村娘と薬売り
ある山の麓に私が住む村がある。日々、農作業や山での採取や狩猟をして村人みんなで支え合って生きてきた。最近、山をいくつか越えたところで戦が始まりそうだと聞いた。落ち武者や乱取り目的の足軽が押し寄せてきたらと思うと夜も眠れない日々が続いた。そんなある日のことだった。村に薬売りを名乗る奇妙な青年がやってきたらしい。
「おい、変な薬売りが来たらしいぞ」
「顔に黒い面頬をつけているらしい」
「どこかの兵の者か?」
「なにか薬を安く買えないかしら?」
興味を持った村人たちが薬売りがいるという村の中心の広場に集まっていった。私も村の長である父とともに向かった。薬売りを名乗る青年は村人たちと談笑しているところであった。父が彼に声をかけた。
「お前か、村に来たという薬売りというのは?」
「はい。私、薬売りをしている者でして、こちらに村があると伺い、少し寄らせていただきました」
そう言って、薬売りは父にお辞儀をした。それにしても不思議な格好だ。見た目は村で何度か見たことのある連雀商人(行商人)のようだが、鬼が口を開いているかのような面頬に目が行く。
「そうか。俺はこの村で長をやっている者だ。今日は何の用でこの村に来た?薬を売りに来たのか?」
「村長さんでいらっしゃいましたか。お忙しいところ、わざわざありがとうございます。そうですね、こちらに参りましたのは、一晩こちらに泊めさせていただけないかと思いまして」
「宿を探していたのか」
「はい。もし差し支えなければ、どこか雨風をしのげる場所を今晩お貸ししていただけませんかね?もちろん、泊めていただけましたら、お礼はしっかりいたしますよ」
薬売りは木箱から何やら取り出してきた。
「さすがに村の皆さん全員分はご用意できなくて申し訳ありませんが。こちら私が作った自慢の傷薬と風邪薬になります」
そう言って、木箱の上に手のひらぐらいの小さな壺に入った傷薬を1つと紙に包まれた風邪薬を5つ出した。
「これをくれるというのか?」
「はい。旅人にとって泊まれるところがあるといのは何よりの宝でございますので」
薬売りは父に微笑みかけた。特に胡散臭い感じはしなかった。
「…分かった。うちに泊まるといい」
えっ、うち⁉︎
「よろしいのですか。ありがとうございます」
泊まるの⁉︎
「おい、この人を家に案内してやれ。俺は畑のほうに少し行ってくる」
「…はい」
仕方ない。村にとって高価な薬を
「どうぞ。特にこれといったものはないですけど…」
「いえいえ、根無草の私にとってはとても素晴らしいご自宅ですよ。お邪魔いたします」
土間を上がって、背負っていた木箱を置いた彼は家のなかを見渡した。
「ねえ、その中って他に何が入っているの?」
「こちらですか?そうですね、いろんな薬や旅道具とかですかねぇ」
「例えば?」
「例えば、ですか。まあ、先程お見せした傷薬、風邪薬の他に、二日酔いの薬、解毒薬、痛み止めなどですかね。何かご所望ですか?」
「いやいやっ、薬は高いから買えないよ」
この男はいきなり何を売るつもりなんだ。
「そうですか。おや、あの少し短い槍は?」
男は玄関の隣に立て掛けてある槍に目が行った。
「あれは私の。父が護身用にって。母が病気で亡くなってから私のことを心配して作ったの。もとは村の近くで死んでいた落ち武者のものだったらしいけどね」
「そうでしたか。…ふむ。では、そんな娘さんにお勧めの薬がこちら!」
結局、商売かよ⁉︎
「『眠れる獅子の筋力増強剤』でございます。こちら粉薬になっております」
「へ?」
「こちらですね、1回水と一緒にお飲みになりますと、内なる自分を解き放ち、一騎当千のような力を手にすることができるのですよ」
何それ。ちょっと怖い。
「誰かを守りたい、という意志をお持ちの方にはぴったりの薬でございます。特にお嬢さんのように村の皆さんを大切に思われている方には」
この薬売りは一体何者?見透かされているみたい。……でも、ちょっと気になるかも。
「ご心配なさらず。お嬢さんにはこの度の宿のご恩がありますから、お代は結構ですよ」
「ほんとにっ!」
思わず声を上げてしまった。
「ええ、本当ですよ。どうぞ」
薬売りは紙に包まれた薬を1つくれた。
「…ありがとう…ございます」
それから父が帰ってきて夕食となった。驚いたことに薬売りの彼は木箱に旅の食料として入れていた干し肉を私たちに分けてくれた。なんだか不思議な人。夕食を終えてからは、彼から旅の思い出話を聞いて村の外について思いを馳せていた。その後、彼も私たち家族と一緒に寝た。
………
……
…
「…い…おい、おいっ。起きろ!」
突然、父が夜中に私を起こした。
「う…、な、なにぃ?」
いきなりのことでよく分からない。
「野盗のようですよ、お嬢さん。おそらく近くに来ていた足軽たちでしょうかね」
すでに起きて木箱を背負っている薬売りが声をかけてきた。急いで、みんなで外に出ると他の村の人たちも家から出てきて集まっていた。
「村長っ、奴ら、食料と女や子供を差し出せば殺すことはないって言ってます」
見張りをしていた村の男が父に言った。
「ふざけたことを。戦えるものは槍や武器になりそうな物を持て!何人かは女や子供を連れて遠くへ逃げろ!」
父は皆に指示を出した。
「お父さん、私も戦う!」
怖かった。すっごく怖いけど、村の長の娘として皆のために動きたかった。
「駄目だ。お前は他の者たちと一緒に逃げろ」
「でも、私、槍があるよ。お父さんがくれたやつ」
「あれは護身用だ。言うことを聞きなさい」
そんな。そうだ、薬売りの彼から貰ったあれを飲めば…。私は家に戻ろうと振り返った。
「⁉︎」
「お嬢さん、駄目ですよ。ここはお父上殿の言う通りにお逃げなさい」
いつの間にか薬売りが私の目の前に立っていた。
「お嬢さん、戦うということは人を殺すということ。とても業の深い所業なのですよ。貴方は、それをまだ背負ってはいけない」
「そんなっ」
「おいっ、そこのお前。娘を無理矢理にでも他の者たちと連れて逃げろ」
父は若い村の男を呼んだ。なんで。あの薬をくれておきながら、逃げろだなんて。
「薬屋、あんたも今のうちに逃げろ。悪いことは言わねぇ」
「大丈夫ですよ。私、強いので」
何を言っているの、彼は。戦うつもりなの?
「村長、奴ら、攻めてきました!」
「何っ、少しは待ってくれないのか。…お前ら早く行けっ」
村の男に引っ張られながら他の人たちと一緒に逃げようとしたところ、
「おいおいおい、逃げれると思うなよ」
「おっ、それなりに女と子供がいるじゃんかよ」
「あとは食い物だな」
野盗たちだ。どうやら挟まれたみたいだ。しかも人数が多い。
「お前たち、女と子供を守れっ」
父が男たちに指示して、私たちを囲んだ。どうしよう、向こうのほうが何だか強そう。助けてっ。
「ご心配なさらずに、お嬢さん」
「へ?」
「村長殿、ここは私に任せてください。宿のお礼です」
「何を言っているんだ、あんた…」
彼は背負っていた木箱を下ろして、こちらを向いた。
「いいですか、お嬢さん。お父上殿のように守るために戦うということは、とても覚悟がいることなのですよ」
そう言って、彼は野盗の方へ歩いて行った。まるで散歩にでも行くかのように。野盗の1人が彼に叫ぶ。
「おい、てめぇ。死にたいのか⁉︎」
「いいえ。宿のお礼がしたいだけですよ」
「は?」
敵に近づいていく彼の姿が変わっていくのが分かった。艶のある黒髪は白くなっていき、肌は夜の闇よりも深い黒色に変化していく。
「ひぃいいいいっ、鬼だ‼︎」
(えっ、鬼?)
姿を変えた彼は歩む速さを変えずに彼らに迫っていった。野盗の1人が彼に向かって刀を振り下ろすが、素早く腹に拳を放たれて、その場に倒れた。その後、動くことはなかった。
(一撃で死んだ⁉︎)
それから多くの敵が彼に向かっていった。ある者は胸を貫かれて、またある者は蹴りをくらって頭があらぬ方向に曲がり絶命した。他の者たちも同様に叩きのめされていった。左右の拳によって、顔が潰れたり、顎が粉砕されたりなど。誰も歯が立たなかった。私たちは、ただ見ているだけだった。
(…すごい)
『大丈夫ですよ。私、強いので』
(本当だったんだ)
しばらくすると、村には数多くの死体が地に重なっていた。戦い終えた彼は、私たちのほうへ顔を向けた。漆黒に染まる彼の顔は間違いなく鬼だったけど、不思議と怖くはなかった。
翌朝、木箱を背負って彼は去って行った。父の村に住まないか、という誘いを断って。少し寂しい。いつか、また会えるといいな。
* * *
あるところに村の男たちが束になって挑んでも勝てない娘がいたそうだ。やがて娘は成長し、村の新たな長として村人を統率し、乱取り目的で襲ってくる足軽や野盗たちを狩っていった。そして、その者たちの身包みを剥ぎ金品に変えたり、他の国に人身売買として彼らを売り払ったりしたことで村人は財を成していった。その後、村は「足軽狩りの里」として栄えたそうだ。
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