第一章 逃亡なのか、旅立ちなのか

1話 普通の狩人という生活

 ディルイベリル共和国。 

 北西にエレクファレリア帝国、真北にレオングラード騎士団領、西にダムダラヴェーダ帝国という、二大帝国含む三か国と国境を接する交通の要所。


 国土の七割がディルフォレストと呼ばれる森林で、二割は山岳地帯。かつてはダムダラヴェーダ帝国の領内であり、五十年ほど前に当時の勇者アリオンとその仲間の活躍により独立。国王・貴族はおらず、地域代表による話し合いで国政を行っている自由国家だ。野生動物もほどよい強さの魔物も多く生息しており、これから冒険を志すという者にとっていちばん人気のある国。


 そしてその国のちょうど真ん中あたりにある、森林と山岳に面する町ヘイム。

 動物を狩る狩人や魔物を狙う冒険者たちが集まる、そして彼らから獲物を買い取り食料や武器、薬に加工する業者なども多く住む、小さい規模のわりには活気のある町だ。


 帝歴九九八年の夏の終わりごろ。

 そんな誰もを受け入れる自由な町から運命は動き出すことになる。




    ◇◇◇




 ヘイムに南門から入ったら、大きな広場がある。

 狩人や冒険者が獲物を自慢しあい、町のどの加工場にその獲物を売り込みに行くか相談する。そんな人々の姿でいつも賑やかだ。

 そして何か所かある食事処。その中のひとつの裏口を黒髪の青年がノックする。出てきた女性にウサギを三羽見せたら、百五十シェルの代金を差し出された。


「やっすいなぁ」

「いつもそんなもんよ」


 ウサギを持つ彼も内心そんなもんだろうとは思った、が一応不満を示してみる。


「お姉さんのところの食事の一食分くらいじゃない」

「うちそんなに高くないわよ。イルク君、強そうなんだからオオトカゲくらい取ってきてよ。他の店より高く買うから」

「考えとくわ」


 だがささやかな抵抗は無駄のようだ。イルクは諦め、腰に巻いたカバンに小銭を詰め込み笑顔で軽く礼する。


 いつもウサギを買い取ってもらうこの食事処は、どちらかというと裕福層やちょっと贅沢したい旅人向けの少しお高い店。

 イルクは別の酒場に向かう。食事を取るのは狩人や冒険者、少し訳ありの者などが好んで集まるこちらのほうだ。

 そこはいつも笑い声や怒鳴り声でうるさいが、今日は一歩踏み込んだ瞬間それを上回ったもっと大きな豪快な声が耳に届いた。


「おお、やっと来たか。ちょっとこっち来いよ、イルク」


 大柄で強面の男が大きく手を振っている。

 同じような大声は返したくない。軽く手をあげて近くへ向かう。


「なんかいい話? グレイ」


 一見怖そうな風貌の彼はグレイと名乗る冒険者。本名ではないらしい。悪いこともいいこともするぞという意味の灰色グレイだと以前本人から聞いたがそれは粋がってるだけで、実際は悪いことをしているところを見たことがない。間違いなく善人の部類の人間だ。


「西の川にラプトルが出たらしくて腕の立つヤツ集めてる。少人数で行きたいからお前みたいなソロ活動のヤツが来てくれるとありがたいんだが」

「ラプトル……小型の竜だっけ。俺、魔物系統は守備範囲外なんだけど」

「あんなのただのトカゲだよトカゲ。俺が見繕うヤツで十分勝てるから問題はない」

「何人で勝てるってみてるんだ?」

「四人ってとこかな」


 強面の男は意外に可愛い笑顔を見せながら、皮算用のメモ書きをそっと見せてくる。まあまあの値だ。ちょうど明日くらいに宿代を調達しようと思っていた身としては魅力的。


「これを等分?」

「勿論」

「じゃあ行くわ」

「よし、決まりだ。出発は明日の朝八時、町の西門前な」


 グレイが握手を求めてきたので、メモを裏返して机に置いて手を握った。


 イルクは正直ここの喧噪は好きではなかった。だが食事代が安めなのと仕事と情報を得るにはかかせない場所であるということで仕方なく毎日寄っている。

 そして今夜はその仕事が速攻見つかった。運がいい。

 持ち帰り用の串焼き肉を注文し、壁に背もたれ出来上がりを待つ。

 すると今度は情報の方が耳に入ってきた。近くの席に座る冒険者たちの語る噂話として。


「ダムダラヴェーダの、皇子の噂聞いたか?」

「ああ、なんでもラヴェーダ神の生まれ変わりとか」

「そんなのが現れたってのが本当なら一体どうなってしまうんだろうな」


 ……どうでもいい情報だった。

 うんざりしていると店の人に手招きされ、イルクは注文した肉を受け取った。




    ◇◇◇




 四年前、エレクファレリア帝国の皇帝から直接たまわった命令。

 それは『女帝を倒すこと』、それが無理なら『女帝の子を倒すこと』。

 闇の女帝は自らの身体に神を下ろし、自らの子として産んだという。実際にそんなことが可能なのかはわからないが。

 皇子が闇の神ラヴェーダとして覚醒すれば、世界はどうなってしまうのか。今でさえ誰も女帝に敵わないのに。


 だから光の皇帝は、勇者に命じた。

 せめて皇子を亡き者にすれば、最悪でも現状維持――今は闇の帝国領内に入りさえしなければ何事も起こらない休戦状態であり、それは維持できるだろうと。


 皇子自体は今はまだ幼いという。弱い、のかもしれない。

 しかし忍び込んだ時点で捕まって「食われる」という帝国中心部に入って、無事にそんなミッションこなせるわけがない!

 大体中身がどうであれ、子供の姿をした皇子を目の前にしたとして、それを躊躇ためらいなく殺すことができるのか……?

 

 イルクはそんな命令を聞いた瞬間、逃亡生活を決めたのであった。




    ◇◇◇




 肉を受け取ったイルクは、噂を語る冒険者を横目に溜息をついた。


 四年前、闇の皇子の存在は各国のお偉いさんの中の超機密事項だったはず。

 たった四年でこんな場末の酒場で噂されるなんてどんな情報管理をしているんだ、と。

 もしかしたら、勇者は一体どこで何をしているんだ! という意味で偉い人の間で話題になって、結果下々の者も知ることになってしまっているのかもしれないけれど。



 酒場を出る。

 人目のないところで楕円のプレートを取り出した。

 黄色に銅枠。色で発行国と枠でおよその身分を示す身元証明だ。しかし身元証明と言っても庶民を表す銅枠に関しては偽名での登録は簡単。もちろんこれも逃亡後にエレクファレリア帝国内で適当に作ってもらったものだ。


 表にあたる面に『イルク・ディザーネ』と彫られている。名字は母の旧姓。

 適当な偽名だけど別に全然問題はない。自分は今フルネームで名乗る機会も少ない、地位も名誉も何もないウサギ狩りで生活する一般庶民だから。


 皇帝から頂いた勇者としての身元証明、貴族階級の金枠のものは、実はまだ捨てきれていないのだけれど――



 新しい名前を得たあと、イルクはエレクファレリア帝国の辺境で今のような狩人ではなくもっと積極的に魔物などと戦う「冒険者」と呼ばれるようなことをして過ごしていた。

 そして冒険者としての仲間も出来た。

 出来ていた、が。




 長く住んでいる宿に戻り、腰のカバンを外しベッドに叩きつける。

 思い出したくないことを思い出しかけた。

 買ってきた肉に齧りつきながら、椅子に乱暴に座る。


 本当は、このままじゃダメだとわかってはいるけど……!



 今だって本当は欲しい。

 孤独を埋め、共に戦う仲間が。

 でも今の自分に仲間が出来たとして、どうするんだ?

 仲良くドラゴンでも狩るのか?

 巨大な闇に……挑むのか?

 そして共に死ぬのか?


 大切な仲間が出来たとしてもきっと共に不幸になる。

 そんなの、嫌だ。



 イルクは串をゴミ箱に投げ入れた。

 肉の味は覚えていない。




    ◇◇◇




 次の日の仕事は順調だった。


 この周辺では中堅クラスの魔物にあたるラプトルをあっさりと狩ることができ、肉と皮をそれぞれ食糧の加工屋と革細工屋へ売り飛ばす。そして金は公平に山分け。

 グレイが集めた人員がまともだったのと、その彼の采配のおかげ。イルクのような独りソロでやっていってる者にとってありがたいタイプの知人だ。……と、思っていた。

 余計なことを言われるこのときまで。


 久しぶりのまとまった現金を受け取るその瞬間、グレイは小声で言った。

 

「本当はさっきくらいのならひとりで倒せるんじゃないか?」

「……まさか、いつも声かけてもらって助かってるよ」


 イルクは笑顔で返す。

 内心は、多少の困惑と苛立ち。

 グレイは人を見る目がある。そのお陰でいい仕事と一時的な仲間に恵まれるのだが、その才能のせいでイルクが本来の実力を出していないことに気付いたのだろう。できるだけ目立ちたくないイルクにとってはそういう風に思われるのは嬉しくないこと。


 面倒なことになる前に、この町から出た方がいいかな。


 イルクがそう思いながら帰ろうとしたら、グレイがあの酒場で祝杯をあげようという。それも奢りで。


 拒否したらさらに変に思われそうだ。

 正直気が向かなかったが、付いていくことにした。

 腹が膨れること自体は悪くないから。

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