第56話 商会作成と離婚の準備
「──アルベルト、だいじょうぶ?気を付けてね、怪我しないでね?」
「慣れてる。だいじょうぶ。」
強盗に風穴を開けあられてしまった屋根を修理する為、大工さんを紹介して欲しいと工房長にお願いしたところ、慣れているから自分がやるとアルベルトが名乗り出てくれた。
今アルベルトは、屋根の上に登って、強盗に開けられた巨大な穴を修理してくれているところだ。けれどいくら慣れているとは言っても、本職は絵の具職人なのだ。
そもそも危険な仕事に代わりはないし、ましてや本職でもないのにそんな仕事をして本当にだいじょうぶなのかしらと心配になる。
以前も屋根の上に乗って降りられなくなった子猫のザジーを、屋根の上に登って助けたと言っていたし、高いところが得意なのかしら?普段から屋根に登るとも言っていたわ。
けれどアルベルトは私の心配をよそに、手際よく屋根の穴を塞いで、なおかつ屋根を頑丈に補強してくれたのだった。
「終わった。もうだいじょうぶ。前より頑丈になった筈。心配ない。安心して。」
そう言って穏やかに微笑んだ。
「危険な仕事だったのにありがとう。お茶を入れるから飲んでいってちょうだい。」
私は代金はいらないというアルベルトに、少しでもお礼がしたくてそう提案した。
「俺の専用のティーカップで?」
「そうね、この間購入したティーカップを使いましょう。」
アルベルトと日用品の買い出しに行った時に、私はアルベルト専用のティーカップを購入していた。絵のモデルのこともあるし、頻繁に家に来るだろうと思ったのだ。
もちろん工房長とお父さまの分も購入してあるんだけれど、アルベルトは自分専用のティーカップがあることをいたく喜んでいた。
「騎士さまも、あなたの旦那さんも持ってない。俺だけの専用ティーカップ。だよね?」
「……?そうね?」
いったいぜんたい、そんなことの何がそんなに嬉しいのかしら?アルベルトはニコニコしながら、私の淹れたお茶を飲んでいた。
「おいしい。」
「そう、それは良かったわ。久しぶりに淹れたから、ちょっと自信がなかったの。」
「家じゃやらなかったの?」
「実家じゃしていたんだけれど、婚家では一応メイドってものがいたから。うちの実家は貧乏で、なんでも自分でやっていたのよ。」
「これからは、なんでも出来るようになる。ここはあなたの城だから。」
「そうね。これからは誰にも邪魔されずに生活が出来るのよね。料理も久しぶりよ。」
「早く食べてみたいな。」
「絵のモデルをしてくれる時に、休憩時間に振る舞う予定だから、楽しみにしていて。」
「……あの人は、もう食べたから。」
「あの人?」
「あなたの旦那さん。」
「ああ。でもあれは病人食というか、仕方がないじゃない?具合が悪い人を、いくら離婚しようとしているからって、放ってはおけないもの。振る舞ったつもりはないわよ?」
「でも、夜も食べた。」
「ああ……。なんか有耶無耶のうちに、料理させられたわね……。なんで私の手料理なんか、今更食べたがったのかわからないけど。」
「だから、早く食べたい。」
「うん?そうね?」
イザークが私の手料理を食べたことと、早く料理が食べたいことは何が関係するの?
「おかわりはどう?俺も、あなたにお茶を注いでいいかな?」
アルベルトは、相変わらずニコニコしている。やってみたかったのかしら?
「ええ、もちろん構わないけど。」
アルベルトがそう言ってくれたので、私はお茶のお代わりをカップに注いでもらった。
……何がしたいのかよくわからないわ。私は不思議に思いながら、アルベルトの注いでくれたお茶を飲み干した。
「今日は用事があって、絵のモデルは必要ないんだよね?」
紅茶を飲みながらアルベルトが言う。
「そうね、商会を作って、銀行口座用の印章と、商会印章を作らないといけないの。魔塔から支払われるお金の振込先を商会にしないと、イザークに私の財産を半分渡さなくちゃならなくて、離婚の際に不利になるから。」
「わかった。無事離婚出来るといいね。」
「そうね。早く落ち着きたいわ。
──そろそろ行かなくちゃ。アルベルトも仕事があるでしょう?」
「うん、そうだね。」
「片付けるわ。」
「手伝うよ。」
アルベルトはそう言うと立ち上がり、ティーカップを四角いお盆に乗せるのを手伝ってくれた。本当に働き者だわ。
私も茶渋がつかないように、出かけるまでに洗い物をしないとね。そう思って立ち上がると、思いの他、空になった筈のティーセットが重たくて、足元がふらついてしまう。
「──危ない!」
アルベルトが声をかけてきて思わず振り向いた。私に手を伸ばす姿が見えた。
するとすぐ側にいたアルベルトは私を抱き寄せて、私を支えつつ、四角いお盆をも落ちないように片手で持って支えてくれた。
「あ、ありがとう……。」
「気を付けて。それ、結構重たい。」
アルベルトは、お盆を私から受け取ると、それをテーブルに置いて、私を支えつつ、そして私の肩を抱いてきた。
「怪我はない?」
そのまま椅子に座らせてくれた。
……なんだろう?なんだか距離が近い。
「え、ええ。アルベルトが支えてくれたから何も問題はなかったわ。」
私はちょっとドキドキしながらアルベルトにそう答えた。
……あら?私はなんでドキドキしてるのかしら?相手はかなり年下の男性なのに。でもなんだかやっぱり気恥ずかしいわ。私は少し俯きながら、アルベルトから目をそらした。
「洗うんでしょ?俺がやってあげるよ。おっちょこちょいだから、心配になる。」
すると彼は少し笑って言ったのだ。
──まるで恋人に言うみたいに。
それはそれは甘くて優しい、私を甘やかしたくて仕方のない恋人のようだった。
私が心の中で葛藤している間も、アルベルトは甘く優しく私にささやき続けた。
「あなたには優しくしてあげたくなるんだ。どうしてかわからないけど。
ただ、これだけは言えるよ。
──逃がさない。俺のものになって。」
そんな不穏な言葉を言ってくる。
「あ、ありがとう?でも、別に私は逃げたりしないし、誰かのものになるとか、今はまだ考えられないの。わかって欲しいわ。」
私は戸惑いつつも、なるべく平静を装って答えたのだった。……だいたい今日のアルベルトは、ちょっと変じゃない?
私ばかりがドキドキして、なんだか馬鹿みたいじゃない!と内心で思う。
するとアルベルトが目を細めて口を開いたのだ。そして言った言葉がこうだった。
「──毎日、お茶を飲みに来るよ。その時あなたを口説きに来るから覚悟して。騎士さまにも、旦那さんにも、負けない。」
私はアルベルトの大胆な言葉に驚いて顔を上げた。するとアルベルトは、私の頬に手を添えて優しく撫でながら、甘く微笑んでいたのだった。
……もう!なんなの?今日のアルベルトってば!私はなんだか悔しくて恥ずかしくて、でもドキドキして……。そんな気持ちを誤魔化すように口を開いたのだ。
「私、そんな軽い女じゃありません。離婚するからって、すぐに他の男性に靡くような、そんな女だと思わないで欲しいわ。」
私ばっかりがドキドキするなんて悔しい!そんな気持ちで言った言葉は、きっと可愛げのないものだったろうと思う。けれどアルベルトは、なぜか嬉しそうに微笑んだのだ。
その笑顔を見てしまうともうダメだった。私はまた悔しく思いつつも、アルベルトにも急速に惹かれつつある自分を自覚したのだった。レオンハルトさまといい、アルベルトといい、私、一体どうしちゃったんだろうか。
私は椅子に座らされたまま、洗い物は結局アルベルトがすべてやってくれた。ヴィリと約束していたから、アルベルトとはそこで別れて私は町へ向かう馬車に乗った。
お昼前の時間になり、私はヴィリのところへ商会を作る為にやって来た。ヴィリは笑顔で手を振りながら出迎えてくれた。
ヴィリの用意してくれた馬車で、まずは銀行用の印章と、商会用の印章を掘ってくれるという工房に向かうこととなった。
「商会を作るには、まずは2つの印章と、なんの仕事をする商会か、代表者は誰か、なんかを書いた書面が必要になるんだ。書き方は僕が教えるから、安心してね。」
「なにから何までごめんなさい。でも、とても助かるわ。ヴィリだって絵の仕事があるでしょう?こんなにたくさん私の為に時間を作ってもらって、申し訳ないわ。」
「気にしないでよ。僕はね、君に頼りになる男性だと思われたいんだから。僕が君にとって役に立つ人間だと、頼りになる人間だと思わせられるのは、絵と商会のことだけだからね。僕はむしろ張り切っているんだ。」
そんな風に言ってくれた。
「じゅうぶん頼りにしているし、頼りになる男性だと思っているわよ?」
「もしそうなら嬉しいな。」
ヴィリは本当に嬉しそうに微笑んだ。
「印章が出来るには時間がかかるから、出来るまでの間にどこかで食事にしようか。」
「ええ、いいわよ。ちょうどお昼にいい時間だしね。そろそろお腹がすいてきたわ。」
時間を潰すのにももってこいね。
「印章を作る作業というのは、本当はもっと時間のかかるものなんだけどね。君が急いでいると言うし、付き合いの長い工房だったから、お願いして当日仕上げにしてもらったんだ。午後には受け取れると思うよ。」
「本当!?そんなことを頼んでくれたの?ええ、私とっても急いでいたの。ヴィリ、あなたったら本当に頼りになる男性だわ!」
私は驚いてそう声を上げた。
ヴィリは照れたように頭を搔いて微笑んでいた。工房に到着すると、印章のデザインを相談された。私は持参したデザインを工房の人に手渡した。
剣の周囲を百合の花が囲んでいるデザインだ。これが今の私の気持ち。私の中には一本の折れない剣があって、だけど殺伐とした気持ちじゃなく、明るい未来も描いている。
それを百合の花で現したのだ。いいデザインだね、とヴィリも言ってくれた。印章の作成を任せて、私たちはヴィリのおすすめだというお店でランチをすることにした。
異国の料理を出すというそのお店は、とても美味しくて大満足だった。
「素敵なお店をご存知なんですね。とても美味しかったですわ。また来てみたいです。」
「あなたを連れてくるならここだと思いました。気に入っていただけて良かったです。」
食後の紅茶を飲みながらそう告げる私に、ヴィリは嬉しそうに微笑む。
お茶を飲みながらしばらく話をして、工房に印章を取りに向かった。印章はイメージ通りの仕上がりだった。デザインが同じで、四角い印章と、丸い印章が2つ出来ていた。
どちらを銀行用にしても構わないとのことだったけれど、通常は丸いほうを銀行用にすることが多いと言われた。丸い印章は大小2つあって、小さい方は小切手用らしい。
続いて図書館に向かって、私の商会の定款を作成する。それと印章を持って、商業ギルドに申請するのだ。申請手数料として小金貨6枚を支払う。お金はヴィリが立て替えてくれた。無事申請を終えると、今度は商業ギルドの発行してくれた、ギルド員であることを証明する徽章と銀行員を持参して、これでようやく商会用の銀行口座が作れるのだ。
「……これが私の、商会の銀行口座ね!」
私は銀行口座を示すカードを手にして、日にかざすように掲げて眺めた。
「これで、振込先を商会に指定出来るよ。」
「さっそく魔塔に口座が出来たことを連絡しなくちゃ!これで無事離婚になっても、イザークにお金を取られることがなくなるわ!ヴィリ、手伝ってくれて本当にありがとう!」
「どういたしまして。君の為ならどうってことないよ。お金が振り込まれる手続きを終えたら、すぐにでも離婚するの?」
「ええ、待っていられないもの。いつまでも結婚した状態のままで他の家に住んでいたら、結婚継続の義務放棄として、私の立場が悪くなるわ。イザークは私に乱暴をはたらいていたから、離婚申請さえすれば、緊急避難ということになって、問題がなくなるの。」
これは魔塔の女性職員さんが、離婚の際に財産を夫に取られない為の方法を教えてくれる時に、一緒に教えてくれたことだ。
あの時私はまだロイエンタール伯爵家を出ていなかったけれど、もし万が一出ることになった場合、出た側に非があるとされる場合があることを、彼女は教えてくれたのだ。
そうならない為には私はこれからどうすればよいのかと、色々と教えてくれた。だから私はあれから日記をつけていた。短い期間ではあったけれど、とにかく色々とやらかしてくれたから、ひとまずの証拠にはなる。
だから私は安心して逃げてこれたのだ。もしも家を出たら、私だけに非があるとされてしまうのだとしたら、イザークに泣き縋ってでも、離婚まではロイエンタール伯爵家にいさせてもらうよう懇願したことだろう。
それを心穏やかに一人暮らしを始めることが出来て、新しい仕事も受けることが出来ている。すべては彼女のおかげだった。
「あとは万が一のことを考えて、離婚に強い弁護士を探さなくちゃね。ロイエンタール伯爵家と戦うんだもの。私1人じゃこころもとないわ。法律に強い味方が必要よ。」
「離婚に強い弁護士ね……。1人心あたりがなくもないよ。若い女性の、と言っても僕らよりはだいぶ年上だけど、主に離婚専門に扱っている弁護士なんだ。」
「ヴィリ、それ本当!?」
「貴族を扱ったことがあるかはわからないけど、きっと味方になってくれると思うよ。頼んでみるかい?なら連絡をとってあげる。」
「ええ、ぜひお願いするわ!離婚を多数扱ってきているというだけでも、私にはかなり心強いもの。おまけに女性なら、いうことないわ。ぜひその方を紹介してちょうだい!」
「わかった。今抱えている案件次第では、受けてもらえるかはわからないけど、さっそく連絡を取ってみるよ。君の離婚問題は君だけの問題じゃないからね。僕にもとても関係のあることだ。精一杯力にならせて貰うよ。」
「え、ええ、そうね……?」
私の離婚問題が他人事じゃないだなんて、ヴィリは本当に友だち思いな人なんだわ。
心強い味方から頼りになりそうな弁護士の情報を手に入れて、私は今すぐにでも離婚出来そうな、そんな明るい気分になっていた。
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