湯屋と薬売り

【銭湯】

戦国の世の銭湯も現代社会と同様に安い価格で入浴することが可能だったとされている。

価格は1文(現在でいうと約80円)だったそうだ。


* * *


 人里から離れた山の上に私が経営している湯屋がございます。源泉垂れ流しのの温泉は昔からたくさんのお客様に愛されてきました。入浴料は1文となっております。ですが…、人の世の哀れなところでしょうか。世の中で一般的に使われている銅銭(永楽通宝えいらくつうほうという明で製造された銭)が貿易の邪魔をする倭寇わこうとやらの取り締まりで出回る数が少なっているそうで、今では一部が欠けたり文字が見えにくくなったりした粗悪な銭ばかりしか見かけなくなってしまいました。そこで、米や野菜、その他の品物で入浴料を払う仕組みを取り入れました。小さな湯屋ですので、たった1人の従業員である私が生活できるぐらいのちょっとした量を1文の代わりとして受け取っております。まあ、基本的には私を含めてをご利用されるお客様は人里で使われる銅銭を持たない妖怪の方々ばかりですので、その方が楽ですねぇ。あっ、私ですか?…申し遅れました。私、番台をしております河童の衛太えいたと申します。皆さん、ご贔屓になさってください。


………


……



 夕焼けが綺麗に見え始める頃に私の湯屋が営業を開始いたします。ここは、「男湯」、「女湯」、そして「普遍の湯」の3つに分かれております。「普遍の湯」というのは、長い年月を生きてきて自分や他の方の性にこだわりがなくなった方や生まれつき性という概念を気にしない方たちなどが使われているのですよ。1箇所ぐらい、男や女といった枠組みのないところがあっても良いかなと思いましてね。それぞれの浴場はどれも同じで、まず入ってすぐのところに脱衣所がありまして、それから池のように周りを岩で囲った湯船が1つあるという造りとなっております。


(おっ、早速お客様が来られた)


「おう、邪魔するぞ」

「いらっしゃいませ。今日は早いんですね」


一番乗りに来られたのは、常連でいらっしゃる天狗の道地どうち様でした。


「さっきまで山菜をちょっと採っていたんでな。ほら、入浴料のキノコだ」

「1文にしては毎度多いですね」

「気にすんな。その分、長居するんでな」


ここに来られるお客様の大体が1文の入浴料を別に良いんですけどね。


「来たぞ、衛太。むっ…、今日は一番乗りではないようだな」

「いらっしゃいませ。先程、道地様が入られたばかりですよ」

「そうか、今日は早く仕事が終わったのだが。…ほれ、1文代わりの油揚げだ」

「これは、これは。大変美味しそうですねぇ」


油揚げを入浴料代わりにされたお客様は、白く美しい狩衣姿の翔献しょうけん様です。翔献様は妖狐でいらっしゃいまして、お酒にとてもお強いのですよ。


 その後、お客様がちらほらとお見えになられまして、3つの浴場からは賑やかな声が聞こえてくるようになりました。小腹が空いたので、翔献様から頂いた油揚げを食べてますと、が来られました。


「やあ、衛太さん。今日もここは賑やかですね」

「はい、お陰様で」

「やっぱり、ここの湯屋が私の肌に一番合います」


そう言って、液体の薬が入った瓶を2つほど入浴料として渡されたのは、妖怪たちの間では有名な薬売りの漆黒様でいらっしゃいます。漆黒様は風変わりな方でしてね。顔の下半分を覆う黒い面が特徴的で、お作りになられるお薬はどれも一級品なのに、お代はそのときの気分でお決めになるんだとか。実際に1文の代わりとして私に渡されたお薬もかなりの高品質です。まず、1つは『朝露あさつゆの泉』という液体のお薬でして、私たち河童には宝のような物でございます。というのも、こちらのお薬を目や肌といった身体のなかでひどく乾燥に悩む部分に1滴ほど垂らすと泉のように潤うという代物となっております。そして2つ目は、『所得倍増の牢獄』という禍々しい名ではありますが、『朝露の泉』で与えられた潤いをさらに倍増して肌から決して逃さないと言われるほどの凄まじい保湿の役割を果たすお薬でございます。目や肌だけでなく頭のお皿の乾燥を特に気にする私たちの間では、普通では手に入らない伝説にも等しいお薬をたった1文の入浴料代わりに渡すのですから、漆黒様は恐ろしいお方です。


 油揚げを食べ終えて、皆さんがお持ち寄りいただいたを整理していますと、湯屋の外で雪女の清菜せいな様が飲み物を冷やして商いの準備をされているのが見えました。清菜様は絶妙な匙加減で飲み物が凍る一歩手前まで冷やして、浴場から出てきたお客様たちに売っているのですよ。特にだるような暑い夏場での湯上がりに飲む冷えたお酒は格別でございます。……ただ、湯屋の入浴料より少し高いのは、ちょっと気になりますがね。


「湯上がりのあとは、酒だ!酒だ!」

「清菜殿っ、一番冷えた酒をくれ!」


皆さんの浴場から出てくる音が聞こえてきました。実に賑やかなものです。


「衛太さんも一緒に飲みますか?奢りますよ」


来たときは人の姿をしていらっしゃったのに、湯上がりにはいつも吸い込まれるほど綺麗な黒い鬼の姿になる漆黒様がに誘ってきました。


「ありがとうございます。では、遠慮なくご相伴させていただきます」


夏になると時折、こうして湯上がりのお客様と混ざってお酒を呑むのが私の楽しみなんです。


………


……



 私、河童の衛太の湯屋はいつでもお客様を歓迎しております。お近くに寄った際は、ぜひ自慢の温泉を心行くまでお楽しみくださいませ。

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