泥地のシラリゼーション
鑑光あみか
序章
ウサギ狩りの勇者
黒髪の青年が見ているのはウサギだった。
この森にいちばんたくさんいる動物だ。魔物と呼ばれるものと動物と呼ばれるものの間に明確なラインがあるわけではないけれど、それは本当にただの野ウサギ。
その非力な存在を
「よし、食事代ゲット」
これで今日獲れたウサギは三羽目。町で売るためのものだ。
贅沢さえしなければ夕食と明日の朝食までの代金にはなるだろう。
そういえばそろそろ一ヶ月分の宿代も払わないと。
明日は頑張ってシカかイノシシあたりを狙ってみようかな。
ウサギを抱え、明日のことを思案しながら町へ帰る青年。
丈夫だが上等ではない麻の服と、腕と脚だけ革装備。得意武器である槍だけはちょっとだけ立派だけれど、それ以外は全くの貧乏狩人のいでたち。そして実際貧乏。
長身で端正な顔立ちの彼は、一見やり手の狩人に見えるというのに狩ってくるものはウサギか良くてもシカ。
そういう逆の意外性で町では有名だった。
青年の名はイルク。
実のところは、世界に二つある帝国やその他の王族貴族から先祖代々魔物退治などを依頼され退治してきていた家系の現当主。
歴代、彼の家系の当主は勇者と呼ばれ尊敬を集めていた。
だから彼も今代の勇者のはずなのだが……
◇◇◇
四年前、イルクが十八歳のころに
イルクの実家はレオングラード騎士団領という、この大陸の北東に位置する国にあった。
そこで武術修行に明け暮れていたイルクの元に光の帝国の皇帝からの手紙が届けられた。
光の帝国という呼称の国。
それは光の神エレクシファルを主神とする、エレクファレリア帝国のことだ。
大陸の北部全体を占める、経済的にも文化的にも軍事的にも、世界で最も発展した国である。
『アイベリル家の当主イルクロー・アイベリル殿へ
偉大なる先代先々代の勇者殿に続き、闇の女帝に立ち向かっていただきたく迎えを送った。宮殿まで来ていただきたい。
エレクファレリア帝国皇帝』
そう書かれた手紙を読み、イルクは溜息をつく。
「皇帝陛下はまだ、俺みたいなのになにか期待をしているのか?」
「はい、もちろんです勇者様。旅立ちのための資金等はこちらで準備いたしますので、今すぐに出発の準備をしてください」
皇帝の使いは表情も変えずに答える。
勇者様と呼びながらも、敬意のかけらも感じない。
イルクは家の唯一の使用人である初老の白魔法使いクレフに視線を向けた。
……クレフも戸惑っていた。それは当然のことだ。
彼は、若いころからアイベリル家に仕えており、使いの言う、先代先々代が光の皇帝に呼び出されたところを見ていたからだ。そしてその両方があえなく討ち死にしたという現実も。
「クレフ、断れる雰囲気ではなさそうだ。行ってくるよ」
「はい……どうかお気をつけて……」
若い勇者はこの突然の呼び出し以降、この家には戻っていない。
帝国に
そしてそれが無理だというなら別のもうひとつ。
それらの
――闇の女帝。
正確には、闇の神を主神として
闇の帝国ダムダラヴェーダは光の帝国エレクファレリアと並ぶ二大帝国のひとつである。
元々はごく普通の、他の国々とも自由に交流する国家だったのだが七十年ほど前に豹変した。
ただでさえ有力な闇魔法使いだった女皇帝が、何らかの術で不老不死となり恐怖政治を始めたのだ。
女帝以外の皇族は全て殺され、逆らう者も全て処刑。帝国領内にはたくさんの魔物が放され盗賊山賊たちも放置され、当帝国民はもちろんのこと隣接する各国にも被害が及ぶ事態に各国は猛抗議する。
しかし抗議は聞き入れられるどころか各国使節団は魔物に変えられ国に戻され、各国で大量の犠牲者を出す。
その後大規模な世界大戦が起こったが、どの国も闇の帝国に打撃を与えることはできなかった。
闇の帝国の領土の八割を占める
勇ましくも、もしくは運良くも闇の宮殿にたどり着いた勇士たちは、女帝に文字通り「食われる」名誉を与えられるという。
何十年間も、女帝を倒すため、もしくは内部を探るために精鋭隊を密かに送り続ける各国。
その少人数の精鋭の中にはもちろん勇者と呼ばれる者とその仲間たちもいた。
そしてその二世代とも消息不明、つまりはパーティごと全滅となったわけだ。
それまでは「勇者」と名乗れば、世界中の人々から尊敬の念を受けていた。
しかし闇の女帝に全く歯が立たない現状に、人は手のひらを反すように嘲笑するようになる。
何が勇者だ、勇気あるだけでは何にもならない、と。
そんな今の時代、父や祖父の生きた時代のように、闇の女帝を倒すことに命を捧げる仲間など見つかるはずがないじゃないか。
自分自身、父や祖父より強くなれるかも自信がない。
女帝を倒せる可能性などゼロに等しい。
女帝に挑んで消息不明になるのも、このままただ消息不明になるのも全く変わらないじゃないか!
だからイルクは勇者の名を捨てた。
そしてこの森の奥の町で、のんびりウサギを狩っている。
満たされることはないが、苦しむこともない。
彼はそんな、それなりに安定はした、凡庸な人生を送ろうと毎日を過ごしていた。
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