⑦~秘策~ 黒猫と方舟


 交渉中のアルクが左手を挙げ、リザが速度を上げる。


「いいえ。事態は一刻を争っています。僕らも命を懸けることになるでしょう。」


 まもなく到着だ。


「分かりました。一人頭9万9千イェルですね、良いでしょう。これで交渉は……え?何ですか?おぉっと通信が……」


 ――ツー、ザザザッ。


 途切れた音に安堵したような顔をして、アルクは親指を立てた。通信は途切れたのではない。切ったのである。


「着いたな。」


 眼前に広がる景色は、痛々しくも神秘的であり。生き残った魔鍾石のつららが地上の陽光を吸収して、深い闇に染まった岩窟を白く鮮やかに照らしていた。



{第三層・崩落した魔鍾洞}


 入口の魔鍾石エリアを抜け、先に見える斜面を覗けば最終到達地点{岩窟神殿}が見えてくる。しかしながら、魔鍾石のつららは丁度斜面に掛かる地点で大崩落を起こしたらしく、岩窟神殿に至るまでの大道はまるで雪崩が起きたかのように、グシャグシャに荒れていた。


 魔鍾石の白に良く映える、鮮血。


 画用紙を丸めた岩に絵の具が塗り潰されたようなそのコントラストは、まるで絵画のように現実離れしていた。


 俺は流血を敷いた魔鍾石の岩をどかし、潰れた死体の装備品を確認する。


「ナムナム」


「死んでんね。」


 傍らに顔を出したプーカは死体を突っついて確かめた。


「見りゃわかんだろ。即死だ。」


 ――ベルトのピッケルに、カナビラとロープ。ナップザック。護身用の杖。


「許可証、許可証っと。」


 有名なクランで有れば服装に統一感を持たせるところも少なくないが、地方のクランや小規模なクランであれば、服装以外で身元を確かめなければならない。まぁ十中八九はクラン・エドガーの団員なのだろうけれど。


 俺はナップザックを開き、中に有った書類をまさぐる。どれもこれも良く濡れている。当たり前か。人間の血液量は体重の8パーセントだ。死体の彼を70kgと見込んでも5kgの米袋に入りきらないほどの血液を含んでいることになる。


「あった~。」


 俺は血に濡れた書類を懐中石灯で照らし、中身を確認した。


――【ナナシ】 

所属「ビスタノーラ」

登録「ウェスティリア冒険者ギルド」

専門位「究明士」


 夢でも見ているのだろうか。


「俺のだ……。」


「ナナシ死んだん?」


「おぉ、不吉なことを言う子だ。嫌われちゃうよ?主に俺から。」


 プーカはそんな俺を先程のように突っつく。そしてしばらく、ボサボサの短い碧髪をゆらゆらと揺らしながら、顎を撫でて考える動作をした。


「ほうほう。死んでんね。」


「おい。」


 俺は懐の短剣を抜き、手のひらをちょこんと切って血を垂らす。


「見りゃ分かんだろ。存命だよ。」


 そして流れ出る鮮血をそのまま書類へと垂らした。


――【ナナシ】 

所属「ユーヴサテラ」

登録「ウェスティリア冒険者ギルド」

専門位「無し」


 血液に触れた文字は部分的に、まるで焦げたように消えてゆき、その後ろから新しい文字が浮かび上がって、完全に正しいプロフィールへと姿を変えていく。


「魔法やんね。」


「そうみたいだな。」


 俺はその紙を丁寧に四つ折りにして尻ポケットへしまった。そしてもう一度、死体を確認する。顔や身体は潰れきり、もはや性別すら特定できない状態だろう。


「死んでんね。」


「あぁ。」


 この時点で俺は平静を装い、全くもって混乱していた。




――――――――

{第三層・岩窟神殿前}


「一人いた。」


「あっちもだ。」


 斜面の先には予想通り、崩落に飲まれながらも生き永らえたクラン・エドガーの団員達がいた。幸いなことに彼らは虫の息どうしで肩を寄せ合い、その多くが神殿前の柱の下で草臥れていた。


「リザ、あの集団をキャラバンへ入れてくれ。俺とテツは散らばった怪我人を見つけ出す。プーカとアルクは介抱。」


「うん」

「分かった」

「了解」

「えぇ~?」


 各々が返事をし、俺はキャラバンから飛び降りて走る。


「――大丈夫か?」


 向かう先は真っ先に目に飛びついた怪我人。長い髭面に毛色は真っ白。


「おい大丈夫か、おっさん。おい。」


 あの時見た、エドガー・ウィリアム。


「息は有るな。右腕は、……折れたか。」


 俺は脈を確かめ、次に怪我を確かめる。目立った外傷は頭の流血と複雑に曲がった右腕だけ。背中や胸には内出血を起こしたような痕跡も見られない。出血量も大したことないだろう。意識はまだある。


「立てるか、喋れるか?」


『――触れ……』


 エドガーは薄眼を開けて、口を開く。


「ん。何だって?」


 俺は頭部の流血を拭いながら、耳を傾けた。


『――触れ、て……、しまった……怒りに、』


「どうしたおっさん。辛かったら無理すんな、今俺が助けて……」


『――違ヴ! ……ゴっちジゃない!!』


 その時、目をかっぴらいたエドガー・ウィリアムは、吐血したまま神殿の方へ指差した。


 刹那。


 野太くけたたましい咆哮が、神殿の中から向かうように響き、重々しい足音が地鳴りのように駆けあがってくる音がした。

 竜だ。それは頭部を竜にかえ、何本もの腕を生やした人間とのキメラ。


「エルノア!」


 俺は咄嗟に叫び、キャラバンは形を変える。


――ノアズ・アーク、フォームタイタン。


 キャラバンから伸びた木製の巨腕は竜の頭を抑え、炎の咆哮を器のように受け止め、握りつぶす。

 息もつかさぬ間に、――ダァンと強烈な轟音の銃声が一つ。

 テツの狙いすました一撃が人間部と竜頭部の境目を撃ち抜き、二つを接合する喉のような場所に風穴を開けて捻じ切った。


 俺はすかさずエドガーを背負い、キャラバンの傍へ駆け寄る。


「全員中に入れ!!」


 アルクらは救助者を抱え4畳ほどのキャラバンの中へ、一人また一人と入っていく。


「――ナナシ、このままじゃ狭すぎる。」


「シーカーを解いてノーマルで戻る。追手が居たら……」


 リザの言葉にすかさずプランを返すが、テツが屋上から周囲を睨み冷静に口を挟む。


「まだいる、三体。しかも退路。」


 俺は短剣を抜き、屋上へ飛び乗る。


「分かるナナシ? 神殿の中に1、出口方向、左右に1ずつ。囲むように蠢いてる……。」


 背中越しにテツが指さし、やっとその姿を視認する。光届かぬ岩窟の闇に潜み、触覚のようなものをヒュルヒュルと動かしながらコチラを覗く何かが三つ。

 その一つは、俺たちが貝のように閉じこもったのを見ると、ゆっくりと、またゆっくりと距離を詰めてくる。それは俺の正面。神殿側の1つ。


「来る……。」


 しかし、闇から姿を現したのは華奢な人間の冒険者だった。


「テツ、俺一人で良い。それとエルノアに伝えてくれ。……」


 様相は俺たちと同じ人間だ。しかし深淵の如く底知れないその殺気と狂気は、まるで先刻の怪物のように人間離れしていた。




『――逃げられると思っているのか?』




 得体の知れない魔女帽が、そう聞いた。


「どうして俺たちを狙う。」


『――貴様らが神の怒りに触れたからだ。易々とこの神殿を荒し、秘宝を奪い去った。』


「なるほどな~。」


 それを聞いて思うのである……。


 ――腹立たしいな。


 と。


「なら俺たちは関係無いはずだ。誰かが憎いなら、恨めしいなら、その誰かだけを狙えば良い。俺たちなんかに妨害されず、小賢しい真似をせず、正々堂々祟り殺せば良い。出来る筈だろ、なんせ神の怒りなんだから。」


『侮辱するか?』


 奴は魔女帽を傾げ、目を見開く。


「侮辱も何も無いだろ。往々にしてそうだ。戦争も、貧困も、奴隷も、飢餓も、政治も、法律も、不幸な事故も、この戦いも、往々にしてそうだ。往々にしてそうだった。お前らが言う所のその怒りは、『神』って奴は、」


 俺は奴を見下ろして言う。


「――あまりにも『不完全』すぎる。」


『異教徒め。』


 ――黙れ、邪教徒。


「おいところで、逃げられるかどうかと聞いたな?――逃げやしないさ。」


 俺は秘策を広げる合図の為に、右手を伸ばして指を鳴らした。

 パチンッと軽快な音を立てた指の下では、人混みが嫌いな黒猫がギュウギュウになったキャラバンに嫌気がさしている頃合いだろう。


 だからこそ選んだのだ。


「ただ、耐えるだけです。」










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