鉄仮面の彼 / 霜月誠

追手門学院大学文芸同好会

第1話

 午後八時の純喫茶にて、1組のカップルが向かい合わせで座っている。会話は途切れ途切れで、彼女のほうはカフェオレの入ったカップを両手で持ったままどこか一点を凝視し、彼氏に至っては読書に耽っている。

 このカップルを見て、読者諸君はどう感じるか。おそらく十人のうち七人は別れる寸前と答え、二人はすでに別れているのではと深読みし、一人は別れてしまえと願っているだろう。

 カフェオレを手に一点を見つめる彼女こそ「私」なのだが、前述の十人の意見はすべて不正解であると断言しよう。

 確かに今の私はニコリともしていないし、「彼」の視線は手元のヘミングウェイの『老人と海』に注がれている。傍から見ればカップル特有のキャッキャウフフなオーラは一切感じられず、冷えきったカップルだと思われても無理はない。

 しかし、 私たちは外面に出さないだけで、世間で言うところの「アッツアツのラッブラブ」なのだ。今日も仕事帰りに駅で待ち合わせ、夕食としてラーメンをカウンター席で貪り、行きつけの純喫茶でチルタイムを過ごすという、週一のささやかなデートを思う存分楽しんでいる。

 笑顔と会話の量と幸せの質が、必ずしも比例するとは限らないことを、読書諸君の心に留めておいてほしい。

 かく言う私も、交際当初は戸惑ったものだ。彼は顔に神経が通っていないのかと思うほど表情が動かず、口が接着剤でくっついているのかと疑うほど寡黙であった。

 共通の友人の紹介で一年前に出会ったのだが、そのときの表情は今よりもほんの少し柔らかく、会話のラリーもある程度は続いていた。それが知り合いから恋人という関係に昇格した途端、彼は鉄仮面を被り、口を閉じた。

 何度かデートに行ったものの、彼は私といて楽しいか不安になり、一度「私のことを本当に好きなのか」とボウリングの玉並に重いボールを会話のラリーに投げたことがある。

 そのとき彼は眉を八の字にして、「好きです。貴女といると、緊張してしまいます。好きな人の彼氏になれて、舞い上がっているのです。でもそんな一面を見せたら幻滅されそうで、それが怖くて隠しているのです」と、なぜか敬語で言った。

 それから私の好きなところ、好きになったきっかけなどを延々と語られたのだが、ここで書くにはあまりにも恥ずかしいので割愛させていただこう。

 彼の無表情と寡黙の理由というより原因が、私へのあり余る好意だと知ったとき、私はどうしようもなく彼を愛おしいと思った。

 一年経った今でも無表情と寡黙さは変わらないが、それが交際当初から変わらず好きでいてくれる証のような気がして、私も満更でもない気持ちになるのだ。


 私は持っていたカフェオレから視線を移し、ページをめくる彼を見つめた。

 白シャツにボルドーのネクタイを合わせ、ニットとジャケットを黒で統一した服装は、英国紳士を彷彿とさせる。スーツだと二割増でかっこよく見えるとはよく言うが、私は七割増の間違いではないかと思う。

 しばらくすると、彼の目線が一点で止まっていることに気がついた。

「どうしたの?」

 と訊くと、彼は顔を本に向けたまま口を開いた。

「前に出かけたときに買ってあげたワンピース、まさか今日着てくるとは思ってなくて。可愛くて、本の内容全然頭に入ってこなかった」

 声量がいつもより小さい。本気で照れているときの喋り方だ。

「なにそれ。私が飲み終わったら、もう出よう」

 予想外の返答で、こっちまで照れてしまう。

 弧を描こうとする口元を隠すように、私はカップのカフェオレを飲み干した。いつもより甘く感じられたのは、きっと気のせいだろう。




あとがき

 引退するときまで〆切ギリギリに書き始める悪癖が治らなかった、作者の霜月です。お読みいただきありがとうございました。また次回お会いしましょう、と言えないのが寂しいですね。今後は後輩たちの作品を楽しみにしていただけたらと思います。ありがとうございました!

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