鍼医と薬売り
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奈良時代または平安時代から明治時代初め頃にかけて、
* * *
冬が終わりを迎えて、新たな命が生まれる暖かい春が訪れた頃に1人の若者が村に来た。もとは足軽で今は村の門番をしている男が私のもとに来て、その若者の来訪を知らせてくれた。
(村に来訪者とは珍しいな。会ってみるか)
私は村の入り口である門へと向かった。すでに村の多くの者たちが集まっているようだ。
「皆、すまんが通してくれ」
なんとか村人たちの間を縫って門の外にいる若者を見ることができた。若者は木箱を背負っており、顔には下半分を覆う黒い面のような物をつけていた。
(奇妙な面を除けば、都で鍼医をしていた頃に何度か見かけたことがある薬売りではないか?)
「私はこの村の長をしている
「突然お邪魔して申し訳ありません。私、あらゆるところを旅して回っている薬売りの者でございます。風の噂で、このあたりの山奥の里に不思議な果実があると耳にしまして訪れた次第です」
「……左様であったか。こんな山奥まで来るとは珍しいことだな」
「職業柄、私は好奇心の塊でしてね。申し訳ないのですが、しばらくの間この村で雨風をしのげる場所をお貸ししていただけませんでしょうか?お礼として私の薬をいくつかお渡しいたしますので」
不思議な薬売りだ。この乱世、自分たちの村に旅人が来ると、その者が自分たちに敵意がないかとどうしても疑ってしまう。だが、この若者に対しては自然とその感情が生まれなかった。…面白い。
「よかろう。私の家に来るといい。居間でよければ、そこを寝床にするといい」
「ありがとうございます」
私はその薬売りを家へと案内した。途中、若者は村人を観察したり、村の外に植えられている木々を眺めていた。家に着くと、1人の娘が出迎えてくれた。弟子だ。
「薬売りよ、この娘は私の弟子で仕事を手伝ってくれている
「村の外から来たんだ。物好きな方ですね、
「あまり失礼なことを言うでない。この者からは、色々と学べることがあるかもしれんから話をしてみるといい」
「分かりました、師匠」
桃果は薬売りに軽く挨拶をしたら、作業場に戻っていった。
その晩、桃果と薬売りと共に3人で夕食を摂ることにした。食事をしながら、薬売りは旅先での思い出話や村では手に入らない
「実に穏やかな村ですね、羅兵様」
「『様』はいい加減やめてくれ。私はそこまで立派な人間ではない」
「謙虚な方なのですね、羅兵殿は」
外では月の明かりがあたりを照らすなか、虫の音が響いていた。
「……薬売りよ。
「おや、バレてましたか」
「バレておるに決まっておろう。其方の村人とその周囲への視線は好奇心の塊そのものであった」
この若者は色々と賢いようだ。隠し事は通じないと直感で分かる。
「不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。……では、お聞きいたしますが。羅兵殿、この村の人たちは一体何者ですか?」
「やはりか。…鋭いな、其方は。それにしても『何者か?』とは、面白い表現をしてくれるな、薬売りよ」
昼間に会ったときに思った通り、この男は実に面白い。
「よかろう、全て話そう。……あの者たちは私が造った
「
「左様、かつて都で鍼医をしていた頃に私は妻と息子を相次いで亡くした。たびたび都に訪れていた武士ではない野蛮なまがいものたちによるものだ。奴らは大名たちに略奪が許された足軽だったらしく、私が留守にしている間に抵抗する妻と息子を殺めて家の中の物を盗んでいきおった。悲しみに暮れた私は、もう一度会いたいと強く願った。今思えば、どうかしていたのだが、私はあらゆる分野の書物をあさって何か手段はないかと探した。そして、とある筋の者からあれを手に入れたのだ」
「…あれとは?」
空になった盃に酒を注ぎ、飲み干してから私は続きを話した。
「薬売りよ、『仙果』を知っておるか?ここより遥か遠くの海を渡った大国で言い伝えられている、不老不死をもたらす果実だ。私も最初は信じられなかった。だが、それを手に入れた私は不老不死をもたらす力に興味を持ち、試しに呪術の書物で知った一種の儀式で傀儡をこの地で造ってみた。そして、分かったことがある。これは魂を定着させるのに適していると」
「村の人たちを見る限りでは、個々にちゃんとした意思があるように思われましたが…」
「儀式の呪術については詳細は話せないが、あの者たちには魂がちゃんと備わっておる。この地は時折、迷える魂たちが来るところらしくてな。何故か、この地に来てから私にはそれらを感じとることができたのだ。…傀儡を造るには、まず定着する魂と
「では、桃果殿も?」
「あの子は、傀儡ではない。今から10数年前に私が山を下って狩りをしていたときに見つけた娘だ。戦から逃れるためだったのかもしれないが、母親と思しき女はすでに息を引き取ったばかりのようであった。近くで泣いていた幼い娘を村へと連れて帰り、桃果と名付け我が子同然に育てた。無論、あの子はこのことと傀儡のことを知っておる。一度死を経験した村の者たちは、あの子に二度とつらい思いをさせまいと皆で見守ってきた。あの子もそれに応えるように村人の仕事と私の仕事を日々手伝っておる」
「優しい子なんですね」
「ああ…。だが、あの子にはいずれ私の弟子として為さなければいけない仕事がある」
「羅兵殿の傀儡の製造ですね」
「そうだ。私が亡くなった後にあの子が私の傀儡を造る儀式を行う。…自然の摂理に背くのは私1人でよい」
(あの子には荷が重い)
「では、この村の方々は俗世のような年貢や病で苦しむことはないのですね」
盃を傾けながら薬売りが尋ねてきた。
「そうとは限らんぞ。この村にも年貢は存在する。もっとも、大量の米や金銭は要求しない。稲作を行う者は茶碗1杯分の米、畑仕事を行う者は人参1本など作物を1つといったように何か私に納めることになっている。これは一種の意思表示だ」
「?」
「今年も“生きる”という意思を私に示すものだ。村の者たちは人のように病に苦しむことはないが、傀儡としての身体に不調をきたすことがある。皆の身体に張り巡らされておる仙果から伸びる光る枝は1年を過ぎると限界がきてしまうのだ。そこで私が年に1度、呪術と鍼医としての技術で治している。だが、これでは彼らを現世に永遠に繋ぎ止めてしまう。そこで生と死の選択を持たせることにした。年貢を納めた者は治療を受け、納めない者は最期を迎えるのを待つ」
「…傀儡の最期とは、もしや村の周囲にある木々のことでは?」
「ほう、そこも気付いておったか。驚いたな。……そうだ。死を受け入れた者たちは最期が訪れたことを知ると、この村を見渡せるような場所に行って安らかに眠る。すると身体は土と葉となり自然に還るが、魂を定着させていた仙果の種が翌日には芽となり、1ヶ月もすると仙果の木となる。夏になるとたくさんの実をもたらしてくれる。それらは儀式に用いると魂の定着の役割を担い、儀式に使わなければよくある普通の食料となる。身体が傀儡とはいえ、村人も食事をするのでな」
「……不思議な村ですね」
「私からすれば、薬売りの其方こそが不思議だ」
薬売りは仙果の果実を見るまで村に滞在することにしたそうだ。滞在中、彼は旅先で学んだという農作物の栽培方法を村人たちに教えたり、私や桃果に話したように旅の思い出披露したりした。ときには、とある物書きを生業としていた者から貰ったという御伽草子の書物で村の子供たちに読み聞かせをしていた。一度、彼に名を尋ねてみたところ、
『本当の名前は忘れてしまいました。知り合いからは、漆黒と呼ばれています』
とのことだったので、私を含めて村の者たちは漆黒と呼んでいる。見た感じでは桃果と年が近いのか、あの子は漆黒とよく会話するようになった。
やがて季節は巡り、夏が来た。漆黒がこの村を去るのも近い。今日、桃果を含めた村の大人たちは朝早くから狩りに出ている。弓が得意な桃果は野兎や鳥をよく仕留めてくる。今回は何を射ってくるのかが楽しみだ。漆黒は村の周囲で仙果の木を研究すると言っていた。本当に好奇心の塊のような若者だ。気になるのだが、彼は一体何歳なんだ。
昼前になって村の入り口の門のあたりが騒がしくなった。
(桃果たちがもう戻って来たのだろうか。いつもより早いようだが)
村人たちが騒ぐ方へ向かおうとしたところへ門番の者が私のところへ急いで来た。
「羅兵殿っ、桃果が狩りの途中で熊に襲われて虫の息ですっ!」
「なにっ!」
私はすぐにあの子のもとに急いだ。門の前では、村人たちが怪我人たちを囲むように見ている中で漆黒がすでに治療にあたっていた。
「漆黒っ。どうだ、状態は」
「羅兵殿。一応、手持ちの傷薬と痛み止めなどを使いましたが、あとは怪我人たちの頑張り次第といったところですね」
「すまない。…桃果はっ?」
私が尋ねると、漆黒の視線は怪我人たちの端の方に移動した。見ると怪我したあたりを布ような物で巻かれた桃果が静かに横たわっている。私は彼女のもとへ駆け寄り、愕然とした。
ー 息をしていない ー
呆然としている私の後ろから漆黒が声をかけてきた。
「手を尽くしたのですが、傷が深く…ここに来るまでの間に血を大量に流されていたようでした。申し訳ありません」
いつもは冷静で明るい彼の声は悲しみを帯びていた。
(漆黒、其方が謝ることはない。…まだ、方法はある)
「急ぎ、仙果の実と土、葉を私の家に持って参れ!」
(もう私の家族を失うようなことは避けたい。まだ、この近くにあの子の魂がいるはず)
私は彼女の生きる意志を信じて準備に取りかかった。桃果の亡骸は、村の女性たちに頼んで清めてもらい、土や葉そして仙果の実を埋め込んだ棺の横に運んでもらった。全てが揃うと、すぐに私は術を唱え、儀式を始めた。
(まだ逝ってはならんぞ、桃果)
村の皆が祈るなか、私は術を唱え続けた。この地で幾度も行ってきた儀式だ。絶対に私の娘である桃果を蘇らせてみせる。
………
……
…
一連の儀式を終え、私は棺の側に寄った。すぐに仙果から枝が生えて身体が形成されるはずだ。私は棺の中に視線を集中した。
(…おかしい。何も起こらぬではないか。何故だ。儀式は全てこれまで通りに執り行ったはずっ!)
私は桃果の亡骸のほうに駆け寄り、両肩を掴んで彼女を起こすかのように揺らした。
「何故だっ、桃果!何故、蘇らぬ!其方はまだ若く、生きたいはずっ。これからではないかっ!逝ってはならんっ!」
私の声が虚しく響く。まただ。また家族を失った。都で呪術に手を出してから多くの迷える魂に再び生きることの喜びを与えてきたというのに、何故だ。
「羅兵殿、…桃果殿は知っていたのではないですか?貴方が背負う代償を」
「…どういうことだ、漆黒」
私の後ろで儀式を見ていた彼が話しかけてきた。そして横に置いていた木箱から薬のような物を取り出した。
「これを使って、本人に聞いてみましょう」
「何だというのだ、それは?」
「これは『
漆黒は私にそう告げると桃果の顔に少しずつ薬を塗っていく。しばらくすると、彼女の顔から白い煙が立ち上り、人の形となった。
「桃果ちゃんだっ!」
「桃果だ!」
見守っていた村の者たちが一斉に声を上げる。桃果の霊体だ。
「…桃果…其方なのか?」
『
「何故だ、この地でのことをよく知る其方なら再び生きるという選択肢もあったはずであろうに…」
『
なんと…。私は村の全員を見た。皆、頷いて私を見つめる。
「…羅兵殿、わしら全員で話して決めたんだがの。次の治療はもう受けないことにした」
「何故だっ、長老」
「もう十分、生きる喜びを皆が味わいました。羅兵殿のおかげです。もう、いいんですよ。それに、皆知っておりますぞ」
「⁉︎」
私が驚いていると、側に来た漆黒が話す。
「羅兵殿。貴方、病を患っておりますね。それもかなり重いものを」
「…そこも気付いておったか、漆黒」
「ええ。最初に羅兵殿にお会いしたときから。貴方のその姿は年齢を重ねていくのとは別の痩せ方だと思われましたので」
「…ふっ。バレていたとは、私も老いたものだ。これは何度、胸に組み込んだ仙果を取り替えても治らぬ頑固者でな。いよいよ自分も傀儡になるか死んだ妻と息子に会えるのかと思っていたのだが…。そうか、皆、すでに知っておったのか」
私は再度、周囲の者たちの顔を1人ずつ見ていった。
『師匠、もう良いんです。もう休まれても良いんですよ』
………
……
…
翌朝。漆黒はこの村を去ることにした。桃果と村の怪我人たちに使った薬の代金として仙果を好きなだけ採っていいと伝えたが、彼はそれを断った。そんなにいらないらしい。だが、せめてものお礼でもらってほしいと言うと、実を3つほど風呂敷に包んだ。欲のない男だ。去り際に漆黒は私に薬を2つ渡してくれた。尋ねてみると、
「1つは痛み止めです。もう片方は『天界への初乗り』になります。これを水と一緒に飲めば、最期のときを迎えた際に亡くなられたご家族のもとへ必ずお連れしてくれます。決して、自ら命を絶つことのないように」
とのことだった。まったく、面白い薬売りだ。
* * *
人里から遠く離れた険しい山々の奥で、かつては栄えていたであろう廃村があるそうだ。村の中心には2つの墓が並べられており、その周りを囲むかのように数多もの桃の木々が生い茂っているらしい。
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