闇金と薬売り
室町時代の後期から戦国時代の初期にかけての寺社は、金貸し業を営み勢力を拡大していた。
もともとは、貧困対策を目的として農民に対して稲の種もみや金銭などを貸し付けて、秋の収穫時期に利息を付けて返させる「
彼らは、莫大な寄進(寄付)を受け、広大な荘園を持つことで多大な税収があった。それらから得られる米を資金源として非常に高利で貸し付けを行い、多額の利益を得ていた。返済が遅れてしまうと、取立人が武装して債務者のもとに乗り込み、仏罰が下ると脅していたそうだ。信心深い者ほど効果的面だったと考えられている。
当時の寺社は、まさに闇金体質だったのである。
* * *
私は都のとある公家の三男として生まれ、しばらくの間は都の邸宅で過ごしていたことがある。長男である兄が跡を継ぐことは明白であったのだが、跡目争いを恐れた家の者たちの進言によって父は私を出家させた。出家に関しては特に恨んでいない。私が仏門に入る頃は、官位を頂いて朝廷に出仕している間に公家の収入の源である荘園の田畑は武士たちによって守られていた。おかげで父は寺院のご住職にそれなりの寄進(寄付)ができて私は今日に至るまでに何不自由なく修行することができた。だが、家督を継いだ兄とその家族たちは戦火が激しくなる都を離れて自分たちの荘園がある地方で暮らすことにしたそうだ。つい先日には、意外とうまく経営ができている、と兄から
ある日の朝、私が境内の掃除をしていると、
「
私より先に仏門に入った兄弟子の呼ぶ声が聞こえてきた。
「どうかされましたか?」
「和尚様が、お前を読んでいるよ」
和尚様が私を呼んでいらっしゃる?もしかして仕事だろうか。
「お呼びでしょうか、和尚様」
「はい、貴方に頼みたいことがありましてね。今年も知っての通り、秋の収穫の時期が近づいてきました。なので、借入をされている方々のところへご挨拶に回ってきてほしいのです」
「ご挨拶ですか…」
「そうです。収穫が始まるまでにまだ日はあるのですが、今日は稲や作物の成長具合を確認して返済日が近づいていることを知らせてほしいのです。これに関してはご挨拶に伺う経験が浅い君でもできるでしょう」
…やはりか。ここでの仕事の1つに寺院が貸し付けを行なっている対象の家々に赴いて返済の期限が迫っていることを知らせることが含まれている。現在、多くの寺社では
私が修行を行なっている寺院も周囲から多大な寄進をいただいており、いくつかの荘園を持っている。
「おっ、八峰ではないか」
「どうも。お勤め、ご苦労様です」
途中で荘園の警護を担っている僧兵の知り合いに会った。
「今日はあの仕事か?」
「はい、そうです。今年は…雨が少なかったので無事に返済していただけるのか…心配です」
「そう心配するなって。いざっていう時はこの武装した俺が訪ねて自慢の槍を向けて、
『貴様らには、仏罰が下るぞっ‼︎』
って、言ってやるから大丈夫だ。大抵の者たちはこの言葉で恐れ慄いてなんとしてでも返済しようとするから」
「……そうですか」
僧兵の知り合いは自分の持っていた槍を持ち上げて笑っていた。体格に恵まれている彼は僧兵たちのなかでもかなりの実力者だ。そんな彼が家に来て、殺気を放ちながら返済を迫ったら怖いに決まっている。実際に彼は挨拶でそれなりの実績がある
「まっ、気をつけて行ってこいよ」
「はい、そちらも警護を頑張ってください」
彼の言葉を聞いて私は迷っていた。仏に仕える身として、人々の心に寄り添って悲しみを慰め、悩みを抱える者には相談に乗って解決へと導いていき仏の教えを広めていきたいという理想が私にはある。だが今は、人々の心の弱さにつけ込んで寺院の利益のためにしか動いていないではないか。
(
そうこうしているうちに、最初に伺う家に着いた。覚悟を決めなければ…。
「…ではっ」
私は意を決して戸を叩いた。
「寺の使いで参りました。八峰でございます」
しばらくすると、戸が開いて1人の女性が出てきた。ひどく痩せているようであった。
「ああ…、お寺の方ですか?」
「はい。…ご主人は、今どちらに?」
「子供たちと一緒に畑の方に行ってます」
「そうですか。…では、奥様にお話いたしますね。昨年、私どもに申し込まれました
すると、女の顔は徐々に曇っていった。
「あ、あの…、返済日なんですけど、遅らせることは…できますか?」
「…といいますと?」
「今年は雨が少なくて…、稲や畑の作物の育ちが悪いんです。収穫できたとしても、年貢で精一杯…。利息さえも支払えるかどうか分からない状況です」
予想は当たっていた。今年は例年以上に日照りが続いていたのだ。当然、農民たちは頭を悩ませていたに違いない。
「お気持ちは分かりますが、返済を遅らせますとその分苦しくなりますよ」
「では、どうしろとっ」
返答に困る。寺が行う貸し付けの利息はどこも高い。大体が年利4割から7割といったところだ。返済に困った農民たちのなかで、田畑を取り上げられる者たちを私は数多く見てきた。借りたら最後、終わらない地獄が続くのである。
「…精進なさい。今まで以上に農作業に向き合い、毎日祈るのです。仏様は常に見守っておられます」
「そんなっ…」
女はひどく絶望した面持ちで地に伏せた。心がとても苦しい。だから私にご挨拶は向いていないのだ。
「返済については、お知らせしました。お忘れのないように…」
そう言って、私は次の訪問先に向かった。
………
……
…
仕事を終えて寺院に戻ってきた私の心と身体はひどく疲れていた。私は重い足取りで、和尚様に今日の報告に向かった。
「八峰、お疲れ様でした。どうでしたか、皆さんのご様子は?」
「…皆、朝早くから遅くまで農作業に精進されている様子でした」
「そうですか。では、稲の様子はいかがでしたか?」
「稲ですが…、今年は日照りが続いていたためなのか、思うように成長していないとのことでした。それどころか、全員、その日に食べる物に苦労しているようでして…」
「それは…、困りましたね」
「はい…、せめて返済日を遅らせるか、何か食べ物を分け与えるかしたいのですが」
私の脳裏に必死の形相で懇願する農民たちの顔が浮かぶ。なんとかしたい。
「それは、なりませんよ。八峰」
「⁉︎」
「確かに私たちは仏に仕える者として人々に救いの手を差し伸べる義務があります。その1つに『貸し付け』を行なっているのですよ。ですが、そこで情に流されてはいけません。もし少しでも情に流されたら、人々はそれに甘えてしまい堕落してしまいます。それは許されないことなのです。私たちは救うの同時に戒めなければいけないのですよ、八峰」
「では…」
「ええ、返済日は遅らせませんし、利息も減らしません。これは仏の教えに基づいたもの。人々のためでもあります」
「そんなっ」
「分かったら下がりなさい。今日はもう休んでいいですよ。あとのことは、こちらで対処します」
私は和尚様の部屋を後にした。和尚様の考えも一理あると理解する一方で、納得できない私がいた。今日この目で見た、生きるのに必死で生活に苦しむ農民たちをどうにかしたいというのは私の甘えだろうか。仏の教えに背いているのだろうか。もう…、何が正しいのか分からない。頭を抱えながら、私は廊下を歩いていった。
「お悩みのようですね」
途中、声をかけられた。見ると縁側に1人の青年が座っており、こちらを見ていた。
「えっと、どなたですか?」
「申し遅れました。私、本日こちらに泊めさせていただいております、薬売りの者です」
どうやら青年は薬売りのようで、隣に置いてある木箱に薬が入っているようだ。しかし、顔半分を覆う黒い面が気になるものだ。
「薬売りの方でしたか。私は、ここで修行している者で八峰と申します」
「これはこれは、八峰様。お勤め、ご苦労様です。…それにしても、なにやら浮かない顔をされていましたね」
「ええ、少し…修行で疲れてまして」
「そうですか。ここ最近、暑い日が続いておりますので気をつけてください」
「はい。お気遣い、ありがとうございます。そちらも本日はゆっくりと休まれてください」
部屋に戻った私は疲労が限界に達していたので、その日はもう休むことにした。
………
……
…
寺院の周囲の田畑での収穫が終わりを迎えてしばらく経った頃、私は絶望に打ちひしがれていた。農民たちのなかで死者が出たのだ。他の修行僧から聞いた話では、寺院への返済が遅れそうな家や出来なかった家に対して和尚様が武装した僧兵を多く従えて乗り込んだらしい。それぞれの家の農民たちに僧兵たちが槍を構えるなかで、和尚様が
『仏罰が下りたくなければ早く返済しなさい。さもなければ、私たちに嘘をついた者として
と返済を迫ったのだ。恐れを抱いた人々は、家にある僅かばかりの食べ物を和尚様たちに渡したとのことだ。そして、生きることに希望がなくなった1人の農民が自ら命を絶ったらしい。その者は、私がご挨拶で最初に向かった家の主人であった。話を聞いた私は、その者が亡くなったといわれる畑に赴いてお経を唱えた。
(私は無力だ…。なんの力にもなれなかった)
しばらくして、寺院へと続く山道の途中にある丘に立ち寄った。ちょうど夕焼けが綺麗に見える時間帯だ。
(綺麗な夕日だ…。仏門に入ってから毎日のように見てきたのに、なんだか今日の夕日は血に染まったかのように紅い)
私は呆然と夕日を眺めた。ふと、背後に人の気配がしたので振り返ってみた。
「っ!…貴方は、いつかの薬売りの方ではないですか」
黒い面が印象的だったものだから、私はその方を覚えていた。
「おや、お寺の方ではないですか」
「はい、八峰でございます。またお会いできるとは不思議なものですね」
「ええ。ちょうどこの近くに寄ることがありましてね。……聞きましたよ。この近くの農村でお亡くなりになられた方について。残念でしたね」
どうやら薬売りの方もあの農民のことについて耳にしたらしい。精神的にひどく疲れていた私は、つい彼にこれまでのことを話した。今思えば、なぜこの時に彼に打ち明けたのか実に不思議なことであった。
「……そうでしたか。仏門で修行される方も苦労されているのですね」
「私のことはどうだっていいのです。本当に苦しんでおられるのは農民の方々だというのに…。なんとか手を差し伸べられないかと自問自答している日々ですよ」
「お優しいのですね、八峰様は。…でしたら、ちょうどいい品がありますよ」
そう言って彼は木箱から何やら取り出した。
「こちら『吉祥天の抱擁』という薬でございます」
「く、薬ですか…」
「はい。こちら五穀豊穣・財宝充足の女神であらせられます『
「なんと、そのような薬があるというのですか‼︎」
なんとも信じがたいが、もし事実であれば多くの農民を救うことができる。
「ですが、ここでの使用はお勧めできませんね。たとえ、この薬を使って皆様の暮らしが良くなったとしてもお寺の方々は今まで以上に利益を求めて搾取に乗りかかるでしょうからねぇ」
確かにその通りだ。あの和尚様と僧兵たちなら、やりかねないことだ。私は少し考えた。
「っそうだ!私の兄が経営している荘園に農民の方々を向かわせましょう。兄には慈悲の心があり、村の人たちから慕われています。あそこでなら、今より少しは良い暮らしができるでしょう!」
「…よろしいのですか?それでは和尚様をはじめとしたお寺の皆さまを敵に回すことになりますよ」
「構いません。私が目指すのは、人々に寄り添って悲しみを慰め、悩みを抱える者には相談に乗り解決へと導いていくことです。そのためなら修羅の道にだって進みます」
私の決意は固かった。ようやく自分が取るべき行動が分かったのだ。
「いいでしょう。お代は八峰様がこれまでに積まれてきた“徳”をいただくことにします」
「“徳”ですか?」
「ええ、八峰様は、このあたりの利益ばかりを追い求める寺社においては珍しく真剣に修行をなされているお方。貴方様からはかなりの“徳”が感じられますので、今回のお代としていただこうかと思います」
「よろしいのですか?それで」
実に不思議なことだ。それで彼にとって売り上げになるのだろうか。
「なにかと使い道があるのですよ」
薬売りの彼は私に手を差し伸べた。
「薬のご購入をお決めのようでしたら、この手を握ってください。それでお支払いが完了となります」
私に迷いはなかった。すぐに彼の手を握った。
「…確かに受けとりました。あとのことは私にお任せください。ご購入の特典として農民の皆様をお兄様の荘園へお連れいたしましょう。薬の効果についてはお兄様のほうから
「お願いいたします」
私は薬売りの彼に兄の荘園の場所を伝えて、深くお礼を伝えた。
翌朝。
寺院のなかは大騒ぎとなった。村にいた農民たちが全員いなくなったのだ。慌てた和尚様は急ぎ多くの僧兵たちを捜索に向かわせたが無事に戻ってきた者は少なかった。重傷を負った僧兵の1人から聞いた限りでは、農民たちが向かったと思われるところを探して山に入ったところ、鬼に出会ったとのこと。肌が黒くて髪が白いその鬼は、槍を構えた僧兵たちを襲い始めたらしい。強者揃いの僧兵たちも反撃を試みたが、鬼の素早い動きと重く放たれる拳と蹴りで多くの者たちが命を落としていったとのことだ。話を聞いた和尚様は、あまりのことに混乱して奇声を上げ、その場に項垂れてしまった。
* * *
あるところに稲や作物が毎年のようにたくさん収穫できることで有名な貴族の荘園があった。農民たちは善政を敷く領主である貴族とその弟で農民たち全員に寄り添う僧侶にとても慕っていたそうだ。その土地には吉祥天様を祀るお寺が今でもあるらしい。
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