79話 見切り

 イルクとエリスとアーディンは、アルマを中心に据えて家路につく。

 アルマは大切な仕事道具である竪琴を抱いて、イルクは五人分以上のスープが入れられた深鍋を抱え、エリスとアーディンも充分な量のパンと惣菜を運んでいる。とても暴漢から彼女を護れるような状態ではない。


「アルマちゃん、黒服さんを断らないほうがよかったんじゃない?」

「ごめんなさい。重いですか?」

「いいや、さほど重くはないし構わないよ」

「うん、アーディンさんと同じく重さはいいんだけど、なにかあってもあなたを護れないかなあって」

「俺は重いけど? まああれがいると内輪の話ができないから断ってよかったけどさ」


 とはいえ彼女のファンが近付こうとするのを制止する作業があったのは大通りだけで、貧民街に入ってしまえばすれ違いざまに軽く挨拶をしてくるか、避けて歩こうとする者ばかり。


「ご近所さんは君の存在に慣れてくれてるんだね」

「しつこくしてくるタイプのかたはボディーガードをしてくださっている方々や、弟がしっかりと威嚇してくれていますから」

「ふふ。あの黒服も怖そうだけど、弟くんがか。なるほど。そんな彼と今から会うと思うと緊張するねえ。私は基本的に無礼だからなあ」

「弟はおそらくあなたが思われているほどに恐ろしくはないですよ」

「それはありがたい」


 アーディンとアルマが談笑する横で、エリスが溜息をつく。


「いやアーディンさん、無礼な自覚があるなら正しましょうよ」

「この歳になるとつい余計なことを言いたくなるんだよね」

「本当にやめといてくださいよ」


 エリスに真顔で咎められるアーディン。だが彼女にはリオが嫌うこと――例えば褒め言葉だとしてもお人形みたい人間とは思えないなどと言われること、皇子殿下扱いなど過度に敬意を払われることなど――を伝えているし、なにより彼女自体、芯はしっかりとした大人だ。イルクはそこの心配はしていない。


 それよりリオがおとなしくなっている件。

 噛みついてこないことが悪いわけではないが、どうも調子が狂う。

 本当にただ疲れているだけならいいが。

 いや、なかなか疲れが取れないのも問題なのだが……


 考えているうち、いつもの路地にまで来た。

 アルマがいつもの二人組にもう家に帰っていいと告げ、二人組は初めて見るアーディンをじろじろ見たあと去っていく。

 そして玄関の鍵を開け、最初にアルマが家の中に入った。


「ただいま帰りましたわ」

「おかえり」


 奥からリオの声。

 イルクが中を覗くと、リオはキッチンに立っていた。


「そろそろ帰ると思ってお湯を用意するところだったのだけれど、そちらのほうが早かったね」

「いいえありがとうございます。リオ様にお客様ですわ。お湯の準備はわたくしが代わります」

「うん」

「みなさま、どうぞ中に」


 アルマが奥に向かい、入れ替わりでリオがリビングに出て来た。

 イルクたちも全員が家の中に入る。


「よう、みんなを連れて来たよ」

「リオくん、久しぶりー」

「エリスさんとは久しぶりだね。そして」


 リオは手を振るエリスの横にいるアーディンに目を向ける。

 さすがのアーディンも若干の気後れから「わ、私が」と言い淀むうち。


「初めまして。リオ・グランフォード、と名乗っておきます。遠くディガーディアから僕らの支援のためにご足労いただきまして、誠にありがとうございます」

「あ、ああいやいや、こちらが先に挨拶すべきだった。初めまして、勇者パーティの後方支援をやってるフィオナ・アーディンだよ。お会いできて光栄だ」

「こちらこそ」


 余所行きの笑顔を浮かべるリオ。アーディンはリオの予想外の穏やかさに呑まれて次の行動を見失う。

 察したエリスがこっそりとアーディンに肘打ちしながら一歩前に出た。


「リオくん、夕景せっけい亭の食事、テーブルに置いていい?」

「うん。本を片付けてくる」


 リオはテーブルに置いていた数冊の魔法理論書を抱えて、自室へと向かった。

 エリスとアーディンは自分たちが持って帰ったパンや惣菜をテーブルに出し始め、イルクも抱えてきたスープの鍋をキッチンまで運ぶ。


 食事を並べながら、エリスがアーディンに小さく話しかける。


「なに気圧けおされてるんですか」

「気圧されてはいないが、ほら、あの変人が可愛がる理由がわかったからさ」

「あの変人って誰ですか。イルクですか」

「イルクくんではないねえ。立場上これ以上言わせないでおくれよ」


 誤魔化すアーディン。

 エリスも頭に浮かんだ人物の名前を出すのをやめた。




 五人は食事が並んだテーブルを囲み、談話した。


「ところで私は勇者や一国の姫君にイルクくんエリスくん呼びするような無礼者なのだが、君のことはなんとお呼びするべきか。リオくんでよいものか?」

「もちろんです。呼び捨てでも構いません」

「さすがに呼び捨ては後方支援仲間のヒューイくんたちから不評を買いそうだなあ」

「そんなことで彼らがあなたに良くない態度をするようなら伝えてください」

「はは、ヒューイくんたちに説教かい? それは気の毒だから、くん付けで呼ばせてもらうよ」

「はい」


 アーディンの遠慮のない語り口はリオに合っているようで、意外にも話が弾んでいる。

 

「アルマちゃんてかなり目立つ活動してるけど、クルーバール出身者がオールドタウンに忍び込んでて正体バレるみたいな心配はしてないの?」

「余所者がオールドタウンに入ること自体に高いハードルがあるから大丈夫、だと思いたいところです」

「思いたいところなんだ」

「わたくしも始めはお小遣い稼ぎのつもりで酒場の片隅で歌っていただけで、こんなに目立つことになるとは思わず」

「じゃあ、見つかってしまったらどうするつもり?」

「どうしましょうね……しかしエリスさん、ニュータウンには心配しないといけないほどにエレクファレリア人がいますの? オールドタウンにいるとどうも実感がなく」

「見てわからないよ。みんな隠してるだろうし」

「ですよね」


 エリスとアルマは取り止めのない話をしている。


 イルクは始めのうちは念のため、アーディンが余計なことを言わないよう気を張っていた。

 しかしアーディンが聖地のことや商業のことを話して、リオが興味深く相槌を打つ。そんな何事もないどころか和やかなやりとりが続いていて、心配はないなと遠慮なく食事をいただく。


「しかしあなたにはもっと込み入ったことを訊かれる覚悟をしていたのですが、意外でした」

「ん。込み入ったこととは君自身のことをかい? 君が何者かの概要は既に知っているから、こちらから訊くことは特にないかな」

「神学者でいらっしゃるのに?」

「んー、私はもう神学の追求はやめてるんだよ」

「え」

「クロケット師が退職届を受け付けてくれないんで、まだ聖地に席は残ったままなんだけどねー」

「はあ……」


 普段のリオなら「意味がわからない」と吐き捨てる場面だが、遠慮しているのか本当に元気がないのか判断がつかないままに時間は過ぎ。


「さて話は尽きぬが、シャーリくんたちが心配してるだろうからそろそろ私は帰るとするかな。君たちはどうする?」


 ほどよい頃合いにアーディンがそう告げて、イルクとエリスに視線を向けた。


「私もアーディンさんと帰ります」

「俺は――」


 エリスは即答したが、イルクは少し考えて、リオに顔を向けた。


「なあリオ。しばらく道場が休みなら、泥地でいちに行かないか? 俺もそろそろ身体を動かしたいし、お前の疲れが抜けてないなら休んでてもいいし、気分転換にさ」


 しかしイルクの遠征のお誘いに、リオは首を横に振る。


「あそこに行くのは、今は、いいかな」

「え、ダメなのか」

「今は鍛錬よりも、兄の魔法への対策をするべきだから」

「そうか? そうかもだが」

「時間がないからね。やるべきことをやらないと」

「うーん、お前がそう思うなら無理は言えないが」

「……誘ってくれたのに、悪いね」


 イルクも、アーディンたちとともに帰宅する選択をするほかなかった。




    ◇◇◇




 陽が暮れて、人通りのなくなった貧民街の街路。

 イルクとエリスとアーディンは周囲の気配に気をつけつつ、今日の感想を言い合う。


「みんなが脅すからどれほど狂暴なのかと思っていたが、並の子よりずっとおとなしいじゃないか」

「狂暴とはちょっと違うんだけど……確かにおとなしかった。事前に聞かされてなかったら初めましてのアーディンさんがいて緊張してたのかなって思うとこだけどさ。あれはアルマちゃんが心配するのもわかるよ」

「なーんか異様に従順なんだよな」

「従順ならあなたに泥地に誘われたら素直に行ってたんじゃないかな?」

「うーん……」


 腑に落ちない様子のイルクに、エリスは一息ついて、言った。


「もしかしたらなんだけどリオくん、剣技のほうは見切りをつけたのかもね。だから泥地に鍛錬に行く必要がない。でも内心割り切れてなくて落ち込み気味だとか?」

「え? まさかそんなことが」


 その予想にイルクは驚愕する。

 一方アーディンは、なにを驚いているんだとばかり肩をすくませた。


「まさかもなにも、彼自身が言ってたじゃないか。今は魔法対策が必要だって」

「彼は前から自分の体力腕力が伸びにくいことを悩んでたし、一方勉強はやればやるだけ伸びるし、魔法対策のほうが楽しくなってきたのかもね」

「そうかな……?」


 二人の言葉にイルクは納得できない。

 なおもエリスは続ける。


「あの子はあなたとの再戦のために剣の腕を磨いてたんでしょ? それも終わって、これ以上あなたに無闇に牙を剥いてもいいことないってやっと理解したんじゃない」

「でも再戦後も、泥地で手合わせするの楽しそうだったぞ」

「私は泥地での様子は知らないからなんとも言えないけど、あの子が大人になってあなたに張り合わなくなったならあなただって楽でしょ」

「それはなんか物足りない」

「武人の考えはわからないねえ」

「私もどちらかと言えば武人だけど、イルクのマゾさは理解できないよ」


 アーディンの茶々入れにエリスも同意し、さらに問う。


「最近まであなたとの手合わせを楽しんでたならなんかあったんでしょ、思い当たらないの? 直近だとこないだの工作員がらみのこととか? 私は結果しか知らないけどさ」

「あいつ堂々としてたし俺に言い返しもしてたし、そんな様子は」

「ならいいじゃない。なんか心が折れるようなことがあったのなら可哀想だけど、彼にしかできないことに進んで挑んでくれてるんだから大歓迎」

「――あ」


 そしてイルクは気付いた。

 エリスの発言の中にあった、心が折れるという言葉で。

 頭を抱え、唸る。


「あいつ、くそ、もしかしてあんなことで?」

「なんか思い当たったの?」


 あいつの腕の傷。

 未だに癒えない神殺しの刺傷。

 俺の感情ひとつで動けなくなるような傷を抱えたままで、前向きな気持ちになれるはずがないじゃないか!


「あいつを泥地そとに引っ張り出して来る! 悪い、二人は帰っててくれ!」


 思い当たった内容を答えず、来た道を走り戻るイルク。

 その背を見送りながらエリスは溜息をついて、アーディンは笑った。


「彼、トゲトゲしさが抜けて、私的にはほっとしたのにな」

「ふふ、発破でもかけに行ったか。イルクくんは気性が激しい子がお好みなんだろうね」


 意味深な視線を向けてくるアーディンに、エリスは不満を言う。


「なんで私のほう見ながら言うんですか? 気性悪いくらいでないと戦いの前線になんか出れないです」

「悪いとは言ってないよー。まあ正直私、イルクくんがあんな上位存在をわざわざケアしないといけないっていう意味がわかってないんだけど、とりあえず必要なんだなと理解しておこう」

「どうケアするかがまさか落ち着かせるでなく、火をつけ直そうとするとは私も思っていませんでしたけどね」

「元気で無謀なのは若者のいいとこだよ」

「いいとこかなあ」


 エリスはぼやき、アーディンはそれを適当に聞き流しながら、二人は馬車付き場へと向かった。

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