4話 琥珀色の甘いものと、黄金色の冷たいもの

 五日間でトータル十か所以上ヒルに噛まれていた……

 もう湿地はこりごりだ。


 イルクは生の毒消し草を噛みつぶしながら、湿地とは全く逆の環境である、乾いた山道を歩いていた。


 ヒルは痛みを感じさせることなく噛みつき血を吸ってくる生き物だ。さすがにオオヒルレベルの大きさに噛みつかれたら気付くだろうが、普通サイズのヒルには全く気付くことはできなかった。

 変な病気を持っていたらよくないという知り合いのアドバイスで安い毒消し草を買い込み、それを噛み噛み山道を歩く。苦いけど意外とクセになりそうだな、と呑気に思いながら。


 山岳地帯に来たのは売値の高いものを狙ってのことだ。

 グレイの干渉も面倒であるが、それ以上にタチの悪いカロンがなにか感づいたらもっと面倒。だからイルクは旅の資金を貯めて、ヘイムを出たいと思い始めていた。

 ここのところ文字どおりのその日暮らしできる程度の稼ぎしかしていなかったことを後悔する。


 ――さて、狼や熊はいないか。高い毛皮を採れるような。


 生き物の気配を探りながら歩いていると、比較的近くで悲鳴か怒声かが聞こえた。

 普通の様子ではない。

 おっさんたちの声なのが残念だ、と少しだけ思ったが、走った。




 イルクが声が聞こえた場所にたどり着くと、ふたりの剣士とひとりの黒魔法使いがボロボロになって戦っているところだった。


 相手は体長三十センチ、プラスして長いハリも持っている超巨大なハチ。鷹蜂ホークビーの女王バチのようだ。

 鷹蜂は主食こそ花のミツであるが、巣に近付こうと者がいるとそれが人間だろうが獣だろうが魔物だろうが問わず無差別攻撃を仕掛けてくる、かなりの危険生物。巨体ながら自由に空を飛び、その素早さとハリとアゴの鋭さが彼らの武器。そして今そこにいる女王ハチの背後に、彼女の大切な巣が茂みの中目立たないように隠れている。


 普通なら即行で逃げ出したくなるその光景。しかし本来なら外敵排除に女王バチが出てくることはなく、まずは体長十センチほどの働きバチが大量に襲ってくるはずなのだが、なぜかそれは一匹もいない。

 すでに彼らが倒してしまったのか? それにしては死骸すら落ちていない。


 黒魔法使いの放つ炎の矢は女王バチをかすめることも出来ず、剣士の剣はたまに当たるがその外骨格に跳ね返される。彼らに働きバチを全て、死骸も残さず消し去るほどの実力があるようにはとても思えない。

 イルクは不思議に思いつつ、大きく声をかけた。


「おーい、手助けいる?」

「お、おお……頼む!」


 彼らはボロボロ、女王ハチはほぼ無傷。当然助けを求めてくるだろう。

 巣の中にあるはずのハチミツもハチの子も高級食材。分け前を貰えればかなりの収入になるだろう。イルクは今日という日の運の良さに感謝した。


 背負っていた槍を手に持ち、駆け寄る。

 ――その時、視界の端に何かが見えた。


 彼らとハチのその向こう。ちょうど反対側の茂みの後ろ。隠れて様子を窺っている者が。

 小柄で、茶色い革のフード。


 風切鳥の子?


 それをはっきりと目視しようとしたとき、女王ハチは走ってくるイルクを敵と見なし、鋭いハリを向けて素早い動きで襲ってきた。

 しかしそこはリーチが長い槍。振り下ろし、柄をハチに叩きつける。自身のスピードと柄の打撃力との加算ダメージで空を飛んでいた女王ハチは容易に地面に叩き落された。ちょうどそこにはふたりの剣士。

 ダメージを負っている彼らでも、仰向けにひっくり返ったそれにとどめをさすのは容易なことだっただろう。


 自ら一撃で倒すことも出来たが、彼らの手柄にしておいたほうが賢明だ。


 助かった、と口々にいう三人の背後でフードの子がそっと立ち去るのが見えた。

 見物していたのか。

 それとも彼らが倒されるのを、待っていたのか。




   ◇◇◇




 三人の冒険者は今朝働きバチの守らないこの巣を見つけ、大きな台車を持ってやって来ていたという。放棄された巣かと思って壊そうとしたら女王バチが出てきて驚いたそうだが。


 空っぽの巣でもそれなりの値で売れるが、中身――ハチミツとハチの子があれば値段は跳ね上がる。予想をはるかに超える大きな収獲に、三人は気前よく分け前をくれることになった。


 もちろん分け前をもらう以上、運ぶのも手伝った。始めはハチの子を取り出し台車に乗せられるだけ乗せる。そして一度町に戻って売り払い、次は台車にツボを積んでハチミツを詰める。時間がかかったためハチミツはだいぶ巣から零れてしまっていたが、それでも用意したツボは満タンになった。ハチの子は加工場がまとめ買いをしてくれて楽だったが、ハチミツは複数の食事処にツボ毎に売った。かなり時間はかかったが、そのぶんいい儲けとなった。



 気分良くいつもの酒場へ夕食を買いに向かう。

 これは早めに旅立てるかもしれないぞ。酒場にもハチミツを持ち込んだことだし今日はそれが使われたデザートも買おうか。

 そんなことを思いながら。


 すると、酒場のそばでまた会った。

 さっきのフードとコートを着込んだ子と。


 初めて間近で見たその子は、顔を他人に見せたくないのかフードを目深(まぶか)にかぶり、口周辺をバンダナで隠していた。だから表情はよく見えない。が、明らかにこちらを睨んできているのを感じる。

 色素が薄いのか? フードの闇の中で光ってるかのように見える瞳に気圧(けお)された。


 彼?はイルクと目が合ったことに気付くと、目を逸らし無言でイルクの横を通り過ぎ、酒場の裏口へと向かった。

 イルクはあの鳥を売りに来たのだろうと思い、つい様子を見守る。

 裏口が開くと前と同じように厨房にいる料理人――中年の女性が出てきた。だが今日彼が彼女に渡したものはただのウサギ一羽。


「あら、お嬢が珍しいね。ウサギだけなんて」

「今日は時間が取れなくて」


 その子は料理人にお嬢と呼ばれたが、声は声変わり前の少年のように聞こえた。


「ウサギだと、悪いけどお弁当くらいしかあげられないかなあ」

「いえ、十分です」

「あ、あとね、お嬢が前に言ってたじゃない。ハチミツ捕れたら買ってくれるかって。それが今日大量に持ち込みがあってね、しばらくは買い取れないわ」

「……わかりました」

「ごめんね。他のとこに売っていいから」

「大丈夫です」


 イルクは息を呑んだ。


 彼は以前からあのハチの巣を狙っていたのか。働きバチがいなかったのは、まさか彼が?


 弁当だけ持たされた彼が、すれ違いざまにまた一瞥してきた。

 そして今度ははっきりわかった。

 隠れていないのは目の周辺だけだけど、それでも判別できるとても整った容姿。そして瞳は宝石のような……とはどこか違う、金属のように冷たく見えるゴールド。

 迂闊にも、美しい、と思ってしまった。

 少年だろうに「お嬢」と呼ばれるだけのことはある。


 イルクは思わずひるんだが、しかし感ずるべきところはそこではない。慌てて呼び止める。


「ちょ、ちょっと待って。さっき山で会ったよな」

「……」


 立ち止まったが、彼は振り向きもしない。


「あのハチの巣の働きバチ退治、もしかしてお前が?」

「……そうだったら?」


 そして振り向かないまま、再び歩を進める。


 イルクは懐から革袋を掴み出し、前に回り込み手に押し付けた。


「さっきの巣の、俺の取り分だ。持って行ってくれ」


 彼は少し驚いた様だったが、受け取らず押し返してきた。


「施しなんかやめてくれ!」


 強くそう言い切られ、イルクが再び怯んだところで彼はすっと身を躱(かわ)し、広場の人ごみに消えていった。



 失敗した、と思った。今日の全てのことに。

 多分だけど彼の獲物の横取りをしてしまったこと。

 その上、きっと高いのだろうそのプライドに現金を叩きつけることで傷つけたこと。


 獲物を狩る者同士、今までも他人とトラブルになったことはある。それはよくあることだし、いちいち後悔していたらきりがない。

 だがなぜか、今回は心が掻きむしられるような焦燥感。

 相手が子供だからか?

 それとも、あの冷たく輝く瞳に魅入られたのか。


 ――いや、魅了とは違う。

 むしろ危険物と接するような緊張感。でも不思議と、本能的に? どこか心惹かれる。


 この町を出るのが、少し惜しくなった。

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