【10】第十二の場面「撒餌」

 フラッシュが目を焼く。その瞬間に、イフラは目を覚ました。

「…………」

 周囲を見渡す。目線の先には天井。背中が柔らかい。ベッドに寝転がっている。首を持ち上げると見覚えのない部屋。ベッドが二つある。客室かなにかのようだった。カサツシとミナヤが椅子に座って談合している。イフラが起きたのを認めて、カサツシが顔を覗き込む。

「起きたか、メモリ」

「うん」

 イフラの小さい返答を聞いた時、カサツシは大きく息を吐いた。

「妾も久しぶりにこの魔を使った故、不安はあった。無事、戻ってくれてよかった」

「…………? あれ……? 記憶……あれが……私……」

 取り戻した記憶は、たったの一シーンだけだった。これ以外のものは、なに一つとして蘇ってこない。活動写真でも見せられたような感触。物語の第三者。どの人物の心情がわかるでもなく、ただ反応や行動で読み取ることしかできなかった。

「如何様な記憶だったんだメモリ」

「なんかどっかの部屋で、私が報告書を読んでんの。『じっかんたいのいちにち!』っていう題名の、バトが書いたやつ」

「……そんなものを今日の昼間、本屋で読んだような読まなかったような。うむ、気のせいか」

「で、バトがね、写真機を盗んできて、無機質な私に罵倒されるの。しかもやっぱり喜びまくるの。慣れてたなあ、私。ってかバト、昔っから全く一緒でちょっと笑っちゃったよ」

「俺もあいつの本性を見たことがないが、実はあれが本性だと疑っている」

 ここでヒオビが居れば、きっと「ひっどい言い様っすねえ。モリさんの御前で自らを偽るとか、国家反逆罪レベルの刑が科せられてしかるべきなんすよ」などと言うだろう。

「バトが写真を撮ろうっていうから、カサツシが権限とかを振り回して、夜間外出してね、訓練場とやらで写真を撮ったの。……あ、もしかして、部屋に飾ってる、あの写真」

「ああ、あの日のことか。……撮影以外は、それほど大きい出来事でもなかったはずだが、なんでよりによって、その日なんだ?」

 カサツシにすれば、あれはなんてことのない、基本的に通常の一日に過ぎないのだ。少しだけ刺激のあるイベントがあったことを除けば。

 悪いことではない。日々の生活は単調な繰り返しであれば越したことはない。それが貴重なものになるとは、当時はあの三人のうち、一人だって思わなかった。

「今の時点では、これ以上の記憶は蘇らせることはできない。より多くを取り戻したいというのなら、より強力な魔が必要だ。たった今、体験版にて想定外の仕様が発生しないことも実証した。どうだ、本命の魔も受けてみるか?」

 ミナヤがイフラに問う。

 それが可能ならば、拒否することは絶対にない。どうぞ記憶を蘇らせてほしい。だが、いざ口にしようとすると、なんだかとてもあさましい気がして、躊躇してしまうイフラであった。

「妾に遠慮する必要はない。我が子の我儘くらい、度を越さなければ叶えてやるのが母の甲斐性だ。むしろ、もっと頼ってほしくすらあるぞ」

「なら……欲しい」

 イフラには母がいない。この世にまだ生きているかもしれないが、会うことはおそらく、一生ない。ただ、もしも母がいて、甘えるとしたら、こんな安心感と気恥かしさがあるのかな、とイフラは思った。

「そういうことらしい。どうだ? そなたは保護者として、被保護者の契約を不履行にする権利だってある。妾はこの子の願いを聞き届けてやりたい。その判断は委ねよう」

「……悪い影響はなさそうだし、ここはなにか謝礼をしないといけませんか」

 カサツシがそう呟いた。

「一戦、してみる気になってくれたか?」

「なりましたが、まさかミナヤ神がその相手、と言いだしたりはしないでしょうね?」

「やりたければそれでもいいぞ?」

 しかし残念だがそうではない、とミナヤは続けた。

「なに? 戦いって」

「メモリが寝ている間に、色々とあったんだよ。俺の研究内容を駄目だしされたり、新たな見聞を発見できたり。それと、この件について代金の支払い方法についてだな」

 大人同士でかなり進展していたようだった。

「……代金? え? お金取られるの?」

「ふふ。妾は一言でも無料とは言っていない。慈善事業ではない。まあ、金が欲しいわけでもなく、どちらかというと、交換と言った方が近いかな。等価交換」

 イフラは少し面食らう。たしかに、そのようなことは明言していないが、だからといってそんな詭弁を使うとは思っていなかった。「こういうのって、堅苦しい上っ面と詭弁で本音を隠すのが常っすよねえ」というヒオビの言葉を連想する。

「武人というものはとかく、拳を合わせないと理解できぬ者の集まりだ。そこに理屈はいらない。それでも、野生の自分を引きだしてこそ、見つかるものだってあるのではないか? 妾は女であるが、その気持ちも多少は分かる。……シロ、入ってこい」

 そうして入ってきたのは、長髪であること以外はとりたてて特徴があるわけでもない男。顔立ちから、セゴナ人でも、ましてやレチクラ人でもなかった。

 ――【自分】は、この男性のような顔立ちを見ると、どうしても身構えてしまいます。敵を見たら戦闘態勢という癖が、未だに抜けていません。

「わたしは、サフ=シロと、いいます。……あー……『モヴィ・マクカ・ウィ』の、りきゅう、ごえいでした。……えー……レチクラの、『くろきラフレシア』と、いちど、てあわせしたいと、おもっていました」

 ミナヤと比べれば随分と稚拙なレチクラ語。ところどころつっかえながらも言葉を紡ぐ。それなのに、一部は完璧なモヴィ・マクカ・ウィ語の発音であったところを鑑みれば、なるほど、その身分に偽りはないようだ。

「ラフレシアとな?」

 世界最大の花にして、腐肉の臭いを発することで蠅を誘き寄せ、気絶させるという。

「モヴィ・マクカ・ウィ軍では、カサツシ=ミケンシ特務中佐をそのように呼んでいたようだ。【逆さ蕾】は戦場においてそう見えるのだろう。戦場を死の香りで充満させる花、といった趣か。的外れな表現でもないと、妾は感じる」

「そんなのが俺の敵側の通称……」

 気に入らなかったようだった。男といえども、美しくないどころか不格好な花の名で通っていたことに、少なからずのショックがあったようで。

「……まあそこはどうでもいいでしょう。それで、この方が俺の相手ですか?」

「この子はそなたとよく似ておる。一年ほど前までリベラ離宮の警護をしていたが、諸事情もあって命を狙われ、セゴナへ亡命してきたところを妾が保護した。完全女尊男卑国家のモヴィ・マクカ・ウィで、男が王族に周辺を任されていた。それだけでも実力はお墨付きだろう」

「王宮警護。戦ったことはありませんが、噂を聞いて、俺も手合わせしてみたいと常々思っておりました。ただ、それがどうしてミナヤ神の利益になるのです?」

「この子の『守隊』の入隊試験に、なにをさせようかと悩んでおった。ちょうどいい。そなたに勝てば入隊させてやろうと、シロに持ちかけた。試験もなしに守隊へ選出するわけにもなかなかいかんくてな」

 守隊。簡単に云ってしまえば、ミナヤの近衛兵のようなもの。セゴナ全体で百人にも満たない。驚くべきは、この守隊こそ、セゴナの全兵力である事実。

 レチクラが数万の兵士でモヴィ・マクカ・ウィの侵攻を阻止し、それでもいくらか敗北しているというのに、セゴナは数百分の一の戦力で完全に防ぎきっている。少数精鋭なんてものではない。一人一人が、カサツシと同等かそれ以上の兵士であり、戦略家。

 その入隊試験がこの男の場合、カサツシとの一騎討ち、というわけか。

 もしもカサツシが断ったらどうするつもりだったのだろう。……おそらく、そんな可能性の芽は潰していたのだろう。先にイフラの記憶を蘇らせることに成功している。悪徳商法にも近い、断れない状況の作成。

 ――彼女の目論見が、まるで読めません。

「利害は一致しておる。それに、妾の治癒の魔も完備。命が事切れるほどの傷を負おうが、すぐに治してやれる。気負うことはない。純粋な、力合わせだ」

「…………。そこまで御膳立てさせられておいて、矛を収めるとあったら、男として情けないではないですか。相手するのはいいんですが、得物は? 徒手空拳というわけにはいかないでしょう。剣だろうが銃だろうが、俺は選びませんが」

 カサツシはすっかり闘うつもりのようだ。

「心配しないでほしい。剣を握らせるよりも、ずっと使いやすい代物を用意させてもらった。もっとも、そなた以外は誰も扱えないだろうがな」

 ミナヤはフフフと笑って、「例の物を運んでください」とセゴナ語で小さく言った。とても綺麗な発音と言葉遣いであった。

 これまでとは別人の使用人が台車を押して部屋に入ってくる。台車の上に『とある物』を乗せて、カサツシにお披露目をした。

「……驚きました。本物は自宅の奥深くに封印しているというのに。一応、わざと壊した破片はありますが、それはあいつに渡して厳重に扱うよう命令したはずなんですがね。なにをやらかしてくれたのやら、あいつは」

 ――【自分】は呆れて言葉も出ません。これを復元したなどと。ただ、記憶にあるそれとは、差異が見受けられます。全体的に黒一色だったはずなのに、六割ほどが赤いパーツで構成されています。これさえ除けば、概ね当時のシルエットのままでした。

「赤い部品を使っている箇所は、妾が仕組みを想像して組んだ。いやいやそれにしても、この速度で境地に辿り着くとは、そなたの父も天才だ。隠居生活を営んでいたのも納得できる。あの才能、世間に振舞われたらどうなっていたことか」

 ミナヤの言葉に、苦笑するカサツシ。

「俺は戦いそのものが嫌で、軍を辞めたわけではないのですからね。二度と帰ってこないと思っていた『相棒』が生き返ってきてくれて、複雑な気持ちですよ」


   ・


 試合はミナヤとの面会から二日後と決まった。戦いにブランクのあるカサツシのために、調整期間として一日を与えられた。一晩を城で宿泊し、その翌日から、カサツシは準備を進める。暇なイフラは、カサツシについていくことにした。

 これを見るだけでも鑑賞料を取れてしまうほど、美しく整えられた庭園。ここを通り過ぎると、芝生が低く刈り揃えられている、妙に無骨な一角があった。

 どうもここが、運動場のようなものらしい。

『調整も必要だろう。中庭で練習すればよい。なに、誰かが盗み見ることもさせん。妾の権限において、それを約束する。思う存分、調整してくれていい。不足しているものがあれば、どの使用人でもいいから頼め』

 そのように言われ、使用人に案内されている次第だ。

「少々お待ちください。…………。完了しました」

 使用人がほんの僅かに沈黙したその刹那、イフラは肌を刺す違和感を強く覚えた。薄い膜のようなものが、半径五メートルほどを半球状に覆っている。

「なにをしたんです? 見たところ、【視歪】のようですが」

「その通りです。公平を期するため、これで外からこの空間内を視認することはできなくなります。逆に今頃はサフ=シロ様も、秘密裏に調整を行っているはずです」

 イフラはどうも実感が湧かなかった。中からは普通に外が見えるからだ。試しに、形成された黄色の半円の外へ出て観察してみる。光が強く反射するシャボン玉のようで、その内部の様子を透過させることができなかった。

「ほえー。便利な魔もあるものよね」

「ヒオビ曹長は突破する方法を知っていると豪語していたが、どうかな。メモリはどう思う?」

 ――そう言ったカサツシは、【自分】を直視した、ように思えました。そんなはずは、絶対にありえませんのに。

 カサツシは、その見た目から【花弁】と呼ばれている、緩く婉曲した金属板をマントのように纏う。前に二枚、後ろに二枚。前後左右、それぞれ縦に線対称。中心部から伸びるカサツシの首がなければ、どこが前面なのか区別がつかなくなる。もっとも現在は、右前花弁と右後花弁以外は赤く塗装されているので、一目で分かってしまうが。その二枚だけが黒いのだ。

 四枚の花弁が、ググと足元から持ち上がる。それはまさしく、花咲く蕾のようであった。ただし、上下が逆さま。何度か緩慢に開閉させたかと思うと、今度はかなりの速度を伴った開閉で、風を切る音を室内に轟かせる。

「動作は問題なし。……驚いたな、ここまで修復ができているとは」

 外面は、カサツシの父が独自に開発した、魔を弾く材質が使われている。ただし物理的な攻撃にはそこまで強くもない。魔を掻い潜って接近戦をし、戦闘の主導権を握る距離まで詰めれば、あとはカサツシ本人が逆さ蕾を活用しつつ、戦う。

 カサツシ曰く、外部よりも内部にこそ特徴がある。左前花弁は防御兼情報制御用の装備。右前花弁は戦闘用の装備。手持ちできるサイズならなんだって詰め込める。左後花弁は雑貨。水や携帯食料などをため込み、長期戦に備える。右後花弁は治療道具一式。

 謂わば、携帯できる基地といったところだろうか。これこそが、カサツシの通称、【逆さ蕾】の由来。一年前に半壊してしまい、それ故に放棄されていたはずの、あってはならぬ生存者。

「私、カサツシがそれを着て闘うところ、初めて見る」

「……ああ、そうか。本当の戦は退役以来、していなかったな」

 そんなことで一騎打ちの相手が務まるのだろうか。サフは一人で何千人という力を持つセゴナの守隊。全盛期の全力で挑んだって勝てるかどうか。カサツシは自身も武力で名を轟かせたものだが、それ以上に指揮官としての才能に溢れていたから、特務中佐まで上り詰めた。

「ねえカサツシ。……本当に、闘うの?」

「記憶は欲しいだろう? 俺はメモリに碌なことをしてやれない。せめてもの贈り物だ」

「…………」

 望みは一年前のあの日から一貫している。だが、いざこうなってみるとはたして、ここまでして手に入れたかったものなのか、といった疑問が首を擡げてくる。

 だがカサツシのその気持ちが、本当に、本当に嬉しいのだ。

 卑怯なことにイフラは、カサツシがイフラだけを見ていてくれるのなら……状況に、流されてしまうのだった。


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