負傷兵と薬売り

 …参ったな。今までに何度か戦に出てきたが、今回ばかりは死ぬかもしれない。


 腹の辺りを槍で突かれた俺は命からがら逃げて、戦場から離れた森の木の幹にもたれ掛かっていた。傷口から血が流れていく。扶持ふちを求めて足軽になったものの、ちゃんとした報酬は定まってなくて、お偉いさんから「戦に勝てばその土地のものをなんでも奪っていい」と言われる始末。そんなことをして心が痛まないわけがない。だが、村に残してきた妻や子を思うと、米や他の食料になりそうなものを略奪せざるを得なかった。恨まれてるだろうなぁ。


「こりゃ、地獄行きかねぇ。ん?」


遠くで物音が聞こえた。敵か。それとも、近くの村の者たちによる「落ち武者狩り」か。あぁ、俺の村でもあったな。自分たちの村を守る一つの方法として戦で敗れた落ち武者が近くにいたら、その命とともに身に付けていた物を奪って売り、金品を得ていたっけ。今度は俺の番か。


「こんな下っ端の首なんぞに値打ちなんかないっての。あるとしたら、血と泥で汚れた具足ぐらいかね」


俺は自分の具足を見た。もし二束三文でも価値があるのなら、妻と子に渡したいものだ。…さっきの音がこっちに近づいてくる。しかも、複数だ。音がする方向に目を向ける。


「おい、ここに兵が一人いるぞ」

「なんだ、怪我してるじゃないか」

「何か持っているかもしれないぞ。やっちまうか」


見たところ、どうやら敵のようだ。他所の村の者たちだったら、過去の行いからして自分の運命とやらを受け入れたが、敵なら話は別だ。少しは抗ってやる。意地ってもんだ。俺は自分の槍に掴まって、立ち上がった。


「おっ、おい。こいつ、まだ動くぞ」

「馬鹿っ、人数はこっちが上なんだ。逃げんな」

「おい、早く構えろ」


(見逃しては…、くれないよな)


俺は思った。戦なんかに出なければよかった、と。最期に家族に会えないなら、意地を張らずに生きてればよかったのかもしれない。手柄なんかいらねえ。乱取りもしねぇ。に会いてぇ。


「らぁあああああああああああっ」


俺は槍を目の前の敵に向けて何度も叩きつけた。奴ら、戦での経験が浅いのか近づいて来れない。


「う゛っ」


だが、腹に激痛が走った。やはり深傷を負った身体では無理があったか。


「おい、今だっ」


畜生っ。思わず、俺は目を閉じた。


「あ゛っ」

「ぐっ」

「ん゛っ」


敵の攻撃は俺に届くことはなかった。見ると、さっきまで生きていた敵の兵たちは絶命しているようであった。


「危ないところでしたね」

「⁉︎」


倒れている兵たちの後ろに誰かがいた。あれは…、鬼だ‼︎鬼がいる‼︎


「ああ、ご安心ください。襲って喰おうなどとは思ってませんよ」


その白髪で黒い鬼は俺に向かって微笑んだ。見ると、鬼の身なりは連雀商人れんじゃくしょうにん(行商人)のようで、木箱のようなものを背負っている。


「地獄からの使いがわざわざ迎えに来たってのか」

「いえいえ、私、あくまで自営業の薬売りなので違いますよ」


…言っていることが分からない。


「いや、鬼が薬を売り歩いているとは信じられんなぁ。…ん゛っ」


駄目だ。血が流れすぎた。


「おやおや、かなりの怪我をされていますね。すぐに手当てしましょう」


そう言って、鬼は苦しむ俺を横にして木箱から何やら取り出した。


「こちら、自慢の傷薬になります。早速、塗らせていただきますね」


傷薬?そんなものでどうにかなる程度じゃないだろ。


「あっ、信用されてない顔ですね。ふふ。最初は皆さん、そんな感じですよ」


そう言いながら鬼が薬を塗っていく。すると、さっきまで感じてた痛みが嘘のように消えていく。慌てて確認すると、あんなに血が流れていた傷口が見事に塞がっていた。


「信じられん。すごい…」

「でしょう?」

「ああ。そうだ、お代は?生憎、貧しくて薬なんて買える余裕はないんだが…」

「あっ、ご心配なさらず。これは特典です」


どういうことだ。まだ何も買ってないぞ。


「おそらく、貴方、お困りになるかと思いますよ」

「いや、さっきの深傷以外は特に…」

ではございません。のことですよ」


何のことかさっぱり分からない。


「困るでしょうねぇ。『落ち武者狩り』に」

「⁉︎」


俺は身構えた。


「心配なさらずに。先程も申したように、私は地獄の使いや襲って喰おうとする獣ではございませんよ。ちゃんとした薬売りです」

「…では何を?」

「貴方にお勧めの薬をご紹介いたします。こちら、『落ち武者狩り除けの塗り薬』でございます。こちらを手や首などお召し物に隠れないところに塗りますと、落ち武者を狩ろうとするものを遠ざけてくれます。あっ、お代は貴方がこの戦で倒した敵の兵の残りの寿命となりますので、ご心配なさらず」


呆然とする俺に鬼は薬が入っている小さな壺を渡した。手のひらぐらいの大きさだ。


「では、お使いください」


鬼は、そう言って森の奥へと消えていった。


………


……



鬼が去ってから、俺は試しに薬を塗ったところ、驚いたことに落ち武者狩りの村人どころか敵の兵に一度も会わずに自分の村へ帰ることができた。一体、あの薬売りは何だったんだ。村に着いた俺はあることに気づいた。


ー村に誰もいないー


自分の家はもちろん、全ての家を覗いたが、誰もいなかった。俺は村の外も確認したが一人も見つけることができなかった。村は特に荒らされている様子はなかった。その後、俺は何度も村中の家を訪ねたが人の気配が全く感じられなかった。それから何日間も村の外で探したり待ってみたりしたが、誰も戻ってくる様子はなかった。


「どうなっているんだ?」


すると俺はあることを思い出した。


ー自分たちの村を守る一つの方法として戦で敗れた落ち武者が近くにいたら、その命とともに身に付けていた物を奪って売り、金品を得ていたっけー


『こちらを手や首などお召し物に隠れないところに塗りますと、落ち武者を狩ろうとするものを遠ざけてくれます』


何ということだ…。


* * *


かつて、ある村に大雨が降ったときのこと。雨が上がると戦に出て行って死んだと思われていた男が村に帰ってきて大騒ぎになったそうだ。男はひどく怯えた様子で、戦から帰って来てからずっと村やその周りで村人を探していたという。だが、誰も男の姿を見たという者はいなかった。

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