【9】第一の場面「陽浴の造花」

『じっかんたいのいちにち!


 マルヨンマルマル。

 日が昇ると同時に実観隊の一日は始まる。拘束気のような寝間着(というよりは事実、拘束着である)から、訓練着へ着替えて部屋を出る。扉を開けると、その音が何重にも重なって聞こえてくる。優しく呼び起こしてくれる者などいない。起こされなければ起きないような軟弱者は、実観隊には一人としていない。そのような者は『実験』の対象者となってしまう。そうならないためには、規則正しい生活を、目覚まし時計よりも正確刻まなければならないのだ。

 マルヨンヒトマル。

 一同は一列のまま、食堂へ。実観隊の朝食は簡素だ。男と女は身体の構造が大きく違うために必須栄養素が違う。献立こそ違えど、味気のなさは大差ない。栄養さえ取れれば、味が劣悪だろうが調理のされるまま食わされる。そこに食の楽しさはない。手早く「栄養摂取」を終えた実観隊は、食後の休憩など概念すら与えられないまま、野外へ飛び出していく。訓練場に集合だ。すでに到着していた訓練教官は、今日の訓練内容を簡潔に説明する。目新しいものはなにもない。身体に馴染ませるためには、刺激物など必要ではないのだ。それがなければ生きていけないほどに。ゆっくりじっくり、生体活動とさせる。呼吸と同じ。

 マルヨンサンマル。

 軽く身体を馴らした後、男女で訓練は別れる。ここでは身体を鍛える基礎的なもの。男子はそのまま、生身の肉体を、殺人だけに適した動きを訓練する。その身体能力たるや。子供は体重が軽くはあるが、ほとんどそれだけで、筋肉もなにもあったものではない。だが実観隊は常識しか覆さない。純粋な動きだけでも、二十代後半、熟練の兵士以上の記録を叩きだす。そして、男子はそれほどでもないにしろ、それらを吹き飛ばすほどに特筆するべきは女子である(男に興味がないから紙面を割かないわけでは断じてない)。女子は男子ほどには身体を鍛えない。思春期を迎えるまでは女子の方こそ成長は早いが、それよりも優先するべきことがあるからだ。肉体と魔を馴染ませ、戦闘のために調律する。

 マルキュウマルマル。

 ちょっとした休憩の時間。ただしそれは「疲れたから休ませてあげよう」といったものではなく、効率を追い求めるため、筋肉や魔臓を休ませている間に、今度は頭を鍛えようという、ただそれだけの魂胆である。一通りのメニューをこなした実観隊は建物へと入る。教室へ行くのだ。もちろん、教室とは云っても「学校」で連想できるそれとはまるで違う。実観隊専用の教室には、椅子がそこかしこに散在している。実観隊はそれらを集め、規則正しく並べる。実観隊隊長を中心とし、成績の悪い者が円陣となる並びだ。これが実観隊の教室の席順である。ノートなど取らないから、机は置かれていない。全て頭に刻み込む。命令を受け取るとき、「紙に書いてくれ」と言える立場にないのだ。教官が入室すると、起立も礼もなしに授業は始まる。最近の内容は、「戦術面における魔への対処方法」。教本はカサツシ特務少佐の手製だ。

 イチヨンマルマル。

 実観隊の一日の食事は、ほぼここに集中している。成長期ということもあり、栄養面を考えられた食事。相変わらず味気はない。腹を満たすだけ、と割り切っても辛いものがある。実観隊は機械的に咀嚼をし、嚥下するだけ。

 イチヨンサンマル。

 食事を終えると、昼の訓練が始まる。朝は基礎訓練であったが、ここでは男女の区別なく実観隊全員が参加する、軍事演習。これは、他の戦闘部隊とも大差はない。それでも強いて挙げれば、訓練をしている誰もが無表情で取り組んでいることぐらいだろうか。辛いとも苦しいとも思わない。機械そのもの。

 イチナナマルマル。

 日も暮れはじめ、空が朱に染まってくると、一日の仕上げとして、実観隊は身体の調整を行わされる(人間を塵扱いされることに気分が悪いので詳細は割愛)。

 イチキュウマルマル。

 自主時間。一時間だけの、個人が個人たれる場所。

 基本的には、実観隊のほとんどの隊員が部屋で無為に時を流し、消灯まで待つ。趣味といえるものを持つ者はいない。

 非常に個人的なことになるが、筆者はこの時間が好きである。何故なら、カサツシの司令官室では、ほぼ毎日実観隊隊長と打ち合わせをしており、そこに紛れ込むことができるから。

 彼女は実観隊の顔としてカサツシから直接、戦闘だけでなく人間としての必須栄養素を貰っている。これはカサツシの独断によるものである。筆者はこれに乗っかっているだけであって、自らの意思によるものではない。』


「――ちゅうのが、今日のモリさんっすかねえ。以上、少佐に捧げるっす」

「なんの参考にもならん」

「ああ! 僕の貴重な一日がたった手を前後に動かしただけでオジャンに!」

 報告書をビリビリに破くカサツシは、冷静に激情するという業を成し遂げていた。

「命令だ、イフラ軍曹も破れ」

「了解しました」

「こつこつと、積み上げたもの、一度だけ、それで破裂、この解放感ンゥ!」

 水泡となった一日は、イフラの行動によって報われた。報われてしまった。たかがそんなことで。ヒオビが喜ぶ点は、今も昔も変わりがない。

「なにが『隠密の訓練として、モリさんに気付かれないよう偵察するってのはどうっすかね』だ……! やったことはこんな趣味百割超えの代物か!」

「カサツシ少佐。割合は、十割までです」

 ソファーに背筋を伸ばして座っているイフラは、人間であるくせに人間臭さがない。精巧な人形を「今にも動き出しそう」と褒めることがある。それを踏襲してみれば、「今から魂が抜けそう」とでも云っておこうか。

「今のはだな……ヒオビ二等兵が書きあげた……『きょうのじっかんたい!』とやらに……目を通した俺が……仕事ではなく私事として……今日一日を無為に過ごしたことを……批判するために……いわば……過度表現として……」

 冗談を真顔で解説するほど間抜けなことはない。カサツシの語尾が小さくなっていく。ここまで細かく説明してやらないと、イフラはそれが冗談であるとも思わず、本当にカサツシがそのような覚え違いをしていると勘違いしてしまう。

「モリさんはボケ殺しっすよねえ。そこも魅力なんすけど」

「【ボケ殺し?】 それは、ヒオビに害がある能力なのですか?」

「細胞の三割をボケで構成しているヒオビには、あながち間違ってなかったりもする。……問題はだな、俺にも牙を剥くことだ」

「いけません。今すぐヒオビを研究棟へ行き、凍結してもらわないと――」

「ボケ殺しだな」

「ボケ殺しっすねえ」

 ヒオビは司令官室を退出しようとするイフラの肩を押さえてソファーに押し込む。

「いいか。今度の舞踏会では誰と話しても、そのように頭の固いことを言っては駄目だぞ」

「では朝訓練や昼訓練の合間にも練習します」

「……一応、訊いておこうか。どんな練習をだ」

「どのように話しかけられたら、どのように応答すればいいのか、です」

「…………」

「そういうとこはやっぱ、子供っすねえ」

 人間とはそこまで型に嵌ってくれるものではない。それを杓子定規にできると思い込んでいるイフラの言葉に、大人二人は少し苦笑してしまう。もっとも、イフラだけでなく、実観隊の誰がイフラの立場でも、大同小異な返し方をするだろうが。

「はあ……間に合うのか? いっそヒオビ二等兵に女装でもさせ、男だと言い張った方が手っとり早い気すらしてきた」

「うふ。も~カサツシったらん。そんなにあちしの艶姿がみたいのかしらん~?」

「カサツシ少佐。この肌を遅う感覚はなんなのでしょう」

「危険を覚えることで外敵から遠ざかろうとする本能が、生物には備わっているんだ」

 野生を理性で抑えつけることが可能な実観隊隊員に、恐怖心を貫通させるヒオビの実力。

「いざとなれば笑みは諦めるか。軍服を基調に仕立てた舞踏服ならイフラ軍曹でも……」

「そこまでするんだったら、最初っから他の女性隊員にでも頼めばいいじゃねえっすかよお、って突っ込みはなしっすか?」

「…………」

「あ、地雷でしたっすねテヘッ♪」

 カサツシは手を、何度か区切りをつけながら五回ほど動かす。カサツシ大隊だけで通用する手話。男だろうが女だろうが、戦場で言葉を使わずとも、迅速かつ的確に意思疎通を行える代物。「ヒオビ、を、イフラ、が、殺せ」。「了解」と返す。

「ちょちょちょちょそれはあまりにも直接的すぎやしませんか?」

 さらに指示を加える。「室内、汚す、べからず」。「了解」と返す。

「うっしゃああモリさんに殺されるならしかもそれでモリさんを幸せにできるなら僕の命なんていくらでも――って言うとでも思ったかそんなマンネリしたボケしかしない低能じゃないんだよ僕はなばーかばーかビャアアヤアマャアアヤアアマ」

「俺には前者が本音で後者が嘘にしか聞こえない」

 ヒオビの手首足首の空気だけをピンポイントで固め、拘束。そのままヒオビの額へ手をかざし、弱い電流を放出させる。少しずつ強くすることで、絶望を味わってもらう算段。

 恍惚の笑みを浮かべているようにも思えるのは、電撃によって筋肉が引き吊ったからなのか、それとも本当にそのような感情で支配されているのか。……突然、ヒオビはその表情を自らの意思で操作し、にまりと笑みを浮かべた。

「ま、拷問には慣れてるっすけどにー。情報部舐めんなっすよ!」

 またカサツシは手ぶりを三回する。「為替、使用、許可」。それを確認したイフラは、右手の中指に嵌めている指輪を【為替】する。貴金属であるはずの指輪は融点でもないのに少しずつ融けだし、イフラの身体へ吸収されていく。これで【元金】は手に入れた。後はこの金額分、釣銭すら残さずヒオビへ攻撃するのみ。

 …………。攻撃。攻撃。攻撃。…………。

「ヒオビ二等兵。写真機の調子はどうだ?」

「来る日――と書いて『イフラ=モシツ=メモリというあどけない一人の少女が女性への階段をまた少し上る決定的なるターニングポイントを見届けるヒオビ=バトの人生至福の瞬間は時計の針が刻むごとに心臓が高鳴る命日』とルビを振るっす――に向け、絶賛調整中っす」

 皮膚から湯気を出しているヒオビは、何事もないようにカサツシと会話する。どこからか写真機を取りだしたヒオビは、机の上に置かれた花瓶を被写体として、バシャバシャと何度かシャッターを切る。

「写真機は技術部が極秘裏に開発している物のはずですが」

「だから僕は、技術研からパクった……いえいえ、ガメた……ちがうちがう、くすねた……勘違いされるっすね、ぎった……もうちょっと優しく。――強奪してきたんす!」

「違反行為は上巻に通告しなければなりません」

「しまったあああああちょろまかすって言っときゃかわいかったあああああ」

「どれも同じ意味だったろうが」

 誤魔化しにすらなっていない。嘘はつくのに偽りはしないのがヒオビ流。

「……あー、一応でも手助けはしておく。技術部の野郎どもの鼻を明かすために、俺が命令したんだ。ヒオビ二等兵は悪くない。まああいつらはあいつらで、他国から技を盗んできただけだが。おかげでこいつがあれば、来週のパーティにも活用できる。画像という、形のある証拠を作成できるからな。不祥事を見せたらこちらの勝ちだ。……そんな理由以前に、ヒオビ二等兵の取り扱い責任者は、最終的に俺になるのだがな」

「つまり、ぜーんぶ少佐のせいっす。権力を振り回す輩はこれだから……」

「やはりヒオビ二等兵が絶対悪だ。報酬の前払い制は完全に失策だった」

 つまり、カサツシが技術部から写真機を強奪するようヒオビに命令したと。その報酬とやらが、実観隊の報告書という大義名分を持った「イフラ軍曹の一日」を覗く権利といったところ。

「感知できませんでしたが、今日の『実験』の『観察者』はヒオビだったのですか? 実観隊の士気に関わりますので、まともな観察者を派遣してもらいたい」

「ん? いや、そんなことはないはずだぞ。今日もいつも通りの一日なはず。単に、どこかでヒオビ二等兵が草場の陰で覗いていただけの話だ。通常業務を、さぼってまで、な」

「観察者を自由に選択できるのは、技術研と提携を進めているからなのかと」

「あのなあ。あいつらを利用こそすれ、どうして好意を持って擦り寄らねばならない。隙あらば、あの研究を打ち止めにしたいほどだ。実観隊を引き取ったのは、当てつけだよ」

「嫌ってるっすねえ。そんだけあいつらが憎いんすか」

「ヒオビ二等兵が言うな。こいつでも怒りを露わにしていたくせに」

 ヒオビは破られてしまった報告書の「イチナナマルマル」付近に目をやった。

「そうっすね。これについては、モリさんがどうのこうのじゃなく、気分悪いっす。機械と人体を同じように扱うっすからね。僕が写真機を盗んだのは、やっすい報復ゴッコっすよ。てめえらは人様を好き勝手してくれやがってるんだから、このぐらいの反撃は許してくれるべきっすよね? って」

「…………」

 その「機械」たるイフラは眼を瞑る。その顔は、本当に無表情であった。その真意を測ることは、カサツシにも、ヒオビにだってできなかった。

「――というわけで、僕のせいで暗くなった陰鬱を吹き飛ばすべく、ニッコリチーズ」

 にかっと笑ったヒオビはカサツシに写真機を向け何度もシャッターを切る。カサツシも「山から転がり落とされたいのか」とヒオビへ脅しかけるが、声に冗談の成分が含まれていた。

「じゃあそろそろ、裏向きの理由に移りましょうかねえ?」

「そうだな。時間も時間だ。夜勤の兵士でもなければ宿舎に帰っている」

「っすよねー」

 イフラは無表情を強張らせる。どうやら、イフラがなにかを疑問と思ったときの癖のようだ。なるほど、カサツシが無表情なはずのイフラの感情を読める理由は伺える。

「夜間外出は罰則があります。カサツシ少佐自ら破っては体裁が保てません」

「あのな、イフラ軍曹。俺を誰だと思ってる?」

「佐官のくせに、下手な将官並みの権限はあったりするっすからねえ。英雄は伊達じゃなねえってところっすよそこは。この基地の最高指揮者っすし。少佐が法、っす」

「突発的な基地の見回りとでも言っておけば十分だ。イフラ軍曹がいることの理由にもなる。さ、メモリも行くぞ」

 カサツシは乱れていた襟元を正し、軍帽を目深に被って、司令官の身なりをする。それに倣ってイフラとヒオビも整える。イフラはきっちりと、ヒオビはくったりと。

 三人が密かに外へ出る。夜間は封鎖されている、野外訓練場へ。

「モリさん。こういうのって、堅苦しい上っ面と詭弁で、本音を隠すのが常なんすよ。酒に掛かる費用を『緊張を和らげるための薬の代替だから予算を増やせ』とかやってる、どっかの酒飲み部隊とそう変わらないっす。僕らのやってることは」

「俺は否定する側なのだがなあ。ただ、こればかりは今日でないと意味がない。やはり写真機が手に入ったからには、被写体第一号はイフラ軍曹であるべきだ」

 カサツシは、やけに「今日」を強調する。

 訓練場に到着する一行。ヒオビが手近なもので即興の三脚を作り上げて、その上に写真機を乗せる。

「魔のなんかでこのスイッチ優しく押せないっすかね?」

「可能です」

「よし、これで撮る人がいなくても三人が写れるっす」

 イフラが手をくるんと回すと、スイッチがゆっくりと沈んでいく。遠くにある物体へ圧力を掛ける魔。これは実観隊だからこその能力。そこまで繊細な力加減は普通の女ではできない。

 イフラを中心に、男二人が双璧となる。

「ほら、イフラ軍曹。私的に撮る写真までそんな仏頂面はやめろ」

「形として時がそこに留まるんすから。ほら、練習の成果を見せるべきっすよ!」

 そして、イフラが必死に表情を一から作成していると――

 ぶすっとした実直そのもの。軍服に何十もの勲章を身につけている、レチクラ共和国南方防衛軍司令官カサツシ=ミケンシ特務少佐(当時)。通称【逆さ蕾】。二十三歳。

 ニヘラとした変態以外の何者でもない笑顔を浮かべている、レチクラ共和国本部直属情報部諜報課ヒオビ=バト二等兵(当時)。通称【蝙蝠】。十八歳。

 頑張って笑顔を作ろうとしているが、結果として引きつってしまって、なんだかとんでもないことになっている、レチクラ共和国南方面軍カサツシ直轄実験観察部隊隊長イフラ=モシツ=メモリ軍曹(当時)。通称【為替】。九歳。

 そしてイフラは、今日で十歳となる。


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