第55話 アデラ・フォン・ロイエンタール前伯爵夫人の訪問

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「ずいぶんと図々しいことになっているようじゃないの、……あの生意気な嫁は。」

「……お久しぶりですお母さま。久々にいらっしゃったかと思えばまた唐突ですね。」


 イサークの母親、アデラ・フォン・ロイエンタール前伯爵夫人は、着てきた上着を侍女に脱がされつつ預けながら歩いて来た。


 なんの先触れもなく、突然ロイエンタール伯爵家を訪問したのだ。アデラが屋敷に来る時はいつもそうだった。


 商会の権利はイザークが有しているが、前ロイエンタール伯爵亡きあと、屋敷の権利も領地の権利もまだアデラが有している。


 法律的に、先代とその配偶者、双方が亡くなるまでは、息子夫婦は伯爵家を借りて住んでいるという立場となる。その自分の家に来るのになぜ先触れなど必要だというのか。


 アデラはそう考えていた。特に領地やロイエンタール伯爵家の屋敷の管理を息子の嫁に引き継がず、現役で対応していることから、自分のものであるという意識が強い。


「ご健勝でいらっしゃいましたか?」

「まぁね。あなたも元気そうだこと。」

 お互い形だけの挨拶をかわした。

「……一応お伺いしますが何用でしょう?」


 普段でも別に実母の来訪を歓迎しているわけではないが、今日は一段とそのようだ。

「あら、ご挨拶だこと。母親が息子の顔を見に来ることになんの問題があると言うの?」


 だいぶ年齢による皺が刻まれたとはいえ、まだまだ美しいアデラは、そう言って柳眉を潜めながら皮肉げに笑う。


 若い時のアデラと、前ロイエンタール伯爵が並んだ姿は、それはそれは美しい、1枚の絵画のようだと言われたものだ。


 その為、地味で暗い息子の妻を疎ましく思うと同時に嘲っていた。この年齢の自分よりも、美しいと言われることの出来ない嫁。


 ──成人した息子がいても、自分のほうがはるかに美しい……。アデラはそう自負していた。だからこそ、最近聞こえてきた、現ロイエンタール伯爵夫人が美しいという噂に納得がいっていなかったのだ。


 最初は美しいロイエンタール伯爵夫人、という言葉を聞いて、てっきり自分のことだと思い込み、顔に出さずにほくそ笑んでいた。


 だがどうやら息子の嫁のことだとわかった途端、なんて見る目のない人たちかしら、とまるで自分が息子の嫁と比較されて貶められたかのような不快感をあらわにした。


 それに加えて、魔法絵師としてのスキルを開花させたとまで聞く。魔法絵師は花形職業だ。アデリナ・アーベレ公爵令嬢のこともあり、特に女性の憧れの仕事なのである。


 そんなアデラですらも憧れる、特別な仕事の魔法絵師に息子の妻がなっただけでなく、アデリナ・アーベレ嬢とも親しくしていると聞く。あの社交嫌いがどうしたことか。


 イザークにいいつけて、本人が参加したがる社交はことごとく潰させてきた。

 いったいどこで親しくなったというのか。


 イザークには、あなたの仕事に必要のない社交は意味がないのよ、と言っていたが、少しでもあの見苦しい嫁が、自分の視界に入る可能性を潰したかったのだ。


 そう言っておけば、派手な社交を嫌うあの嫁は、アデラが参加するパーティーなどにはそもそも顔を出さないし、万が一にも王妃さまが主催する読書サロンなどにも、顔を出せなくなり、心穏やかに生活が出来るのだ。


 アデラの記憶の中のイザークの妻といえば、常にうつむきがちで、両手を前で揃えて、暗い表情をしているつまらない女だった。


 イザークが文句を言わない妻を、と求めただけあって、何も主張をしてこない。

 だから伯爵夫人としての、領地経営などの仕事を、アデラは手放さなかった。


 息子に妻がいるにも関わらず、アデラが伯爵夫人としての仕事をしていれば、おのずと無能な妻と、それを支える有能で心優しい義母の図式が出来上がる。


 アデラは、今なお美しく、有能で、無能な息子の嫁をサポートし続ける前伯爵夫人、という評価を手放すつもりは毛頭なかった。


 イザークの妻が何も主張をせず、アデラの好きにさせ続けることで、アデラは社交界での地位を確固たるものとしていた。


 わざとその役目を引き継がないのだということは、ロイエンタール伯爵家の内情に詳しい人間でなければわからないことだった。


「……まぁいいわ。今日はね、イザークの嫁の顔を見に来たのよ。」

「お母さま!それは……。」

 イザークが目線をそらして言い淀む。


「なあに?なにか問題でもあるのかしら?」

「……いえ、問題はありませんが。」

 歯切れの悪い口調でイザークが言う。


「だったらいいじゃない。聞いたところによると、魔法絵師になって、アデリナ・アーベレ嬢とも親しくなったのですって?

 で?嫁はどこにいるのよ?」


「はい、それが……お母さま。」

「なにかしら?」

「妻は今ここにはおりません。」

 イザークの言葉にアデラは目を丸くする。


「……はぁ?あなた何言ってるの?

 そんな筈はないでしょうよ。あの社交嫌いが家にいないわけがないでしょう。」


「お母さま!ですから!今ここには妻はいないんです!!」

 イザークが強い言葉で否定してくる。アデラは頭がついていかない。


 今日は、自身の義理の娘、つまりイザークの妻であるフィリーネと対面する為に、わざわざ来たのである。


 急に目立つ行動をするようになった息子の嫁に、釘をさす為に。そしてまた大人しくさせるつもりでいたのだ。

 それなのに、この場に妻がいないと言う。


「どういうことなの?」

「ですから、お母さま。妻は今、ここにいないのです。」

 イザークは同じ言葉をただ繰り返した。


「だから!それがわからないのよ!!どうしてあの生意気な嫁が家にいないの!ほんの少し交友関係を広げたからって、毎日出かける程の誘いがあの子にあるとでも言うの!?」


「……お母さま、落ち着いてください。」

「これが落ち着いていられるものですか!」

 まさかあの地味な娘が、急に周囲にチヤホヤされだしたとでもいうのか。


 それは自分の役目なのだ。未来永劫、ロイエンタール伯爵夫人と呼ばれるべきは、尊敬と注目を集めるのはこのアデラなのだ、と、アデラは苦々しく思っていた。


 より地位の高い貴族との縁続きを願い、それを叶えられなかった挙げ句手に入れた下位貴族のお飾りの妻などに、ロイエンタール伯爵家の何も与えてやるつもりはなかった。


「お母さま……。」

 母の形相に困惑するイザーク。

「で、どういうことか説明してくださる?」

 手にしていた扇子をパチンと鳴らした。


「……はぁ……わかりました。ですがその前に応接室にお越しいただき、ソファーにお座りください。お茶を用意させますので。」


 アデラを応接室のソファーに座らせるとまずお茶を出し、イザークは妻であるフィリーネがこの屋敷から出て行った経緯を話した。

「……ということなんです。」


「……はぁ……。」

 アデラはすっかり呆れてしまった。まさか躾のつもりで家の外に出した嫁が、そのまま着の身着のまま屋敷を飛び出したなどと。


 さすがのイザークも予想していなかったことだろう。前伯爵夫人であるアデラは、自身の息子夫婦の仲が良くないことを充分理解していたし、会話がないことも知っていた。


 リハビリの為にメイドと話させたが、それでも自分の妻となった女との会話を、イザークはあまり好まなかったからだ。イザークの若い貴族の女性嫌いは治ることはなかった。


 息子の口数が日々少なくなっているのにも気づいていたが、まさかここまでとは思ってなかったのである。大人しいだけの嫁が、逃げ出すほど息子を嫌っていたとは。


 それにしてもやはり生意気な嫁だ。持参金がない名ばかりの貧乏貴族など、乞食と変わらない存在だとアデラは思っていた。


 まともに結婚出来ない立場をもらってやったというのに、まさか婚家から逃げ出して、息子に恥をかかせるなどありえないことだ。


「で?あなたはそれをただ黙って見ていたというの?」

「いえ!彼女がいないことに気が付いて、私もすぐに後を追いかけたのですが……。」


 イザークはそう言って、すぐに俯いた。

「居場所はすぐに特定出来たのですが……。」

「あなたでは無駄でしょうね。」


「ええ、お母さまの言う通りです。私では連れ戻すことが出来ませんでした。」

「……そうでしょうね。で?結局あなたはそれでよいと思っているのかしら?」


「いいえ。よくはありません。ですが、妻の気持ちを考えると……。」

「ああもう!じれったいわね!!首でも掴んで引きずってくればよいのですよ!」


 アデラは勢いに任せてテーブルを叩き割りたい思いに駆られたが、なんとか抑えた。

「……そんな言い方はないでしょう。」


 イザークが何か言い返そうとしたが、それを遮ってアデラは続ける。

「いい!私はね!あなたみたいなウジウジした男は好きじゃないのよ!」


「私だって好きでこうなわけでは……。」

「だったらシャキッとしなさいな!

 ……まったく、どうして私の息子はこんなに情けないのかしら……。」


 子どもの頃から繰り返し躾けてきたというのに、その性質が変わる様子が見られないことに、アデラは頭を抱えてため息を吐いた。そしてまた口を開く。


「いいこと?あなたはフィリーネを妻として迎えたのでしょう?」

「ええ、そうですよ。彼女は今も、私の妻です。それは未来永劫変わりません。」


「──だったら!あなたの妻は今どこにいるの?」

「……それは……。」

 イザークが目線をそらした。


「まさかとは思うけれど、どこか別の所に家がある……なんて言わないでしょうね?」

「……ええ。そのまさかです。」

 アデラは頭が沸騰するかと思った。


 それがわかっていて、連れ戻すことも出来ずに、そのままその家に妻を住まわせているということだ。あんな女1人、無理矢理にでも引きずってくればそれで済むものを。


「馬鹿じゃないの!おめおめと戻って来るなんて!夫のほうが立場が偉いということを、あなたはわからせなくてはいけないのよ?」


「そんな言い方はないでしょう。夫婦はどちらが偉いということはないものの筈です。」

 ムッとしたようにイザークが言い返す。


「お黙り!あなた、フィリーネのことを何もわかっていないようね?」

 アデラはやれやれといった調子で息子に言う。そして続けた。


「あの子は強く言われれば逆らえない子なのよ?あなたは貴族としては優し過ぎるから、強く言えなかったのでしょう?私がいつも言っている通り、厳しく躾けてやれば、あの子はきちんと言うことを聞く筈よ。」


「お言葉ですが、私は妻に対してもう、躾けるだとかそういったことは、行わないつもりなのです。対等な関係を築きたいのです。妻のことも少し見守るつもりでいるのです。」


 イザークが妻を庇うような発言をしたのでアデラはかなり驚いた。今までの息子であればこんなことはなかった。自分たちの言いつけを守って、すぐにでも行動した筈だ。


「馬鹿をおっしゃい!」

 アデラはそう叫んでから頭を振った。

「いい?あなたが今しなくちゃいけないのはね、妻の後を追いかけることなのよ。」


「……それはそうかもしれませんが……。」

「本当に情けないわね!ほら、さっさと立って妻を連れ戻しに行きなさいな!」


「しかし……。」

 イザークは中々立ち上がらない。

 アデラは段々と強い怒りを覚えだした。


「いい?あなたは気の利いた言葉の一つも言えないのだから、妻を甘やかすような真似はおやめなさい!妻をつけあがらせるくらいなら、離婚した方がまだマシよ!」


「……お母さま。」

 そんな煮え切らない息子に、アデラは再び絶叫するように叫ぶ。そうしなければ気が済まなかったのである。そして、その叫びは屋敷中に響き渡ったのだった。


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