【13】第一五の場面「踏み越える戦い」

 いざ、戦地へ向かおう。本性を剥きだしにした、獣の雄叫びを聞くために。

 イフラとカサツシは早急にセゴナを出立し、再び海路を使ってレチクラへ戻る。ミナヤの計らいで高速船を用意してもらった。行きに利用した船の三倍ほども速いという。半日もあれば往復すらできてしまう。

 ――この速さがあれば、ヒオビなら。仕込みに戻ることも可能です。

 一度乗り物に身を任せてしまえば、これ以上急ぐことはできない。ミナヤから逆さ蕾を授かった。空き時間を利用して、実戦の準備を進める。カサツシの目は、一騎討ちの時ともまた違う、酷く冷たい、抜き身の刀のようなものだった。頭の中は敵意と、考え事で折半か。

「全てに片がついたら、行く宛なければ、是非ともセゴナへ来い。蒔いた種、咲かせずにいるのは勿体ないではないか。もちろん、強制はしない。行きたい場所があれば、そちらへ向けばいい。子供が健やかに成長できるのが妾の唯一の望みだ。……だから、行きの船は用意するが、帰りは存ぜぬ。セゴナへ来たければ、自分の手段で来国することだ」

 出立間際、ミナヤはそのようなことを言った。

 レチクラの港へつくと、軍人が警護にあたっていた。

「……伊達や酔興ではないようだな。動員しやがった。軍の奥深くに入り込んでやがる」

 通行人一人一人の顔を、レチクラではまだまだ珍しい部位に入る、写真を参考に比べている。誰かを探しているようだ。昨日の時点では国内に居ないことすら掴んでいなかったのに、どこから情報が漏れたのか。カサツシとイフラは目立たぬように港を去る。隠密術の知識を取り戻したイフラは、カサツシの手を借りなくとも楽にカサツシに追従できた。

 その日の昼にはキゥカワまで到着。不足している戦闘に必要な物品を補充。一部は顔の割れていないイフラが店で買うこともあった。一年前とは髪型や顔つきがまるで違く、同一人物とは思えないこともあるので都合がいい。

 小休憩を挟みつつ、自宅までの道を、それなりの速度で行軍する。大雑把に身体を動かすだけなら、イフラは少尉時代とそう変わらない運動神経を保ったままでいる。記憶が映像でしかないから、技術は身についていないが。イフラに戦闘など論外というのがカサツシの判断だ。それ以前に、もうカサツシは普通の少女に戦闘などさせやしない。そう決意している。

 思い詰めた表情でキビキビと歩を進めるカサツシに、余計な口出しなどできなかった。

 ――この一年間、その約束はきちんと守ってくれました。それが嬉しくてたまらないのです。

 野を超え山を超え谷を超え川を超え……。

 そうして。「イフラ」と「カサツシ」の根城たる、研究所まで帰ってきた。太陽は、地平線の遥か彼方まで消えてしまっている。

 すでに逆さ蕾を戦闘態勢にさせているカサツシは、まず研究所内に人がいないか気配で感じ取る。次にゆっくりと玄関を開け、細心の注意を払って一歩一歩進んでいく。

「発動はしていない。……待ち伏せでもないだと?」

 壁や床を確かめながら歩いている。イフラは気づいてなどいなかったが、侵入者防止の罠が研究所には張り巡らされていた。どれもこれも、カサツシに性格がよく反映されている、用意周到な罠の種類と場所だ。解除するには骨が折れすぎる。

「二階はどうなの?」

「考えにくい。何故なら二階には……――メモリ。セゴナへ移住するに当たって、持ち出したいものはあるか? 今ならその猶予がある。非情になりきれないのが、あいつの欠点だ」

「え? ま、まあ、あるっちゃあるけど、かなり」

 あのパーティではずばり「カサツシが居ればそれでいい」と言い放ったイフラだったが、だからといって愛用している日用品を手放すのは惜しすぎた。

 カサツシはやや警戒を緩めて二階へ上がる。イフラはおそるおそる、しかしイフラ少尉とは比べればまるで素人でしかない足取りで付いていく。イフラの私室のドアノブに手を掛ける。「……こんなときだろうが、女子の部屋に男が入るのは問題があるか」と勝手に呟く。イフラを入れて、カサツシは一階に下りて、こちらもまた準備を進める。

 家具などは最初から研究所にあったものを(多少の修繕は必要だったが)そのまま使用していただけ。そういうものを除くと、イフラが自らのためだけに所持している物品は、驚くほど少なかったりする。今はこれが正に働いた。貴重品を、カサツシが愛用している背嚢に集める。服が数着。小物が少々。気に行った本を数冊。ついでに写真立ても。

「『あなた』の気持ちも持って行くよ」

 ――ありがとうございます、その記録を残してくれて。イフラに伝わらない声で【自分】は言いました。

「よし、大丈夫、これだけあれば。あとはカサツシさえ居れば、どこだって暮らせる」

 ……イフラがそう叫び返したとき、轟音の振動だけで家中が揺れる。

「ついにこの家も最後だ。逆さ蕾二枚の花弁に継ぐ、無機物、二度目のお別れ」

 戻ってきたカサツシは、四枚の花弁が黒い、完全な逆さ蕾を纏っていた。本来カサツシが使っていた逆さ蕾は、右前花弁と左前花弁は失っている状態で研究所に眠っていた。全てのパーツを組み合わせることで、一時的な復活を遂げる。

 今だけ復活した、レチクラ共和国南方防衛軍司令官カサツシ=ミケンシ特務中佐。【逆さ蕾】。

 イフラを抱えて窓ガラスを割って外へ落ちる。逆さ蕾が衝撃を和らげたおかげで、イフラは怪我一つなく、家から脱出することができた。

 それらを確認してから、ドゴン! と打撃が家へ加わる。炎上する研究所。

「メモリ、絶対にその場を動くなよ」

 俺の予想が正しければ、メモリには絶対に手を出さないがな。カサツシはそう付け加えた。

 臨戦態勢に移るカサツシ。その身を覆う逆さ蕾は、全身が黒に染まっている。研究所に残していた、本家本物の逆さ蕾に、行方知らずのはずだった、破壊されたパーツの組み合わせ。今、こうして完全復活を遂げた。

 飛び出してきたは殺意の炎。……いや、それは比喩ではない。蛇のような形状の、固体となっている炎が、研究所に体当たりをしたのだ。勢いを殺さないままにカサツシを襲う。間一髪でカサツシは避けたが、炎の蛇は勢いを衰えさせることはなく、勢い余って研究所へ顔を突っ込ませた。一層と燃え盛る研究所。一撃でこの破壊力。

 カツリ=モシツ=サンサ二等兵。【縄炎】。

 カサツシは逆さ蕾を閉じて首もすぼめる。こうなった逆さ蕾は、溶岩の中であろうがびくともしないほど、外部からの耐熱性と内部への断熱性をもつ。この場合の弱点は一つ。縦からの圧力には弱い。

 炎の蛇がカサツシの頭上へ躍り出ようとする。目標はカサツシ……ではなく、カサツシの頭上一メートルほど。そこには、内部が水素だけで満たされている泡の風船が、海に漂うクラゲのようにぷかぷか浮かんでいる。

 ナカ=モシツ=タナ上等兵。【純物質】。

 右後花弁を一枚使い、全てを破裂させる。その周辺だけ水素濃度の高くなった空気は炎の蛇と触れ、爆発的な延焼を起こした。闇に包まれた森の中。小さな太陽が刹那に昇る。その光は強烈で、網膜を焼くほど。直視すれば失明の危険性すらある。ただの炎ではなく、化学物質が含まれている。この煙をまともに吸い込めば、戦闘能力を奪われるどころか、死が待っているかもしれない。

 カサツシはどこでもいいから、前方へ向かって全力で地面を蹴ってその場を離脱する。イフラを助けようとしたが、それよりも速く何者か、体格からして成人男性がイフラの前へ躍り出て、熱と光からイフラを守る。その二人を見て、そちらを今は無視しておくことにした。

 熱く、気持ちの籠った抱擁。瞬間、イフラは全てを理解した。口を挟むのは無粋だと思い、代弁することなく、身を任せる。男を見上げようとすると、イフラを開放し、夜闇に紛れてしまう。その大きい背中。前にある壁へ体当たりをするような無謀さ。

 そんなことをしている間も、カサツシは戦っていた。範囲攻撃。カサツシの視神経に異常をきたす。目に頼らないカサツシには時間稼ぎにしかならないが。

 マサカラ=モシツ=センド三等兵。【照暗弾】。

 イフラはすぐ真横から擦過音と、それに伴う風を感じた。瞬間的な恐怖から、その場に立ち竦む。膝が笑う。この中心部に、カサツシがいるのか。まるで冗談のよう。

「……くっ、伸び伸びと戦うようになったなあ、お前らは!」

 一際大きな逆さ蕾の独特な展開音。それには鈍く重い音も混じっていた。

 やっと意図的な闇は引いたが、ただでさえ夜の森の中、虹彩が受け入れる情報はそう多いものでもない。研究所を襲う炎だけが精一杯の明かり。イフラは研究所が【為替】によって命を明かりに替えている。そのような連想をした。

 どれほど時間が経っただろう。体内時計は狂っている。ツーンとした深閑が耳に痛い。

「すまんメモリ。背嚢から電灯を出してくれ」

 背中から背嚢を下ろし、手さぐりで電灯を探す。ガラスの冷たい温度で当たりをつけ、取り出す。カサツシが居るであろう方角へ投げる。カサツシならそれで受け取ってくれる。

 ゆっくりと、顔を上げてみる。

 十人ほどの少年少女が、辺り一帯に蹲って倒れていた。ほとんどが少年。前衛か。それに混じって、軍服の大人が何人か混じっている。そちらは首を掻き切られていた。死んで……はいない。そうすることも可能だったはずだが、手心が加えられている。

「全体の半分はこれで倒した。鉄則に変更が加えられていなければ、降伏するはずだが」

 カサツシの言った通り、さらに十人ほどが両手を高く挙げ、横一列に並んで現れた。こちらはほとんどが少女である。後衛だ。

「白旗を掲げている者への攻撃は禁止。条約で決められている。……俺はもう軍人でもなんでもないから守る必要性なんてないが、どうする? まだ抗戦するか?」

「仲間の治療をさせてください」

 一歩前に出たのは、一同では最も背の小さい少女。しかし少年少女の中では最年長の、ライミツヒ=モシツ=ツフサ伍長。実観隊副隊長。【片通信】。

「お久しぶりです、隊長」

「ライミツヒ……さん」

 少女がこちらへ身体を向けたかと思うと、三回ほど手を動かす。それが終わったかと思うと、少女は敬礼をする。微動だにしない、力強いものだった。実観隊だけで通じる、それこそカサツシにも内密で決めたサイン。自分の感情を手話で表す。『自分、は、嬉しい』。

 ――ああ、全員、生きています。元気にやっています。そして、もはや人形ではありません。

「ライミツヒ伍長。仲間とやらは、そこに転がっている実観隊観察者も含めてか?」

 カサツシが皮肉気に笑いながらそう言った。

「いいえ。彼らは自分らの仲間ではありません」

 簡素に返答したライミツヒ。無言のままに、しかし統率の取れた動きで、傷ついた仲間たちを回収する。すぐ森の奥へ移動する。大人たちは、完全に無視していた。

「メモリ。この一件、誰が仕組んだ罠だと思う?」

「バト。それ以外のオチだったら許さない」

「あいつと、『彼女』のタッグか。メモリをこのように混乱させて喜ぶ、加虐趣味な野郎だったか? それだったら失望するな」

 なにもない空間へ向かって、カサツシは言い放った。

「ここで『実はキゥカワの喫茶店で暴れたあの女こそ真犯人なのだ!』とか言ったら、僕だって切れるっすよ。そんな推理小説があったら、著者の身辺情報を徹底的に洗い出すっすね」

 レチクラ共和国南軍情報部ヒオビ=バト曹長。【蝙蝠】。

 ――そしてその正体は、レチクラ共和国中央情報部ヒオビ=バト准尉。

「さあ、僕の計画もあと一押しっすね。なかなか、思考が混ざってきてるっす」

「浮気か。関心しないな」

「いやあ。僕が愛しているのは一貫して、『モリさん』だけっすよ」

 ヒオビはつかつか、迂闊とも云える足取りで……イフラを抱きしめた。

「モリさん。貴女は自らのような哀しい人間を生み出さないようにと願っていたっすね。一歩だけっすけど、達成できそうっす。実観隊を囲う『観察者』は全て倒したっす。これで実観隊は自由の身。あとは安心してください。あの女に任せるっすから。あの人、誰かを助けることにはマジで本気っす。ま、そのおかげで誰一人として殺さないように、といった縛りがきつかったっすから、こんなシナリオしか用意できなかったんすけどね」

 ――本当に莫迦な男です。本当に、【自分】なんかに必死になってしまって。ここまできますと、いっそ可愛くすら思います。

 男は何かを感じ取り、ぶるぶると震える。

「……あぁ――モリさんだ。これ、モリさんだ。僕の大好きな、モリさんだ。この気持ちのいい罵倒、モリさん以外には不可能っす」

「…………?」

 この期に及んで、実は理解できていない人物が一人。

 ――それでいいのです。カサツシは有能すぎます。最後の一場面くらい、間抜けなところを見せてくれませんと。【自分】とは別の方向性で、人間味というものが薄くなってしまいます。これでこそ、【自分】が愛した、カサツシ=ミケンシなのですから。それにもう、カサツシには……イフラがいます。過去の人物が介入すべきではありません。

「ああ、絶対に想いが報われないモリさんに、僕はなにもすることができない。非力すぎて、自らをぶん殴りたい……そんな僕なりに、この一年間、頑張ったっす」

「そこまでメモリが好きなら、軍を抜ければいいだろう。俺から奪うこともできたはずだ」

 カサツシの言葉は、どこか的外れのままだった。

「そうしたいのはやまやまなんすけどね。僕はちょっと面倒くさい立場にいるもんすので。所詮僕は軍人っすからね。任務は愛よりも優先すべきことなんすよ。上司の命令には逆らえないんす。中佐の指摘通り、【蝙蝠】っすよ僕は」

 動物界の戦争で、蝙蝠は都合のいい陣営へ裏切り続けた。それと同じ。ヒオビはただ二人の例外を抜いて、誰の味方でもなく、誰の敵ということもない。

「だから僕は……今は中佐を倒さないといけないんすよ」

「はん。実力は、互角だな」

「謙遜はやめてくださいっすよ。僕はあんたの全能力を把握し、あんたは僕の全能力は把握していない。この好条件下でも尚、僕に不利がつくんすから。だからこその、全身全霊を掛けた戦い。心躍りませんっすか?」

「導火線の上で火打石を叩いて笑っている子供ではあるまい」

「なんの。男なんて、単純かつ莫迦な生物っすよ。じゃなきゃ――たかが一人の女のために、こんな苦労をしなくてもよくなるんすから。そうっすよね『カサツシ』!」

「ああ! いいか、生半可な気持ちでかかってみろ! 俺はまた一つ、蕾を綻ばせてやる!」

「あなたには、絶対に負けない! 僕の全力を掛けて、お前を倒す!」

 カサツシの言葉を受け、ヒオビはイフラを解放する。

「さようなら、モリさん。最後に、僕の精一杯の勇気を見届けてほしいっす」

 そして、ヒオビは消える。視界から、気配から、完全に。

 本気の、ヒオビ。


「そこにいるんでしょ」

 イフラは、誰かへ向けてそう言った。

「いいわよ、誤魔化さなくても。一年間、私を守ってたのはあなたでしょう?」

 イフラは、止めることなく誰かへ向けてそう言った。

「分かってるわよ。私が記憶に誤作動を起こさなかったり、知識が相応に与えられていたのは、全部、あなたが私の中でコントロールしてたから。それだけだった」

 尚もイフラは不思議なことを呟く。

「卑怯者。私がこれだけ言っても出てこないなんて。……いや、そういう人だったね。私は会ったこともないけれど、これから会うこともないけれど、あなたのことはよく知っている。……バトも可哀相。ずっとあなたを信じてるのに。【為替】するの、よく考えなよ。人にやられて嫌なことはやっちゃいけないの。私が言えた義理じゃないけど」

 イフラは、

 ――……。

「カレンダーとは無縁だったから今気付いたけど、今日が一年なのよね。もうすぐ消えちゃうんでしょ。最後くらい、私の身体を明け渡すわよ。出てきなさいよ」

 ――追い打ちをかけるのですか。白旗を掲げている、実観隊隊長の自分に。

「カサツシは、あんたが好きで私を拾ったの。このまま逃げるなんて、勝ち逃げはさせない。自分の気持ちは、自分で伝えてよ」

 ――自分がいなければ、こうしてカサツシに恋などしていられなかったくせに、生意気を言います。

 ――ですが。

 ――イフラのおかげで、夢を見させてもらえたのは事実です。

 ――ならその謝礼の一つくらい、あってしかるべきです。

 ――死んだはずの自分は、言葉を持てません。ですから、意思をイフラへ伝えます。


・・・

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