煮炊きと薬売り

 戦国大名にとって経済的な利益を得る1つの手段として挙げられるのが土地開発であった。田畑を拡げればそこで働く農民から税を徴収することができ、町を作れば人々が住み始めて商いが行われ、税収で国が栄えることに繋がっていく。


 また、城作りは土地開発のなかでも特に重要であった。戦国時代において日本では多くの城が作られたが、その建築費用は規模によって大きく異なり、廃城を再利用することで費用を抑えることもあったとされている。


 そして、この時代の建築に関わる人件費は安かった。城作りの作業員は普請ふしん役と呼ばれ、家臣や農民が務めていたが、無報酬が基本であった。特に農民は耕作の権利を与えられていることへの見返りとして、無報酬で普請役に務めていた。加えて、必要な道具は各自で持ってくることが決まりであり、数日から数十日の間、城作りに協力していた。


* * *


 ………ここは、どこであろうか?


俺が住んでいる村を含む地方の国を治めている大名が近くで新しい城を築くということで、ここ2週間ほど作業に駆り出されて、さっきまで資材を運んでいたはずなのに…。おかしいな。今、目の前に広がっている光景はちっとも見覚えがない。どこかの山道のように思える登りの道がただ真っ直ぐに続いている。後ろを振り向いても似たように下りの道が続いていた。あたりは日が沈んだように暗く、人の気配が全く感じられないが、鬱蒼うっそうと生い茂る木々のなかで目の前の道だけが昼間のように明るくはっきりと見えていた。


(とりあえず、進んでみるか)


俺はに何があるのかも分からずに、ただ黙々と進んでいった。しばらくすると、腹が空いてきたのが分かった。だが、すぐに食べれそうな物を持っていないことは自分がよく分かっていることであった。


(年貢を納めるのに必死で、ここ最近ただ働きさせられている農民の俺なんかが武士や足軽みたいに携帯食を持っているわけないっての)


俺は歩きながら、自分が農民として生まれたことに不満を感じた。ふと、うちにいる家族のことが頭によぎった。


(あいつら今、何しているかな。あんまり遅くなると心配かけちまう)


家には、妻と娘の2人がいる。今年で3歳になる娘は食べるのが大好きなで、俺の育てた米や野菜をよく食べる。思えば、年貢で育てた米が持っていかれてばかりの人生に嫌気がさしていたが、娘が美味しそうに頬張る姿を見ると、どことなく嬉しかったな。


(帰りたいな、うちに…)


次第に空腹感とは別に寂しさを感じてきたところで、何やら遠くのほうから太鼓の音が聞こえてきた。


(縁日でも行われているのか?)


不思議に思いながら、さらに進んでいくと太鼓の音とともに美味しそうな匂いが漂ってきた。


(ちょっと気味が悪いが、腹が減っているから行ってみるか)


暗い森のなかで明るく輝く山道をもとに奥へと歩んでいくと、やがて開けた場所に出た。そこでは、無数の提灯があたりを照らす中で煮炊きが行われ、たくさんの人たちが鍋のもとに並んだり、近くでそれを食べていたりしているのが見える。腹を空かせていた俺は、人々が並んでいる列の最後尾に駆け寄って並んだ。


(食べた後にでも帰りのことを考えればいいか)


普通ならば怪しむべき状況のはずなのだが、温もりが感じられるように辺り一帯を暖かく照らす無数の提灯と誰が叩いているのか分からないが聞き心地の良い太鼓の音に俺はやられてしまっていた。ぼんやりと並んでいたら、いつの間にか列は進み、煮炊きの鍋の前にいた。


(しまった。ここで金を使うわけにはいかないぞ)


貧しい生活をしていたために手元には5文(およそ400円)ほどしかない上に、城作りの作業の帰りに豆腐を1丁買うつもりだったのを思い出した。普段は質素な食事で他所で何かを買うなんて贅沢そのものであったが、珍しく作業で手間賃を貰えたので妻が食べたがっていた豆腐を買うつもりだったのだ。


(どうしたものか。並んでおいて何も買わずに列の先頭から離れて行ったら、どんな目で見られることか…)


そんな俺を見てなのか、煮炊きをしていた者が声をかけてきた。


「お客さん、ここの煮炊きではお金は必要ないんだよ。には来ることもあるからね」


(なんとっ!無料ただとは驚きだ。これは、ぜひとも食べていこうではないか)


俺は迷うことなくお椀に盛られた雑炊のような物をもらった。


「それにしても珍しいね。に来るような人にしては元気そうだねぇ」

「ん?」


気になるような言葉をかけられたが、空腹の俺はさっさとその場を離れて、あたりを見渡せるようなところの木の下で食べることにした。美味しそうな匂いだ。早速、一口食べてみた。出来立てだったためなのか少し熱かったが、口に中で雑炊に使われている醤油や味噌などの風味が広がるとともに野菜の程良い食感が楽しめられた。


(うまい。これほど美味しいものは久しく食べてなかったな)


雑炊を食べながら、改めて周りを見渡してみた。すると、徐々に違和感を感じてきた。


(ん?…縁日のような場所にしては他のところで雑炊を食べているあの者たち、静かすぎないか。それにさっきは気付かなかったが、雑炊を配っているあの者は顔の上半分を狐の面のような物で隠しているぞ)


周囲の異様さにやっと気付いた俺は焦りのようなものを感じてくるのがわかった。


(そういえば、ここに来てから聞こえてくる太鼓の音は誰によるものなんだ。そいつもひょっとして奇妙なやつなのだろうか?)


俺はどこから音がするのか探してみた。周りを注意深く見たところ、遠く離れたところにある丘のようなところで誰かが太鼓を叩いているのが分かった。


(あの者なら何か知っているかも知れない)


急いで太鼓の演奏者のもとへ走った。


「っ⁉︎」


先程まで俺が聴き入っていた音の主は人ではなかった。燃えるように紅い着物を着て、深い闇のような肌で引き締まった上半身をあらわにし、白く輝く髪を揺らしながら太鼓を叩くその者は「鬼」であった。


「おや、鬼が太鼓を叩いているのが珍しいですか?お客さん」


ばちを振る手を休めないまま、鬼は俺に話しかけてきた。


「もうちょっと待っていてくださいね。今、いいところなので」


太鼓の音がさらに軽やかになってきた。それと同時に俺は激しい焦燥感に駆られた。


(とにかく、ここから離れて帰らないと!)


広場に出た際に来た道を見つけて、俺は鬼がいる丘から逃げるように走った。


(ここにいては駄目だ!)


いくつもの提灯の下を通って、先程ここに出た道の前に着いた。丘からそれほど距離がないはずなのに、息が苦しかった。


(この先を行けば、うちに帰れるはずっ!)



意を決して勢いよく地面を蹴ったところで、俺の身体が止まった。


(う、動けない。何も足を掴んでいないはずなのに、足を上げたまま前に進むことができない。一体何が⁉︎)


「何をなさっているのですか?お客さん」

「⁉︎」


振り返ると、さっきまで丘にいた鬼がいつの間にか着物を整えて涼しい顔で俺の側にいた。


「こ、ここは一体、なんなんだ⁉︎早くここから離れてうちに帰らないと!」

「お客さん、…知らずにを召し上がってしまったのですか」

「へ?」


鬼は小さく溜息をついた。


「ここは黄泉よみの国の入り口ですよ。亡くなられた方々が住んでいらっしゃるところの」

「あの世だというのか⁉︎」

「まあ、死後の世界に色々な定義があるようにと言われる世界の1つですね。そして、先程召し上がられたのが黄泉よも竈食へぐいという食べ物になります」

「よもつへぐい?」


なんだ、それは。食べてはいけない物なのか?


黄泉よも竈食へぐいというのはですね、黄泉よみの国のかまどで作られた料理であり、それを食すことを意味します。一口でも食べてしまいますと、二度と現世に戻れなくなってしまいます」

「に、二度と⁉︎…というより、俺は死んだのか⁉︎」

「おや、?…仕方ありません。少し失礼いたしますね」


鬼はそう言って、俺の両目の前に手をかざした。すると、


………


……



『今日も暑いなぁ』

『ああ、こんななかで働いても年貢の量は変わらないし、報酬もないときたもんだ。嫌になるよ』

『そうだな。…それにしてもお前、顔色悪くないか?』

『そうか?ここんところ、ろくなものが食えてないからな』

『そんなんじゃ、何かの拍子で倒れてしまうぞ』

『…い、…おい‼︎しっかりしろ‼︎今、誰か呼んでくるからな!…誰か!こっちに来てくれ!持ち場から落ちて動けない奴がいる‼︎』


………


……



 なんということだ…。俺は城での作業中に死んだというのか。


「思い出されたようですね。ここに来てしまって、さらには黄泉よも竈食へぐいを口にされた貴方はもう帰れないんですよ」

「そんな…、俺にはまだ幼い娘が家で待っているんだよ!俺がいなくなっちまったら、あいつらどうなるんだよ!なあっ⁉︎頼むよ‼︎俺を帰らしてくれ‼︎」


俺は鬼に掴みかかって激しく揺らした後に、その場に項垂れた。


「おや、太鼓の音が聞こえなくなったと思ったらこちらにいらしたんですね。漆黒様」


見ると、雑炊を配っていた狐の面の者が近くに寄って来ていた。


「ああ、申し訳ありません。実はこちらのお客さんが……」


鬼はそう言って俺の身に起きたことを説明した。


「…なるほど、そうでしたか。ですが、困りましたね。こちらの決まりでは、を召し上がった方は帰れないのですが」

「そうですよね、慈華じっか殿」


鬼と狐が何やら話し合い始めた。


「あっ。でしたら、ちょうど煮炊きの作業員を近く募集することになっているので彼に応募してもらいましょう」

「それでは、結局帰れないのでは?」

「いえ、応募されるのは次に亡くなられた後にですよ。漆黒様なら何か良いお薬がありましょう?」


なんだか、俺が理解できないまま話が進んでいく。


「ありますけど、よろしいのですか?」

「ええ、大丈夫です。ことわりとは時に綻びが生じるもの。それに人手不足では背に腹はかえられません。お薬のお代は、そうですね…、ここでの太鼓の演奏料を倍、というのはいかがでしょうか?には私から説明しておきますので」

「……いいでしょう。ただし、いくら私でも黄泉の国に入り込まれた死者の方を完全なかたちで蘇らせるのは無理があるので違うかたちでの帰還になりますが」

「そこは漆黒様にお任せいたしますよ。お客さんもそれでいいですよね?」

「へ?」


突然、話を振られて俺は戸惑った。そこへ鬼が俺のほうを向いて腰を屈めて説明し始めた。


「この国の住民になってしまったお客さんをもとの完全な生者として現世に帰還させることは無理ですが、現世へのというかたちで向かわせることなら可能です」

「っ帰れるのか⁉︎」

「“一時的”、ですがね。お客さんが今回事故で失われなかった場合の現世でのお時間と比べたら微々たる物ですが、ご家族の成長をある程度見届けるには十分な期間です。それでもよろしいですか?」

「構わない!妻とあの子のもとに帰れるのなら、それでいい!」


信じられない話だが、賭けてみるしかない。


「では、お客さんにはこちらの薬を飲んでもらいましょう」


そう言って、鬼はいつの間にか側に持ってきていた木箱のような物から何かを取り出した。


「こちら『黄泉よも竈食へぐい契約解除くーりんぐ・おふ』という粉薬になります。これを飲みますと、黄泉の国での煮炊きを口にされてしまった方でも一時的に現世への帰還を可能になります。ただし、水も黄泉よも竈食へぐいに含まれてしまうおそれがありますので、少し大変ですがこのままお飲みください」

「あ、ありがとうございます‼︎」

「いえいえ、以前、お客さんのように現世への帰還を望まれた方に作ったことがありましてね。もっとも、その方はは召し上がっていませんでしたが。…あ、お身体のほうは特典で修復させておきますね。出演料が倍になることは私にとって嬉しいことなので」


よく分からないが、俺は鬼に礼を言って薬を飲むことにした。


「あちらでの滞在が終わりましたら、煮炊きの作業員として手伝っていただきますからね。もちろん、無償ではありませんので」


…死んだ後の再就職で報酬を貰えるのは皮肉な物だ。俺はせそうになりながらも薬をなんとか飲み終えると、意識がぼんやりとしてきた。最後に鬼の声が聞こえた。


「いいですね?現世での滞在は短いので、大切にしてくださいね」


………


……



* * *


 とある国で新しい城が作られているところで、ある男が事故に遭い突然亡くなってしまった。不思議なことに男の身体には損傷が見られず、亡骸を家族のもとに運んだところ男は何事もなかったかのように目覚めたという。その後、男は家族との時間をそれまで以上に大切にして過ごしたそうだ。やがて月日は流れ、成長した娘が黄泉の国から帰還したという父親のもとへ度々訪れていた医者の弟子と夫婦となった。娘の結婚を喜んでいたある日、男は静かに眠るように息を引き取った。男の妻が言うには、


「あの人は事故に遭った後から人が変わったように私たちに料理を作ってくれるようになったんです。本人は黄泉の国で恩返しをするんだ、って言うんですけど。おかしな話ですよね」

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