造り酒屋と薬売り
酒の席とともにその消費量が多かったとされる戦国の世では、造り酒屋が全国各地に広がり多くの人々を魅了していた。
* * *
戦国の世となってから、随分とお酒の売り上げが伸びたもんだ。武士の皆様方が普段の生活だけでなく
酒屋の
「おや?」
お客様様たちの中に少し気になる方がいた。他の人たちとは、服装もそうだが明らかに雰囲気が違うように感じられた。
(あのお客様、もしかしたら……)
私は店の他の者に接客を任せて、その方に声をかけることにした。
「いらっしゃいませ、お客様。何かうちのお酒でお求めの品がございましたでしょうか?」
「ええ…、どうやら…、ここには置かれてなさそうなのですが、少し珍しいお酒があると噂で伺いましたもので」
その方は一見すると、よく見る
「珍しいお酒ですか?…確かにうちは武士や公家の方々に御贔屓にしていただいておりますので、いくつか珍しい品もあるかと思いますが」
すると、その方は私に近づいて耳元で囁かれた。
「…『猫』…といえば、お分かりでしょうか?…」
「っ⁉︎」
(この方、間違いない!こちら側の方だ!)
「…分かりました。奥の部屋へお連れいたしますので、話の続きはそちらで」
私は、あとのことを息子の若旦那に任せて、そのお客様を奥へとお連れした。
「どうぞ、こちらへ。すぐにお茶をご用意いたします」
「お気遣いありがとうございます。お忙しいところ、すみません」
「いえいえ、久しぶりに貴方様のようなお客様にお会いできて大変嬉しかったです」
案内した和室で私はその方と向かい合うように座り、本来の姿になった。向こうも同じく姿を変えていくのが見えた。面は肌に吸い込まれて、顔の下半分からその色が全身へと広がっていく。同時に、綺麗な黒髪が白く美しく色を変えていき、額から2本の黒い角が生えてきた。
「なるほど、『漆黒の薬売り』と名高い鬼の方でいらっしゃいましたか」
「ご存知でしたか。そちらは、とても綺麗な毛並みでいらっしゃいますね。私、『猫又』の方にお会いするのは随分と久しぶりなんですよ」
「おや、以前にもお会いされたことがおありのご様子で」
「ええ、ここから遠く離れた山奥でお会いしまして」
「そうでしたか」
「はい。それにしても、噂で猫又の方々が集まられて酒屋をされていると伺ったときは驚きました」
そう。実は、この酒屋で働く者は私は含めて全員が猫又なのだ。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
襖を開けて入ってきた従業員が私たちの前にお茶を置いていく。この者も、もちろん猫又である。
「では、失礼いたしました」
「ああ、ありがとう」
従業員が出て行くのを確認して話を続けた。
「それで『漆黒殿』は噂であのお酒をお知りになられたということですか」
「はい。妖の間では滅多に手に入らないことで有名な限定品『秘蔵またたび酒』。一度、飲んでみたかったんですよ」
「なるほど。……漆黒殿はよほどの幸運の持ち主のようですね。確かに、秘蔵またたび酒は今ここにございます。ですが…、昨今の都から各地へと広がったお酒の人気は、妖のところにも来ておりまして、値段が高騰しているのですよ」
別に悪い知恵が働いて、わざと法外な値段を言おうとしている訳ではない。実際にそうなのだ。財を成した妖の者たちから山のように
「ああ、お金のことは、お気になさらず。大丈夫ですから」
「…そう…ですか」
漆黒殿は、たいした問題ではないとばかりに軽く笑いながら茶をすすった。底が知れぬお方だ。
「ですが、ご主人はそれ以外にお困りごとがあるご様子で」
「え?」
「ちょっと、噂と一緒に耳にしましてね。ご子息でいらっしゃる若旦那様があまりお酒がお飲みになられないとか」
やはり、ご存知でいらっしゃったか。そうである。息子は酒屋の若旦那であるにも関わらず、お酒があまり得意ではないのだ。酒蔵で造ったお酒の味を確かめるぐらいのちょっとした量であったら問題はないのだが、それ以上の量となると駄目になってしまう。
「いやぁ、お酒に対しては人それぞれだと思っているのですが…、酒屋の跡目となると少々不安でございます…」
「そうでございますよねぇ。そこで、私、僭越ながらお力になれると思いまして、ある薬をご主人と若旦那様にご紹介したいと思います」
ん⁉︎もしかして、漆黒殿は薬を紹介するかわりにあのお酒を
「あっ、別に薬を紹介してまたたび酒を
「では、何故?」
「他の妖の方々への牽制でございますよ。ご主人のご提示される金額で私がどれだけ大金を用意して秘蔵またたび酒を手に入れたとしても、財を成した妖たちのなかには納得できずに襲いにくる者たちもいるかもしれません。そこで、薬売りとして酒屋の問題を解決したお礼として手に入れたという噂が広まれば、その者たちは自分たちには出来ないことだと納得して襲うことはなくなるでしょう」
「なるほど、そういうことですか」
確かにうちにとってはいいことばかりだ。売り上げの面で大きな利益を得ると同時に息子のお酒が苦手な体質を改善できるのだから。
「分かりました。では、漆黒殿。息子への薬の紹介をお願いいたします」
「はい、かしこまりました。では、早速」
漆黒殿は私の前に紙に包まれた薬を1つ置いた。
「こちら『晩酌・水の如し』で粉薬となっております」
「んん?」
「この薬を水と一緒に飲まれますと、お酒の口当たり、香りそして味わいをそのまま感じられて、喉を通り過ぎるとただの水となる代物でございます」
「なんとっ!」
世の中には不思議な薬があるものなんだな。いや、これは『漆黒の薬売り』と妖の間で有名なこの方だからこそ作れる代物。欲しい。
「こちら、注意していただきたいのが、いくら喉を通り過ぎたら水になるとはいえ、結局はお酒ですので、しばらくお酒を飲み続けると多少酔いが出ている“ほろ酔い”の状態になります。なので、1日中お酒を飲むことなく適度な量で嗜んでください。ただし、泥酔状態になることはございません。若旦那様には一応、この薬とその解毒薬をそれぞれ2つ、合わせて4つご用意いたします」
私は漆黒殿に何度も感謝の気持ちを伝えて、その日の夜、息子にその薬を飲ませて晩酌をすることにした。もちろん、漆黒殿もお誘いして。
………
……
…
「父上、これが漆黒殿が用意していただいた薬なのですか?」
「ああ、そうだ。これでお前もお酒が飲めるようになって新しい酒造りに
「…分かりました。漆黒殿、この薬、飲ませていただきます」
「ええ、どうぞ。ですが、若旦那様。飲む量はちゃんと調節するのですよ」
息子は早速、薬を飲んだ。それを見て、私は盃にお酒を注いで息子に渡した。
「なんだか、緊張しますね。父上」
「そうだな。まあ、とりあえず飲んでみて様子を見よう」
意を決して、息子は盃を傾けた。
「どうだ?」
「……美味しい。漆黒殿が仰るように口当たりも香りも味わいも全部感じられるよ。それに、いつもお酒を飲んだ後に感じるお腹の底から喉にかけて込み上げてくる熱のようなものが感じられない…。すごいですよ、この薬!」
どうやら、漆黒殿の薬は誠に効いたらしい。それから私は、息子と酒造りのことを話し合ったり、漆黒殿の旅の思い出を聞いたりしてお酒を飲み続けた。息子は長くほろ酔いの状態ではあるものの、特に深くお酒に酔っているようには見えなかった。こうして親子でお酒が飲めるのは、実に良いものだ。しばらく飲んでいると、
「っう…ん…、ちょっと…厳しいかも。…ああっ…」
突然、息子が頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。一体、どうしたというのだ。
「飲みすぎてしまいましたね、若旦那様」
「し、漆黒殿っ。息子はお酒が飲めるようになったはずでは⁉︎」
彼はやや呆れ顔でお酒を飲んでいた。
「ご主人、確かに若旦那様は苦手だったお酒が飲める身体にはなりましたよ。ですが、物事には限度というものがございます」
「限度?」
どういうことだろうか。
「若旦那様は今、水に酔っていらっしゃるのですよ。飲まれた薬の特有のことでして、水酔いと言われています」
「水酔い?」
「はい。いくら喉を通り過ぎたら水になるとはいえ、身体にとっては限界があります。水をたくさん飲めば、お腹が一杯になることは当然のこと。水酔いはそれに身体が反応して起こるのですよ」
「では、息子は?」
「ご心配なく。水で満腹になったのなら、下から出すもの出せば治りますよ」
………
……
…
翌朝、私は息子と一緒に漆黒殿を見送った。息子は終始申し訳なさそうにしていた。私は漆黒殿に薬のお代として約束通り秘蔵またたび酒を箱に入れた状態でお渡しした。
(漆黒殿、1人で飲むつもりだろうか?)
またお会いできる日を私は心待ちにした。
(…しかし、お酒の代金としては貰いすぎだと思うのだが?)
私は漆黒殿からいただいた小さな木箱を見て思った。箱のなかには、溢れんばかりの砂金が入っていたのだ。
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