が出来上がるんじゃないか? 教育上よくないってどころじゃない」

「怖いこと言うなあ」

「教育方針が違ってたグランとミレアの両方からそういう教育を受けてたってことは、そういうことだよ」

「確かに……」

「でも分別がつく年齢になっている今、もっと人生に潤いが欲しいよね。だからイルクくん、リオくんの趣味が剣なら存分に付き合ってあげなよ」


 そう言って菓子をひとつつまむアーディン。

 イルクは椅子の背もたれにどんと強く寄りかかった。


「わかってるけど、趣味が剣ってのも味気がなくないか。趣味ってのはほら、もうちょっとこう」

「そういうイルクくんの趣味はなんだい? 武道ではないのかい?」

「俺はそこまでストイックじゃないぞ。でも趣味と言われたらそうだな……」


 あえて問われると悩む質問に、イルクは少し考えて、答える。


「美味い食事と酒?」

「それは趣味なのかなあ?」

「いいじゃない」


 エリスは笑うが、アーディンは笑わず受け止めた。


「余暇に街を散策して美味しいものを探して、というのは充分に趣味だよ。エリスくんは?」

「んーなにがだろう。ああ、実家にいたころだけど、花壇の手入れとか好きだったかな。庭師にいろいろ教えてもらいながらだったからまあまあ綺麗にできてたんだよ」

「おお、園芸もいいじゃない。私たちの店舗ができたら入り口を飾ってくれよ」

「あ、やってみようかな。今のうちに花の苗でも育てておこうか」

「ぜひ頼むよー」

「で、そういうアーディンさんの趣味ってなに?」

「もちろんクロスボウの射撃練習だよ」

「いちばん武闘派じゃないか」

「君たちみたいなガチの戦闘訓練じゃないし」

「そういえば最近クロスボウ見てないような?」

「あれはエレクファレリア製の特別品だからダムダラヴェーダの一般人が持っていたらマズいだろう? だから名残惜しかったがミュートルに置いてきたんだよ」

「そっかあ」


 ひとしきり趣味の話が盛り上がったあと、アーディンはひとつ咳払いをして言った。


「ともかくリオくんにはこの世界にはたくさんの楽しさがあること、どんなに重く辛い宿命を背負っていてもそんないろんな楽しみを味わう権利があることをもっと知ってほしいよね。今はすごい狭い人間関係の中で生活せざるを得ないわけだけど、可能な限りもっと広い世界を見て、広く世界を愛してほしい。人食い神でありながらヒトを愛していたラヴェーダのようにね」

「突然真面目なことを言いますね」

「私はいつでも真面目だよう」


 茶化すエリスにアーディンは笑うが、イルクはアーディンの言葉を噛み締めた。


「……アーディンさんの言うとおりだ」


 その真摯な呟きに、エリスもアーディンもイルクに顔を向ける。


「神殺しの勇者は神を殺さないことにしました、で勇者の物語は終わったのではなく、神が、というか今現在その神を宿してるあいつが少しでもこの世界を好きになってこの世界を壊さないように慈しむように……そうなっていくのを見守っていくのがこれからの勇者オレの役目だと思う」


 神殺しの宿命を捨てた、今代勇者の宣言。

 エリスとアーディンも真摯に頷く。


「うん、正しいと思う」

「君は大御所の面々の前でリオくんがもしバケモノと化してしまっていたら自分が始末をつけると啖呵を切って旅立ったんだ。永遠にそうならないよう、責任を持って導いてあげたまえ」

「もちろんだ」


 イルクの誓い。

 エリスとアーディンも、そんなイルクを支えようと心から誓う。


 だがすぐに、アーディンはふにゃっといつもの軽薄な笑顔となった。


「彼を律することができるのは君とアルマくん、クロケット師もかな? ほんの限られた人だけだものね。凡人の私は君たちの愚痴を聞くくらいしかできないからさ、どうぞいくらでも受け入れるよー」

「あはは、私も聞く聞く」


 エリスも釣られ、笑い声を上げる。


「お、じゃあ厚意に甘えようかな」


 イルクは菓子に手を出し、口に入れたあと続けた。


「でも導くったってさー、あいついつもこの世の全てを理解してますみたいな顔で小難しいこと淡々と話すなかにちょくちょく絶対おかしいってこと混ぜてくるんだぜ。ちょっと待てってそれおかしいって言っても意味わからないみたいな表情するし。相当こっちも心強く持ってないと気負けする」

「確かにあんな綺麗な顔で堂々と間違いを言われたら、とても言い返せないねえ」

「よほど気を確かに持ってないと流されるよね」

「全く大変だよね。私も身近にそういうタイプの人がいるから他人事ひとごとじゃないよ」

「せっかくねぎらってもらったけど相槌打ちづらい」

「私もノーコメントで」

「でさ、あのあとも、ただの娯楽イコール堕落だと教えられてたみたいなこと言うからアルマの歌はどうなんだよって言ったらあれは習った音楽が上達して楽しくなっただけで純粋に生業なりわいだと。警備に雇ってるチンピラのカードゲームはって訊いたらそれは当然堕落だって。それはそうだなって言いくるめられたさ」

「はは、アルマくんの歌をわざわざ聴きにくるお客にとって、歌はちゃんとした娯楽だろ? 彼女の歌は堕落なのかと言ってやるといい」

「ああ、それ参考にさせてもらう」

「リオくん本当めんどくさいなー。そのうえ、今後作戦が上手くいったらそれが二人になるんだよ」

「げ、やべえな……」


 イルクの愚痴聞きの会は、夜遅くまで続いた。

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