【15】第四の場面「未来のために」

 我ながら、やれば女っぽいこともできるものです。ヒオビに散々仕込まれたことはあります。

 心はとても痛みますが、カサツシには眠ってもらいました。防衛魔を幾重にも張り巡らせています。外からの襲撃はもちろん、中からも脱出はできません。もし想定よりも早く起きたとしても問題はないはずです。防衛魔が解除される時、すなわちそれは――なのですから。

 意外に時間が掛かりました。早くヒオビと合流しなければ。ずっと自分なんかに付き従ってくれ、感情の萌芽の兆しを見せてくれた、あの男の恩義にせめてもの報いをしなければ。

 自分とカサツシが暴れるのと同時に、防備の薄い箇所から突破する算段。ということは、動きがない限り、ヒオビはどこかで待機をしているはず。しかも逆さ蕾の破片を抱きしめているのですから、装備のないときと比べれば、機動力は欠けてしまうでしょう。

「…………」

 内臓が締め付けられます。汗が一筋、額を流れるました。これは。この辺りを。

【識別嗅覚】。魔の一つです。魔であるから女しか発することはできませんが、匂いとすることで、男でも感じ取れます。欠点があるとすれば、敵にも存在を主張してしまうことでしょうか。その場合、環境に合わせて匂いを変えます。

 そのついでに、もうひとつ発見しました。周囲よりも一際大きな建物(中に大きな像があったことから、神殿のようなものだったのではないでしょうか)の柱の陰で、逆さ蕾の花びらがヒラヒラと遊んでしまっています。ヒオビとて、隠しきれる代物ではないですか。

 敵がいないことを確認しながら進んでいきます。――首もとに、ナイフの刀身を当てられました。氷のような冷たさが、殺意を交えて自分の神経を不快に刺激します。

 …………。両手を挙げて、抵抗の意志はないことを示しました。

「ヒオビちゃんも迂闊だなあ、やっぱ無理だよねぇ、てへっ♪ 後ろから驚かせてやるんだからぁ♪ ……って、モリさんは思ってるんでしょうね」

 その声を聞いて、とても安堵しました。裏切るとしたら、この場面しかありません。【陽浴の造花】は、殺す時には容赦しないのです。もしかしたら、匂いも偽装かと思いました。

「冗談が過ぎます」

「冗談はそっちっすよ。作戦はどうしたんすか。敵前逃亡は死刑っすよ? これから中佐が敵前逃亡するように仕向ける僕の言うことじゃねえっすけど」

 ナイフを納刀しながら言います。見ると、逆さ蕾は柱に括りつけられていました。囮だった、というわけですか。

「実観隊はどうしましたか」

「分かってるっすよね。僕だって、この匂いを追ってきたんすから。偽物じゃないっすよ。ま、まだ一人だけっすけどね。彼女を真っ先に見つけられたのは大成功っすよ」

 ――リン。

 音声が聞こえます。鼓膜を揺らすのではなく、聴神経に直接電気信号として送られています。ここまで微細に電気を調整できるのは、実観隊どころか、レチクラ軍全体でも、ライミツヒしかいません。空気を揺らすわけではない、いわば鈴の幻聴。傍聴できる能力者が居たことを仮定して、実観隊内で通じる暗号をカサツシ中佐は考案してくれました。頭で機械的に翻訳します。「我、は、ここ、に、あり」。こんな遠回りな接触。いかにも彼女らしい。

 ライミツヒは小刀を構え、ジリジリと自分へ歩み寄ります。一応は敵の変装なども疑ってかかっているのです。それが実観隊のマニュアルなのです。やがて、隊長であると認めました。

「隊長。指示は」

 一刻を急ぐ場面であろうがなかろうが、実観隊は雑談から入ることなどしません。

「作戦変更の伝令にきました。その一。これより実観隊戦術指揮権をイフラ=モシツ=メモリからライミツヒ=モシツ=ツフサに移行します。その二。今すぐ、傍受されてもいいので実観隊全員に連絡をとり、ここへ来るよう伝えなさい。移動が困難な隊員には救援を派遣すること。以後ライミツヒが実観隊が纏まり次第、この戦場を離脱。砦へ帰頭したのち、ヒオビ=バトの指示に従ってください。命令の優先度は、将軍よりも、ヒオビが強いレベルで」

「了解しました」

 異論は絶対に唱えません。命令を忠実に守ります。自分も数年前はそうでした。長年の付き合いであるライミツヒですらこれ。自分はこれでも実観隊では異例の扱いを受けています。

 ライミツヒが早速、魔の使用を始めます。最初に会えたのがライミツヒでよかったです。これで思ったより時間を稼げます。

「ヒオビ。あなたにも命令です。『ヒオビは逆さ蕾を上層部に提出したあと、情報を改竄し、可能とあらば実観隊隊員を軍から除隊させろ。軍とは無縁の世界へ連れて行け』です」

「…………。その命令、中佐のもんじゃねえっすよね? 誰の戯言っすか?」

 自分の言葉を聞いていて、静かに黙っていたヒオビでしたが、ようやく口を開きました。

「自分です。カサツシではありません」

 生まれて初めての命令無視・独断行動。

「――死ぬつもりっすか? 特攻は美談になりやすいっすけど、愚かな選択っす。だからまあ、中佐は愚かな糞野郎なんすけど」

 自分の言葉に、いくつも含むところはあったようでした。「カサツシ……呼び捨てっすか」と呟きながら、ヒオビは苦々しい顔をしました。ですがその気持ちは抑えたのでしょう、一番肝心なところだけを指摘してきます。

 ライミツヒと違い、本気の言葉でなければ、ヒオビは動きませんか。

「いいえ、違います。多量の幻覚を見せるために、精神を元金とします。防御魔が含まれることを計算に入れますと、全部隊へ適応するには、それだけ必要なのです。残り滓が出ますから、その『自分』は生き続けることができるはずです」

 自分の能力、【為替】。なにかを代償にすれば、同等の金額を手に入れることができます。

「でもそれは、モリさんじゃないっす。死んだも同然じゃないっすか」

 ……そう。自分の精神を【為替】をしてしまえば、そこに生き残るのはもう、自分自身ではありません。そっくりの身体を持った、別人です。。

「結構。軍人を捨て、少女となれるなら、これほど嬉しいことはありません。それに……あのカサツシのことです。自分たちを自身の配下としたように、自分の面倒を見てくれるでしょう」

「生まれ変わるって言えば聞こえはいいっすけど……モリさんの願いは成就されてるんすかそれって。甚だ疑問っすよ」

「仕方がありません。一度に二つもの願いを叶えることなんて、現実的には不可能です。取捨選択する道以外は、取りようがありません」

 それに、少女となった「イフラ」がカサツシを愛し、カサツシが想いに答えたら。自分には、それで十分なのです。

「……あのっすね。それって、遠いお空から、赤の他人が、中佐といちゃいちゃすることを見てるだけって可能性っすらあるんすよ? 失恋ってかなりきついっって分かってるんすか? 僕は今、それを噛み締めてるんすから」

「一から百まで承知。抑えられない被害も当然あります」

「なあに悟ったような顔してんすか。妥協できないから、割り切れないから、恋なんすよ」

 カサツシはもう、「自分」を見てはくれなくなります。

 作戦に失敗するより、上官に怒鳴られるより、比類ないほど、……どうして、ここまで胸が締め付けられるのでしょう。

「それに、モリさんの『頼み』なら断らないとか、高ぁ括ってません? その作戦、僕が一言『やりたくねえ』って言えば破綻する、基盤のないものっす」

「してくれないのですか?」

 ヒオビの手を握り、瞳をじっと見つめます。「ヒオビを全面的に頼ること」。それこそが、ヒオビに対する最大の恩返し。自分はそう思うようになりました。

 こういう女のことを、「悪女」と呼ぶのだとカサツシから教わったことがあります。「くれぐれも男を利用する女にはなるなよ」との忠告付きでした。しかし今は、やらざるをえません。信頼できるヒオビだからこそのお願いです。

「はあ……きたねえ。マジきったねえっす。そんな上目遣いを好きな女の子にされて、ときめかない男がいるはずねえっす。しかも、僕だからこそ、だなんてねえ。嬉しいやら哀しいやら、複雑すぎる気分っす。まあやろうと思えばやれないこともないっすが……こりゃ、僕の人生の計画を根本的に変えないといけないっす。お上の指示を仰ぐことにするっすか。……あの女、いけ好かないんすけどしょうがねえっすね」

「ヒオビの上司とは?」

 カサツシは勿論のこと、自分だって感づいています。ヒオビは本部から派遣されたスパイであることに。一兵士がそこまで好き勝手やれるものですか。他にも幾つもの肩書を背負っているはずです。

 カサツシは敢えて身近にヒオビを置くことで、好きなように利用していました。その点において、上層部から完全に一歩出し抜けていたのです。

「色々いるっすよ。レチクラ情報部の面々。モヴィ・マクカ・ウィではシャ=イサ軍務大臣。セゴナ人事省斥候部盗聴科の上官では神さん。……とは言っても、心からこの人の命令なら聞いてもいいや、と思えたのは中佐だけっす。更に言わせてもらえば、モリさんが中佐の部下だったから、僕は自身を捻じ込んだわけで」

 ヒオビは一呼吸を置きます。そうして、昔語りを始めました。

 あたかも、先ほどのカサツシ中佐に対抗するかのように。

「僕はある日、モリさんにマジで一目惚れしたんすよ。せめて唾でもつけておこうと、どこの部隊所属なのかと探っていましたら、なんと実観隊じゃないっすか。しかもそのころ、お上から中佐――当時は中佐じゃなかったっすけど――の動向を報告しろという無茶振りが。そんで僕は、なんとか中佐の前で力を見せて気に入られて、【陽浴の造花】に入隊することになったんすよ。モリさんにちょっかい出しつつ、中佐の近くに居たんす。任務と趣味が両立できるっていいっすよね」

「それにしては、ヒオビはいつだって楽しそうでした」

 自分の知っているヒオビは、へらへらと笑っていて、およそ軍人らしくはありませんでした。

「だって、【陽浴の造花】での日々は、僕のこれまでの半生じゃ考えつかないほど、本当に楽しい日々だったんすもん。モリさんは教えれば教えるほど、どんどん感情がついてきたっすし。いやー、あることないこと吹き込むのがこれほど面白いとは。【蝙蝠】のとしてデマを流しまくってた僕っすが、好奇心のために使ったのはモリさんだけっす。中佐に対しても、それこそ最初のうちは『この男の力、せいぜい見させてもらおうか』って感じだったんすけど、」

「カサツシの人格にも惚れこんでしまったと」

「そうなんすよねえ。【陽浴の造花】はみーんな中佐に陶酔してるっすけど、あれは中佐と同じ空気を吸ったやつなら、須らくそうなっちゃうんすよ」

 あの実観隊だって、カサツシの命令なら、なんの惑いもなく受け入れるのですから。筋金入りです。

「…………。やはりカサツシはここで死ぬべきではありません。自分にとっても、ヒオビにとっても大切な人です。ヒオビ。これから自分のする行為はすべて、自分がこの人生で初めて、自分の意志で考え、悩み、そして出した結論です。邪魔はしないでもらいたいと、そうお願いします」

「了解したくないっすけど、了解っす」

 そっけなく、ヒオビは言いました。その胸中は、自分には分かりません。

「それともう一つ。きっとカサツシは勘違いをします。『イフラ少尉は消えた』と。ですがヒオビには言っておきます。自分は、決して表に出ることはありませんが、少女となった自分を見守ります。そうですね。一年。それだけあれば十分でしょう。それ以上の時間にすると、元金が減ってしまいます。自分は確かに、『イフラ』の中にいます」

「死ぬわけじゃないんすよね?」

「はい。その後に、自分の身の振り方は考えます」

 ――その時こそ本当に消える、とは言えませんでした。これまで遠まわしな表現などしたことがなかった自分のでも。

「モリさんの幸せのためなら……僕は悪魔に――いや、神にだって魂を売るっすから。覚悟しておいてくださいっすよ」


   ・


 準備は整いました。あとは自分の全てを開放、元金とするだけ。既に資金は買い占めた。今頃はヒオビと実観隊が行動を開始したでしょう。

 薄れゆく意識を、新たな自分への希望で埋め尽くしていきます。

『いたぞ! あそこだ! 【ラフレシアの蠅】!』

 発見されましたか。【為替】が完了するまで少しだけ時間があります。少しでも引き付けなければ。一人でも多くの敵に、自分の能力をぶつけてやるには。

「はあああぁぁぁぁ……ぁぁぁぁああああ!」

 これまで使ってきたすべての魔を解放。手は熱し、胴体は軽くなり、足は凝固。およそ戦闘に利用できるものは、例外なく発動させます。

 世界など滅ぼさなくてもいい。自分が滅ぼしたいと願うのはただ一つだけ。

 カサツシを殺す意思のあるやつは、絶対に許しません。

 ――こうして、【自分】は実験観察部隊から、イフラを『実験』『観察』する存在となります。

 イフラが真に少女となり、カサツシと平凡な人生を歩めるようになる、その日まで。


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