第5話 思わぬ珍客

「それでは私はそろそろ出かけるとしよう。

 今日は商工会の集まりに顔を出す日なので遅くなる予定だ。」

 イザークが言いながら立ち上がると、暗黙の了解で私の食べかけの食事が、メイドによって眼の前から片付けられた。


「わかりました。」

 私もメイドに椅子を引かれ立ち上がる。

「──行ってらっしゃいませ。」

 玄関ホールでメイドと共にお辞儀をし、イザークを見送ると、振り返って玄関ホールに飾られたアデリナの絵を見つめた。


 私には習ったところであんな絵は一生描けないだろうけど、アデリナの自由さのひと欠片でも手に入れたい。そう思ったのだった。

 部屋に戻るとドアに鍵をかけ、さっそく小さなイーゼルを取り出して、新しいキャンバスをテーブルに置こうとしたのだが。


「……あら?」

 キャンバスや画材と、描いた絵を隠していたクローゼットのドアが薄く開いていた。

 私は朝食に向かう前に、何度もクローゼットが閉まっていることを確認している。

 ──もしかして、朝食の時間の間に、誰かクローゼットを開けたのだろうか?


 メイドがやったのだとしても、クローゼットの中をあさられ、私物にいたずらされるなんてことは、さすがに今まではなかった。

 本来貴族は着替えを誰かに手伝って貰うものだけれど、アンが結婚してからというものの、誰も私の着替えの世話をしない。


 だから今は私以外がクローゼットを開けるなんてことはない。メイドは基本呼ばれない限り、最低限家令から指示されていること以外で、私の部屋には来ることはないのだ。

 洗濯した服だって、無造作にベッドかテーブルの上に投げ置かれているのが常だから、クローゼットにしまうなんてことはしない。


 料理人がいて、毎日時間に合わせて料理を作るので、それを運ばないのは料理人に不審がられるから、さすがに呼ばれれば料理は部屋に運んでくるし、基本イザークのあとにお風呂をいただくから、私の番にだけ立ち去ると不自然過ぎるので、メイドはそのまま残ることとなり、お風呂の世話もして貰えるが。


 本来男性やお風呂の世話は、男性の従者を雇ってさせることも多いのだけど、もちろん女性にさせる貴族もいる。だからそれ自体は別に不思議ではないのだけれど、裸で若い女性に風呂の世話をされるイザークと、メイドが2人っきりでどんな話をしているものなのか、最初は気にならないわけじゃなかった。


 そこで若いメイドに手を出す貴族男性も少なくはないから。そもそも全身洗わせることになるのだから、本当なら妻しか見ない筈の部分だって、メイドが洗うことになるのだ。

 私の前にイザークの入浴の世話をしたラリサが、いつもそこで私に、旦那様は私の前でとても素敵なのよ?といやらしい笑みを浮かべてくるのだ。屈辱でしかなかった。


 私には子作りの義務でしか触れてこないイザークが、毎晩風呂の世話の時にメイドに何をさせているのか、なんて、想像するのも嫌だった。風呂の世話係は順番で、イザークが指名しているわけではもちろんないし、彼がメイドを寝室に引きずり込むことがないのだから、もちろんラリサのいうようなことが起きている筈はないとは思うけれど。


 イザークのことが好きだったら、もっと耐えられなかったと思う。いくら仕事だからって、夫の体に別の女性が触れることを、気持ちよく思う女性は少ないと思う。

 そう思うと、彼を好きになる前に、イザークがどんな人間で、私をどう思っているのかを知れて良かったと思う。


 もしそうなっていたら、何もないと自分を納得させることが出来ずに、もっと泣いていたと思う。最初の頃はやめて貰えないかと頼んだこともあったけれど、風呂の世話の時にメイドになにかをさせているのではという想像を働かせるような、下品な女を妻にした覚えはない、と言われ黙るしかなかった。


 イザークの目に止まらないところでの、私の扱いは非常に雑だ。私がイザークに告げ口しないのをいいことに、ベッドメイクはおざなりだったり、そもそもして貰えないことも多い。それでも朝食の間にする決まりにはなっているから、ドアを開け放った状態で部屋を出て朝食に行く。だから部屋に入られていたとしても、それはおかしくない。


 一応貴族婦人として、上級貴族からの誘いなどの、断れない社交に参加する際に使う宝石類なんかは、当然貴重なものになるので、イザークが鍵をかけた場所に厳重に保管されているし、この中には私の私物くらいしかないのだ。漁ったところでたいした値段で売れるものがあるでなし、気にしたことはなかったのだが。私は嫌な気持ちになった。


 私物に何かされたのだろうか?

 一応中をあれこれ確認したが、私の普段着の服も画材も絵も、特に盗まれたりイタズラされたりはしていないようだった。

「なんだっていうのかしら……。

 ……気持ちが悪いわね。」

 私は首を傾げたが、なにもおこっていないのであれば、誰を責められるというわけでもない。


 仕方なしに気持ちを切り替えて画材を取り出し、小さなイーゼルをテーブルに置いて、その上にキャンバスを乗せたら、ワクワクとした気持ちが高まって、すっかりそのことを忘れ、新たな絵に没頭したのだった。

 やっぱり絵はいいわね。

 私は新しい生きがいを見つけられたことに幸せな気持ちでいっぱいだった。


 その騒ぎがおこったのは、キャンバスの2枚目に下絵を描き終わり、そろそろ絵の具を乗せようか、という頃だった。

「そっちに行ったわ!」

「捕まえて!」

「すばしっこいわね!」

 などとメイドたちの騒ぐ声がする。


「……何かしら?今日は騒がしいわね。」

 私の部屋に声と気配が近付いてくる。

 絵を描くことは伝えていたけれど、魔石の粉末入りの絵の具を見つけられたらまずい。

 私は描き途中の絵とともに、小さなイーゼルと画材をすべてクローゼットへとしまい、メイドが来た時に備えた。すると程なくしてドアがノックされる。


「奥様、申し訳ありません。そちらに子猫が来ていませんでしょうか?」

 一応まだ私に敬語は使ってくる。まあ、いくらナメくさっている相手とはいえ、子爵令嬢であった私に敬語すら使わないのは、同じ子爵令嬢であるラリサくらいなのだけど。


 私はドアを開けてメイドを迎え入れた。

「いいえ?来ていないわ。

 屋敷に子猫が入り込んだの?」

 そう言ったのだが、メイドは私越しに図々しくも部屋の中を覗き込んでくる。部屋の中まで探すつもりらしい。伯爵家の女主人相手に、本当に失礼でありえない態度だ。


 そして窓があいていることに気付き、

「奥様、窓があいているようです。

 失礼ですが、部屋の中をあらためさせていただいても?」

 と言いながら、私の許可を待たずに部屋の中までズカズカと入って来た。


 私はため息をついて、

「……はやくしてちょうだいね。」

 と伝えるので精いっぱいだった。万が一にもクローゼットの中を漁られないように、それとなくクローゼットの前に立ち、メイドが子猫を探すのを見守った。


 ひと通り部屋の中を、ベッドの下まで確認したあとで、ようやく納得したらしく、

「いないようですね。」

 と言った。すると私の後ろのクローゼットを気にしだしたので、私はそうはさせるものですかと、仕事をいいつけることにした。


「ところで、話は変わるけれど、ベッドメイキングが一昨日からされていないわ。昨日もラリサに頼んだけれどして貰えなかったの。

 ──申し訳ないけれど、あなたがやってちょうだい。」

 そう言うと、メイドはあからさまに不機嫌な表情になった。


 予定外に余計な仕事を押し付けられたとでも思っているのが丸わかりだ。子爵令嬢を鼻にかけているラリサとこの子は仲が悪い。

 彼女は平民だから、ラリサの仕事を押し付けられても文句を言うことが出来ないから。行儀見習いという名目で、イザーク目当てにこの家で働くラリサと違い、生活のかかっているあなたは、クビになったら困るものね。


 それでも他のメイドや従者たちの態度につられて、ロイエンタール伯爵家に来て、しばらくしてすぐの時から、私のことをナメていることに変わりはないけれど。

「かしこまりました。」

 さすがに直接頼んだことを無視されることは少ない。メイドはすぐに替えのシーツやカバーを持って来て、ベッドメイキングを終わらせ、お辞儀をして部屋を出て行った。


 メイドが部屋から出て行って、私はドアに鍵をかけると、ドアの扉に背中をつけてホッと息をついた。

「──あら?」

 ふと正面を見ると、開いた窓のへりのところに、茶色と黒のぶちの子猫が乗っている。


「まあ、ザジー!ついて来てしまったの?」

 お試し絵画教室で講師を勤めていたミリアムさんが、近所のおばあさんが飼っている猫だと教えてくれた、私が絵のモデルにさせて貰った子猫だった。

「騒ぎの原因はあなただったのね?

 駄目よ?こんなところにいては。飼い主のおばあさんが心配されるでしょう?」


 私が窓のへりに近付くと、ザジーは逃げる気配もなく、手を伸ばした私の手に、スリスリと身を擦り寄せる。

「まあ、可愛らしいわね。」

 私は思わず目を細めた。子猫を飼うのもいいかも知れないわね。どうせ子どももいないんだもの。毎日こんな愛らしい子猫を描いて暮らすのも素敵だわ。


「──ザジー?」

 そんなことを思っていると、ザジーはスルリと窓のへりから降りて身を翻し、私のクローゼットの扉を、小さくて細い爪でカリカリと引っ掻きだした。

「まあ、駄目よそんなことをしては。私の祖母にいただいた大切な嫁入り道具なのよ?」


 ザジーの体を持って持ち上げ、クローゼットから離そうとしたのだけれど、ザジーはイヤイヤをするように身をよじり、私の手の中から抜け出すと、またクローゼットの扉をカリカリしだす。中が気になるのだろうか?

 私はクローゼットの扉を開けて、ザジーに中を見せてやった。


「ほら、何もないでしょう?

 あなたが気になるようなものは、ここには置いていないわよ?」

 だけどザジーはピョンと飛び上がると、クローゼットの中に飛び込んでしまった。ここで寝るつもりなのだろうか?


 ミリアムさんはザジーは絵にイタズラしないと言っていたけれど、万が一にも絵を引っ掻かれたらたまらない。私は裏返してクローゼットの中に隠しておいた絵を、ザジーに引っ掻かれないうちに取り出した。

「え……?どういうことなの……?」

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