2話 「普通」という日々
いつもの酒場の一角に、肉や野菜がたくさん入った鍋が置かれた。
そのあまりの美味しさに先ほど組んだ四人で争うようにがっつく。
「何この味? 鶏? すごい美味しいんだけど」
「
イルクの質問にグレイは自慢げに答える。
風切鳥。カラスくらいのサイズの鳥。とても美味だが、山岳地帯を休むことなく素早く飛び回るため狩るのが難しく、滅多に食べられるものではない。グレイ以外の三人にとっては初めて食べる高級品だった。
「まじか、こんな貴重品食えるんだこの酒場」
さっき組んだが名前も知らないままの男が鳥の名を聞いて目を見開く。
「裏メニューだからあまり広めるなよ。売り子が町にひとりしかいないうえ、一度に多くても三羽くらいしか持って来ないっていうんだ」
「一羽でも難しいのに三羽とか凄いな。どうやって獲ってるんだろ」
「さあ、魔法使いとかなら獲れるんじゃないか?」
お世辞抜きで美味しい鍋にありつけて、正直気が進まなかったけどついてきてよかった、とイルクは思った。
しかし祝宴が気分よく終わろうとするときグレイが厳しい顔をした。
イルクも顔見知りの、あるひとりの男が近付いてきたからだ。
「よお。景気がいいな、兄さんたち」
「青蛇野郎か。何か用か」
グレイが吐き捨てるように言った。
『青蛇』はその男を表す蔑称。光の具合で青く見えそうなほどしっとりとした濡羽色の髪の男は、彼を嫌う者にそう呼ばれていた。
「俺はイルク君に用事があってね」
「俺かよ」
男はイルクに近付く。耳打ちをするアクションでだが、わざと周りにも聞こえる声。
「一緒に仕事しないか?」
「どんな?」
「聞いたら断れないぞ」
「じゃあ聞かない」
イルクがやはり周りに聞こえるように断ると、男はニヤッと笑うだけで何も言わずその場を離れた。
「イルクよぉ……あいつと付き合うのやめろよ」
グレイは心底嫌そうな顔をしている。
『青蛇』カロンはどんな汚い仕事でも平気で請け負うとして有名なヤツだ。きっとさっきの「断れない仕事」はそんな汚い仕事なのだろう。
しかしそういうスタイルのせいでかなりの裏事情通で、汚い仕事に関わらないよう気を付けてさえいれば彼の話を聞くこと自体は興味深い。
カロンを
「はは、あいつのほうがグレイより灰色だよな」
「あいつはほぼ黒だよ。……蛇って言われてるのは理由がある。あいつは自分が気に入ったものはどんな手を使っても手に入れるんだ。あいつを拒絶した女が何人も行方不明になってるって噂もある。男も、対立してたヤツが急に町からいなくなることもしばしば……お前もあまりあいつに深入りするな」
「ああ、忠告ありがと」
しばらくグレイがぶつぶつ言っている、そんな後味のよくない雰囲気で祝宴は終わった。
イルクは酒場を後にする。
広場では旅の吟遊詩人らしき男が歌を歌っていた。この国ではよく聞く、独立に関した勇士たちを称える歌を。
――レオングラードの勇者アリオンと若き剣士ミレア、エレクファレリアの騎士ガウスと賢者グラン、ディルイベリルの戦士ゼッドと黒魔法使いリカ、六人の勇士により、青く深い森は光を取り戻す――
勇者アリオンはイルクの祖父だ。
この国ではこの部分が好んで歌われるため『勇者』は独立の立役者として未だ尊敬されている。
他国であれば、こののち勇者たちはダムダラヴェーダ帝国へ向かい全滅したという絶望と嘲(あざけ)りの歌詞が続くのだが、この国ではそのあたりは興味ないのだろう。
イルクは吟遊詩人の横を無感情に通り過ぎ、住処にしている宿に向かう。
今日も「普通」の生活が終わった。
◇◇◇
朝。
イルクは思案した。全く今日の予定がなかったからだ。もっとも昨日のように予定がある日の方が珍しいのだが。
そしてふとお得意先の食事処が言っていたことを思い出した。
オオトカゲだっけ……探してみようかな。
そんな軽い気持ちで森林の中の、トカゲが住まう湿地帯へと向かった。
しかしこの日は全くの徒労に終わる。
準備もせず行っていい場所ではなかった。ぬかるんで足を取られる地面。目に入るのはヒルや巨大カエルなどの不気味な住人ばかり。肝心のトカゲは見つからない。そもそもトカゲが捕れたとしてどうやって持って帰るのか。
今日は下見に行っただけだと自分を慰め、肩を落とし町に戻る。
空腹を満たすためいつもの酒場に向かおうとしたとき、その裏口に立つ小さな人影が目に留まった。
フード付きの革のコートという夏場には似つかわしくない服装でその小柄な身体と顔を完全に隠している。年齢も性別もわからないがおそらく子供。腰には鞘に入った小振りの剣を差している。
その若干違和感のある情景を何気なく眺めていると、裏口の扉が開かれ、見慣れた厨房の料理人が姿を見せる。
報酬であろういくらかの硬貨となにかの小包との引き換えに、その子が渡したのは二羽の鳥。
あの、風切鳥だ。
あれが例の売り子か。
鳥を捕っている狩人はどんなヤツなんだろう。
それだけしか感じなかった。あの素早く空を舞う鳥を、子供が剣で落とせるとは思えないから。
そしてイルクはその酒場の入り口へと向かった。
今日も、そんなごく「普通」の一日だった。
普通すぎて、もし数年後今日の日付を聞かれても、思い出せないほどの。
将来今日が大切な日になるなど、今のイルクにはわかるはずもないことだった。
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