【17】誰のためでもなく、未来へ。

 ヒオビが目を覚ますと、白いドレスで着飾った女性に抱きすくめられていたことに気がついた。寝込みを襲われたのかと心臓が一瞬強く打ったが、すぐに「そんなはずはない」と思いなおす。その眼差しは、まさに母のものであったから。

「よくぞやってくれた、ヒオビ=バト。感謝する。おかげで全て成功した」

「けっ。どこまで人を騙すつもりなんすか」

「【イフラ=モシツ=メモリを取り戻すなら妾の言葉を聞け】とだけ書いた手紙を送り、簡単に寝返ってくれるようなお人好しには、あまり言われとうないな」

「まんまと僕をスパイにしてくれたっすなあ。目的はあれっすか、【逆さ蕾】っすか。決闘をさせたのは、その性能を見極めるためだとか。量産する技を盗んだっすよね」

「勘違いしないでもらいたいものだ。妾が真に欲しかったのは、武器としての逆さ蕾などではない。その程度の技、妾が持っていないはずがないだろう?」

 世界最強の人間、ミナヤ。魔も技も掌で転がせなければ、この世界では覇権を握れない。

「よくもまあたかが二人を救うために、ここまで大がかりな茶番を、世界を統治する片手間にできると感心はするっす」

「そのたかが二人を救えない者に、どうして世界全体の人類を救うことができようか。妾は、その子の持つ運命が保つまでは、可能な限り延命させたいのだ。あの二人には、この先もずっと生き長らえ、幾億もの人間の運命を伸ばす使命を帯びている。特に、カサツシの方は。イフラはカサツシを支えるよき伴侶となるだろう」

「机上の空論と現実をごっちゃに考えてる偽善者よりはよっぽどマシなんじゃねえっすか、と僕は思うんすけどね、それも。どっちんしろ、僕は個人的にあんたが嫌いっすけど」

「へえ? そう言ってしまうのか? これを差し上げようとしたが、やめないといけないか」

 そう、ミナヤが悲しそうな顔をして、指輪を手の内に隠した。

「おっと、契約の不履行はさせないっすよ。貰えるものはきっちりと貰っておくのが僕の主義っす。それに神さんからの賜り物なんて、一生にそうあるもんじゃないっすからね――」

 ヒオビは傷だらけの指に、その指輪を通す。

「…………………………………………」

 ――……。

 ――え?

 ――そもそも、どうして自分は、イフラがここにいないのに……意思があるのですか?

「お初にお目にかかる。ミナヤ=クロックだ。もっとも、そなたはずっと『イフラ』の中で観察していただろうから、こちらの一方的な初対面だ。精神と肉体を剥離した。その指輪がこれまでの脳と同じような働きをしていると考えてくれてよい。ちなみにそなたがこれまでに会得した共創魔は使える。二の轍を踏ませぬよう、【為替】は使えないが」

 ――こんなことが可能なのですか?

「妾は仮にも、セゴナでは神と呼ばれている女だ。……力不足も露呈してしまっているから、謹んでその敬称は辞退させてもらうが。妾が救えるのは、妾の手が届く範囲のみ。それ以外の子を切り捨てなければ、助けることもできない。妾に力があれば、実観隊のような哀しい部隊、あるはずがない」

 ――実観隊。そうだ、実観隊はどうなったのです。

「あの子ら? そこにいるではないか」

 ――ああ、我ら、実観隊。全員、揃っている。一年分だけ成長し、しかし面子は、一人として変更がない。死んだりして減った者はいないし、あの実験・観察に耐えなければならない哀しい子供が増えたりもしない。

「『観察者』もヒオビが気絶させたおかげで目を背けさせることができた。十年前から、あの計画は阻止したかったが、その頃は妾も他にかまけて忙しかった。ヒオビがこの一年、頑張ってくれたおかげだ。セゴナの世論が実観隊反論に傾いていた。あのレポートを出版したのは正解だった。売れすぎて、中古書店で二束三文で売りたたかれるほどに反響があった。妾が大きく出れたのはその後押しもある。やろうと思えばあのクネホファ遺跡でも、逃げさせることが可能だった。……だがそれでは、レチクラの所業が闇に葬り去られることになる。後世に繋ぐためにも、この一年間はどうしても大切だった」

 ――なるほど。そういう下積みをしっかりと築いた上で、更にヒオビは、カサツシが生きているという情報を軍の上層部に流したのですか。逆襲を恐れた上層部は、何を考えているのか、戦闘能力は最強の部隊、実観隊をカサツシ暗殺の任務に当てる……それもヒオビの入れ知恵なのでしょう。そして『観察者』を倒せば、あとはもう、自分が実観隊に残した命令により、最終的にはヒオビの指示を仰ぐ。これにて、実観隊は自由を手に入れられたのですね。

「さて、残りの仕事を片づけなければな。妾は責任を持って実観隊をセゴナへ連れて行くとしよう。妾の権限で、もう戦いに参加させたりなどしない。……妾がいると邪魔者だろうしな。ヒオビ。感動するのはかまわんが、女を引っ張るのは、男の甲斐性だからな?」

「……………………」

 ――どうしましたか、ヒオビ。

「モリさんが……モリさんが帰ってきたああああぁっぁあああっすううぅうぅううう!」

 ――うわ、いきなり大声を出さないでください。自分の中に、声が反響してうるさいです。

「やあもう、超マジ嬉しいんすけど! なんだこれ、涙がとまんねえっす!」

 ――男の涙はみっともないです。泣きやみなさい。

「はい! もう僕の水分は枯れ果て、涙なぞ滴も僕の身体にはないっす」

 ――相変わらず、極端な男ですね、ヒオビは。

「当たり前っすよ! 僕はモリさんのためだけに生きてきてる男っすから!」

 ――はあ。こんな男ですが自分の恩人なのですね。なにか返せることがあるでしょうか。

「モリさんはそこにいるだけでいいんすよ!」

 ――それはできません。共創魔は使えると言っていましたね。これでも、元・実観隊隊長の実力はある自分です。ヒオビの隠密と、自分の魔。これが組み合わせれば……それこそ、カサツシにすら届くと思いませんか?

「そりゃあもう! ボッコボコに打ちのめしてやるっすよ! ……ん?」

 ――自分の愛したカサツシは、イフラという一人の女に取られてしまいました。

「……あれえ? もしかして、モリさん……」

 ――あの女、自分から肉体を盗み取りやがった挙句、愛する人まで泥棒猫したのですから……ヒオビ。自分は全力で力を貸しますよ。一緒に、カサツシを倒しましょう。

「こわっ! モリさんが女として覚醒しまくってるっす!」

 ――そうしたのはヒオビ、あなたでしょう。カサツシだけならば、自分は感情こそ手に入れられましたが、こんな性格になることはなかった。自業自得です。受け入れなさい。

「モリさんの尻に敷かれるなら、これ以上の幸福はないっす!」

 ――もう一つ、ヒオビに言わなければならないことがあります。

「なんすか?」

 ――自分は傷心の身です。……女とは、傷ついたところを優しくされると、簡単にその男に傾いてしまうと物の本で読みました。偽りではないようです。

「は、ははは……やってやるっすよ……モリさんの心の傷、僕が癒しきってやるっす!」

 ――ありがとうございます、ヒオビ。あなたがいれば……自分は生きていけますから。

「うわ、破壊力天地無用! ……もう、僕は吹っ切れたっすよ。絶対将来、中佐すら出し抜くほどの偉大な男になってやるっす! 僕は何者にも縛られねえ、愛する者を守れずなにが軍人だあ!」


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実験・観察ノ記録 ~一部、筆者の主観含む~ @iseyumo

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