第6話 魔法発動の仕組み

 お試し絵画教室で描いたザジーの絵と、部屋に戻ってから描いた2枚の、合計3枚の絵の中から、ザジーと、花瓶にいけられた花と蝶々が、キャンバスの上から忽然と消えていた。3枚目の壁掛け時計だけが無事だった。

 キャンバスはまるで新品同様だった。


 そして不思議なことに、テーブルの上にあった筈の花瓶と、昨日絵を描いたあとで窓の外に逃げた筈の黄色い蝶々が、クローゼットの中でヒラヒラと舞っていたのだった。

 ……そういえば、さっき部屋に戻って来た時、テーブルの上に花瓶はあったかしら?

 私は必死にそれを思い出そうとした。


 駄目だわ覚えていない。さっきクローゼットの扉があいていたのは、これをしまう為だったのかしら?でも、だけど、なぜ?いったい誰が、なんの為にこんなことを?

 いたずらにしたって変だ。私がクローゼットをあければすぐに気が付いてしまう。もちろん少しだけ嫌な気持ちにはなるけれど。


 困惑する私をよそに、ザジーは、にゃあ、と鳴いて、しゃがんでキャンバスを見つめている私の腕にピョンと飛び乗り、私の腕に愛らしく身をすりよせてから、

「──あっ!!」

 なんとキャンバスの中に吸い込まれるように消えていったのだ。そして再び、キャンバスの中には私の描いたザジーの姿が現れた。


「こんなことって……。」

 目の前の出来事が信じられない。

 だけどさっきまでいた子猫は、確かにこの部屋から消えたのだ。

「まさか……、魔石の粉末入りの絵の具の仕業なの?まさか、ね……?」

 そうとしか考えられなかった。


 だけど、これが魔石の粉末入りの絵の具の仕業なのか、確かめる必要がある。

 私はクローゼットの中にまだ残っている、花がいけられた花瓶を手に取ると、真っ白なキャンバスに近付けてみた。花瓶につられるように黄色い蝶々までもが、キャンバスの中へと吸い込まれていき、そして元の絵になってクローゼットの中から消えた。


「信じられないわ……。

 魔石の粉末入りの絵の具を使ったからといって、全員が魔法絵師になれるものではないというのに、私にも魔石に魔力を込められる力があったということなの?」

 貴族にも魔法を使う人はいる。そういう人は素養があることを鑑定で認められ、王立学園の魔術師クラスに入るのだ。


 私も王立学園の普通クラスに通っていたけれど、我が家は魔術師家系でも騎士家系でもないから、あくまで政略結婚前の花嫁修行の一環として、貴族の子女は全員行かされるので通っていたに過ぎない。

 大抵の人が弱い魔力は持っている。そうでなければ魔石を使ったオーブンなどの魔道具を使うことは出来ないからだ。


 魔法は魔石を仕込んだ杖という媒介をもとに発動するものだ。だけど魔石が大きいとそのぶん必要な魔力回路が複雑になってくる。

 一般的に火魔法使いは火属性の魔石でないと媒介にすることが出来ない。

 魔力回路の異なる魔石に、魔法を反応させるのは難しいからなのだとのこと。


 魔石は本来そのほとんどが無属性で、魔石に魔力や魔法そのものをこめることを職業にしている魔法使いによって、属性を持つ魔石に変わるのだ。オーブンに使われる魔石なんかは、魔塔の賢者たちの作った魔法を、魔力や魔法を込める仕事の魔法使いたちが、事前に魔法を込めて作られている。


 たいして魔石の粉末入りの絵の具に使われる魔石は、複雑な魔力回路を必要とする、攻撃用の属性魔法に耐えることが出来ない。

 あまりにも元の大きさが小さすぎる為だ。

 だけどコンロの火をつけたりするような簡単な属性魔法や、無属性魔法であれば、大きな力にも耐えられるのだ。


 これは本来無属性なものに無理やり属性を付与する弊害だと言われている。

 無属性魔法は色々あるけれど、最も一般的に使われているのが、契約書に関する無属性魔法だ。インクに無属性の魔法を使い、サインをしたものがそれをやぶった場合、指定した罰をあたえるというもの。


 イザークのような商売をする人間が使うものだ。もちろん自分で無属性魔法を付与することなどは出来ないので、無属性魔法の付与されたインクを購入する。

 インクがそうであるように、絵の具は元々無属性魔法と相性がいいのだ。


 元からいた魔法絵師のスキル持ちたちも、スキルを使うことで自ら普通の絵の具に無属性魔法をかけて、描いた絵からドラゴンを召喚して使役したりするのだ。

 もちろんスキルで自動に描くから、描くスピードは絵師が魔石の粉末入りの絵の具を使って描く速度とは段違いだけれど。


 もちろん魔法絵師のスキル持ちの人であっても、ドラゴン召喚まで出来る人は今の時代にはいないけれど、それでも目の前に突然魔物を召喚したりして戦うことが出来るのだ。

 魔石の粉末入りの絵の具を使うことで、それを媒介として無属性魔法を使い、魔法絵師になれる人が増えた、というわけだ。


 粉末レベルの小さな魔石を媒介にして、ようやく発動出来る程度の魔力しかないから、魔石の粉末入りの絵の具を使う魔法絵師たちは、他の魔法を使うことは出来ない。

 当然ドラゴンを召喚なんて出来ないし、せいぜい絵に描かれたものが時折絵から飛び出て動いて見えるというだけ。


 魔法絵師の絵を購入する人たちも、絵にかけられた魔法でなにかしようというのではなく、本来絵として素晴らしいものが、飛び出て動く様が物珍しくて喜ばれているのだ。

 それなのに。私が描いた子猫のザジーは確かに生きて動いていて、触ればフワフワと柔らかく、暖かかった。


 ……そして。テーブルの上から消えた筈の花瓶はテーブルの上へと戻っていた。

 蝶々も元いた場所へと戻ったのか、部屋の中にはいなかった。

 つまりは、私は描いたものを絵をかいして召喚したということなのだろうか?


 本来の魔法絵師のスキル持ちと同じだ。これでは絵を描くたびに、そのモチーフを私の部屋に呼び出してしまうことになる。それじゃあ気軽に絵なんて描けないじゃないの。

 せっかく画材一式を貸して貰っているというのに。私はガッカリした。


 今描いている絵は、私の部屋の壁掛け時計だから、絵から飛び出したところで問題はないけれど。私は壁掛け時計の絵を描いてしまうと、他に何なら描いても安全か思い至らなかった。結局描きあげた壁掛け時計の絵とともに、他の絵も画材たちも、クローゼットにしまいこんだのだった。


 次の日、落ち込んだ気分で朝食をとった。イザークが何やら話していたが、私の耳には入らなかった。部屋に戻り、陰鬱とした気持ちで、何もする気がおこらず、再びベッドへと倒れ込んだ。

 ──壁掛け時計の音で目を覚ます。どうやらうたた寝をしてしまったようだった。


 起き上がっていつものように壁掛け時計を見て時間を確認すると、既にお昼の時間をかなり過ぎていた。また食事を食べそこねてしまったらしい。メイドを呼ぶしかないわね。

 そう思ったところで、はた、と気が付く。壁掛け時計は壁にかけられたまま、クローゼットに移動したりはしていなかったのだ。


「絵から飛び出していない……?」

 私はガバッと起き上がると、クローゼットをあけて3枚の絵を取り出した。絵はしっかりとキャンバスに描かれている。

 ザジーと、花のいけられた花瓶と蝶々は、絵から飛び出してきた。壁掛け時計は壁にかかったそのままの状態だ。

 この違いはいったいなんなのだろう?


 私は絵を描いている最中から、絵を描き終えてクローゼットにしまうまでを、出来るだけ正確に思い出そうとした。

 ザジーの絵は工房のお試し絵画教室で描いたもの。他の2枚は自宅で描いたもの。

 だから場所は関係がない。


 絵の具の種類が少ないから、色を作り出す為にすべての絵の具を使用した。絵の具に違いはない。キャンバスは5枚とも同じ号数で同じ素材の布がはられている。

 絵は最終的にすべて窓のへりの上に置いて乾かした。そして、クローゼットに画材とイーゼルとともにしまった。それだけだ。

 ──違いなんてあるのだろうか?


「別になんの違いもないわよね……。」

 私はそう言うと、やっぱり原因なんて分からないわね、と思いながら、最後に描いた壁掛け時計の絵がきちんと乾いているか、絵の表面をひとなでし、乾いていることを確認してクローゼットにしまい、扉をしめた。


 すると少しして、ゴトッ、と変な物音がクローゼットから聞こえる。私は思わず慌てて壁掛け時計を確認した。そんな予感がしていたのだ。壁掛け時計は確かに壁から消えていて、クローゼットを再び開けると、そこに壁掛け時計が横たわっていた。


 私は思い出していた。既に乾いていたザジーの絵と、花瓶と蝶々の絵の表面を撫でたことを。つまり、絵を撫でると、描いたものが絵から飛び出してくるのだ。

 私は壁掛け時計をキャンバスに押し込んだ。すると壁掛け時計が元の位置に現れる。


 私は何度も実験を繰り返した。1度撫でると1分後に。2度撫でると10分後に。3度撫でると100分後に。絵から描いた対象物が飛び出てくることが分かった。

 私は昨日何度か絵の表面を撫でた。乾いていることを確認するのもそうだけど、描きあげたことが嬉しくて、愛おしかったから。


 だからザジーはすぐには絵から出てこなくて、私が寝ている間にクローゼットの中で魔法に召喚され、閉め忘れた窓から出て行ったあと、どこかから再び潜り込んで、家の中を走り回っていたというわけなのだ。

 私に懐いている風だったのは、魔法絵で召喚されたからなのだろう。

 お試し絵画教室の時のザジーは、そこまで人懐っこい子猫ではなかったし。


「……凄いわ。私に、魔法絵師としての才能があるだなんて。」

 魔石の粉末入りの絵の具を使う魔法絵師には、描いたものを完全体として召喚するまでの力なんてない。

 本来それが出来るのは、スキルとして魔法絵師の力を持っている人だけ。


 あくまでも飛び出す要素などを、絵にプラスアルファして楽しませてくれるのが、売り買いの対象になっている魔法絵なのだ。

 魔法絵師のスキルで描いた絵は、召喚されたら消えてしまうものだというしね。

「これなら私、自立出来るかも……!?」

 その為にはもっと腕を磨いて、安全に絵を買い取ってくれるところを探さなきゃ!

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