3話 トカゲとヒルと、蛇と

 オオトカゲを狩ろうと思い立ってから五日くらい経っただろうか。

「『高く』買うよ」

 イルクはその言葉の意味を深く考えなかったことを後悔していた。


 毎日ディルフォレストの湿地に通うが、見かけるのは大きなヒルやカエルばかりで気が滅入めいる。

 湿地三日目ほどのときに町で会った知人にそれを愚痴ったら、生け捕りのオオヒルなら薬屋が買ってくれると教えてもらった。しかし巨大なヒルなどあまりに気持ち悪く、町まで持って帰る気にはとてもなれない。



 だが、さすがに五日間獲物ナシは財布に響く。

 獲物を乗せるために借りた台車のレンタル代も馬鹿にならない。

 ヒルでもいいから持って帰ろうか……



 そう半ば諦めたせいで逆に運が向いたのか。

 周囲を見回していると、湿地に生える木の陰にヒルとは違う質感の生き物が動いたのが見えた。


 トカゲだ!


 イルクはそう確信して手を背中にやり、背負っている槍のその留めている金具を外す。

 かちっという小さな金属音とともに槍はイルクの手に収まり、その槍を前に向けるときに少し風を切る音がした、がトカゲは気にしていないようだ。


 そっと近付く。どうしても草音・水音は立ててしまうが、驚かれぬようできるだけ静かにそっと。そして。


「よしっ……と」


 槍はトカゲの頭を貫いていた。

 串刺しのまま台車のところまで引きずっていく。重さ四十キロくらいか。種類などはよくわからないが、間違いなくオオトカゲと呼ばれる部類のものだろう。




 イルクは、祖父である勇者アリオンには会ったことがない。

 そして先代勇者である父とも、あまり話したり手ほどきを受けたりした記憶がない。


 父・先代勇者クアードは、イルクが物心つくかつかないかのころからずっと、年に一度くらい帰って来ては家訓やら何やらを話し去っていくというどこか手の届かぬ……愛情を感じぬ存在だった。その代わりレオングラードの元騎士である母の指南と、そして同郷の道場に自ら足しげく通うことで腕を磨いた。


 イルクも最初は剣を学んでいたが、試しにいろいろやってみているうちに槍のリーチの長さが面白く感じ始め、父の死後に槍使いへと転向した。もしかしたら祖父や父を勝利に導けなかった「剣」に内心反発してだったかもしれない。


 幼いころはそれなりに使命感はあった。巨大な魔獣を、巨大なゴーレムを、巨大なドラゴンを、そして強大な闇を倒すことを夢見日々腕を磨いた。

 だが今やっていることはトカゲハンティング。

 台車に乗せたトカゲの体に大量についた小さいヒルを槍先で叩き落していると、そんな過去のキラキラした夢を思い出して虚しさが襲ってきた。でも。


 仲間を頑張って作ってそれを死地に送る勇気もないし、ひとり無駄死にもしたくない。


 ――勇気がない。


 勇者失格だ。でもそれでいい。

 たとえ闇の神ラヴェーダが復活し、光の帝国と闇の帝国が全面戦争を始めても。

 光の帝国は滅びるにしても、まさか世界の全体を壊すことはあるまい。

 自分は狩りでもしながら隠れてのんびりと生きていく。

 それでいいんだ。


 ――本当にそれでいいのか?? 


 そんな自問自答。

 勇者業は辞めたのはもうずっと前に決めたことなのに、たまにこんな思いに襲われる。

 イルクは自分の頭を軽く槍の柄で叩いた。


 思い悩んでも仕方ないのに。

 自分も、仲間となる者も死にたくない、死なせたくないという思いと。

 自分なら闇の帝国の野望を止められるのでは? という思い。

 まだ心のどこかで戦っている。


 胸に拳を当てたら、胸ポケットに入っているモノに触れた。

 イルクの母が、まだ父、勇者のパーティにいたときに旅先で拾って大切にしていた黒い石だ。


 父が死んだと聞かされたのち傷心のうちに死に至った母の、唯一と言っていい形見。

 宝石なんて立派なものではないけれど、いろんな色の光が閉じ込められているかのような美しい閃光効果シラリゼーションが出ている、手のひらに収まる程度の小さな石。

 綺麗すぎて……最近は見ることが出来ていない。ポケットに入れっぱなしだ。

 この先それを、しっかりと見つめることは、できるのだろうか。


 イルクはそれをポケットから出すことのないまま、台車を引いて歩き始めた。




    ◇◇◇




 ヘイムにたどり着くというそのとき、イルクを呼び止める者がいた。

 あの『青蛇』カロンだった。


「トカゲか。それはまた面倒なものを」

「うん面倒だったよ」

「お前ほどの腕があればそんな汚れ仕事しなくてもよいだろうに」

「カロンの持ってくる仕事だって同じようなものじゃないか」


 カロンはこの前の夜のようにニヤッと笑う。


「お前は若いクセに度胸がある。俺にはっきりそんなことを言う奴はそんなにいないぞ」

「俺空気読めないんだよ」

 

 イルクはカロンの横を通り過ぎ、町の外側にある有料の洗い場へ向かう。

 洗い場の係員にチップを渡し、トカゲに水をかけてもらい泥を洗い流した。町に運び込んだ時迷惑にならないように。


 洗い終わって振り返るとまだカロンがいた。

 彼と話すのは面白いと思うことも多いが、正直疲れている今は面倒くさい。


「お前に興味があるんだが、尻尾がつかめないんだよなあ」

「そんなもんないけど。前も言っただろ。エレクファレリアの田舎者だよ」

「それにしてはお坊ちゃんというか、品がよすぎる」

「お坊ちゃんはトカゲ狩らないよ」

「はは、かもな」


 カロンの言葉に嫌々返事しながら歩いているうち町の広場についた。

 そして彼は最後に、嫌な予感を感じさせることを呟いて立ち去った。


「ディザーネって、レオングラードの騎士の苗字にあるらしいな」


 お手軽に母の旧姓を取って付けた名前は失敗だったかな、とイルクは後悔する。

 レオングラードではそれほど珍しくもない苗字なので「正解」にたどり着くことは難しいとは思うが。

 イルクは唇を噛む。


 全く、グレイもカロンも面倒くさい……!




 オオトカゲはあの食事処が約束どおり高く買ってくれた。聞くと、あれをじっくり熟成させるとかなりの美味になるらしい。

 そんな熟成肉のステーキはこのディルイベリル中央地域でしか口にできない、旅人に大人気のご当地メニューとのことだ。


 ……ヒルが大量についているあの元の姿を知ったうえでは、あまり食べてみたいとは思えないところだが。

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