②緊急事態

{ジマ街・ダンジョンギルド}


  昼下がりのギルドハウス。ミサが昼食と休憩を済ませて戻ったその場所は、戦場のような慌ただしさで、魔鉱石を用いた受話器の鈴がけたたましく鳴り響いていた。


「みなさん、どうされたんですか?」


「ミサちゃん!!緊急だ、第3層で崩落事故が起きた。きっとどっかの馬鹿が魔鍾石のつららに魔法を当てたんだ。そのせいで厄介なことに、主要な鍾穴からの空気が遮断された可能性が有る。早く情報を回さないと毒と酸欠でみんな死んでしまう。」


「……えっ?」


「より早く、多くの冒険者に伝えてくれっ!!」


 その話を聞き、ミサは言葉を詰まらせた。当日審査。体調面を含めた最終チェックを地元のスタッフと行う、ダンジョン特有の様式。すなわち移動時間を加味すれば、午前中、第3層まで到達できる人間の審査を受け付けていたのは、自分だけだったからである。


 一体誰が、あるいは何が原因で事故が起きたのか。責任の所在は何処に有るのか。一体何が悪かったのか。何をすれば良かったのか。


――どうすれば。。。


 ミサの頭の中では、グルグルと目まぐるしく回る困惑が、正常な思考を妨げていた。第三層の崩落事故。崩落に至るまでに大きな地震も地鳴りもデータには無かった。通常では有り得ない状況。人災。冷や汗。それを生み出した自分。血の気が徐々に引いていく。


「――早くっ!!」


 瞬間、ギルドマスターがミサを急かす。責め立てる訳でも無く、今に活路を見出す為の催促。その言葉にハッと意識を戻し、ミサは最善を尽くすため近くの受話器とダンジョンに潜った冒険者らの名簿へすぐさま手を伸ばす。


「……は、はいっ!!」


 やることは多いが、限られている。まずは早朝から現在時刻までに至る、受付済みかつ最終第三層に潜り得るへ連絡を入れなければならない。


「こっからここまでは伝えた。しかし不運なことにクラン・エドガーは当時、散開調査を行っていた。それも崩落した現場付近。魔素の乱れから通信は限りなく届きにくい。ミサちゃんは繰り返し残りの10人へ連絡を頼む!」


「はい!!」


 ミサは指でなぞられた名簿の、斜線の引かれていない番号に周波数を合わせ、魔鉱石のダイヤルを回して通信を図る。しかし受話器の鈴は一向に鳴り止まず、冒険者からの応答は無い。もしかしたらもう、大勢が死んでいるのかもしれない。


――落ち着けっ、次だ、次だ。


 ミサは焦りと共に、震えた手で名簿をなぞっていく。次第に名簿の文字は涙で霞んでいきながら、しかし堪えるように、ミサは通信をはかり続けた。


――次は、ダイアナ・モードレット。その次はログルス・カイゼル。ヨーウ・エリジャー。ライ・ローレンス。焦るな。落ち着け、冷静に。


「もしもし、ギルドか?こちら第2層。」


「ダイアナさんですかッ!?」


「その声はミサちゃんか。丁度良かった聞いてくれ、今しがた巨大な地震が有ってな、強い強風のあと完全に南風が途絶えた。一体何が有ったんだ?」


 ダイアナ・モードレットはB級冒険者のクラン長であった。彼の率いる7人パーティーは救助隊としての実績も有る。

 ミサは息を呑むようにして心を落ち着かせ、ダイアナに事故の情報を伝えた。


「ダイアナさん、第三層の魔鍾石によってダンジョンの一部が崩壊したそうなんです。恐らく地震はその為です。……落ち着いて聞いてください。これにより主要鍾穴からの空気が遮断された可能性が有ります。」


「なんだって!?」


「ダイアナさん、第三層には連絡の途絶えた冒険家たちが多くいます。ダイアナさんが頼みの綱なんです。事態は緊急を要してます。どうか、第三層への救難クエストを受けてもらえませんか?。」


 その言葉にダイアナは声を渋らせて言った。


「うっ……。すまない、今回ばかりは応えれそうにない。音の大きさから第三層の崩落はかなりの規模だと思う。地形も安全なルートも分からず、タイムリミットは僕たちが戻る分で精一杯だ。」


「そんな……」


「すまないね、ミサちゃん。……しかし、僕らより後に受付を済ませたクラン。地元の連中らだけだけど、顔の知っている奴らは僕らの後ろにいる。だから第二層以降の避難誘導、情報伝達は僕らが引き受けるよ。どうか君は深層に潜った人たちへ連絡してみてくれ。エドガーのクランならきっと生還するはずさ。」


「そうですか……、分かりました。」


 ミサは一瞬肩を落とすと直ぐに謝礼を述べ、大幅に名簿の名前を消していった。


「マスター。ダイアナさんに、連絡が付きました。これらのクランは彼の指示で戻ってきます。後はそれ以外のクラン……。」


 彼女は自分の言葉に思考を停止させた。

 今回の事故を起こし得る人間に心当たりがあったのである。


「どうしたんだい、ミサちゃん?」


「い、いいえ。通信を続けます。クラン・エドガーの頭から繰り返します。残りの2クランもこちらで繰り返します。マスターは救難手続きを」


「あぁ、そうだね。」


 ミサは必死に名簿に刻まれた17つの周波数へ通信を行う。


――エドガーさん。


 開拓士クラスの{クラン・エドガー}は、ジマ街にとっての希望であった。現在、ジマ岩窟ダンジョンが整備され、第一層にはF級冒険者ですら入れてしまうのは彼らの功績が大きい。


 それ故に、街の稼ぎ柱としても精神的支柱としても彼らは失くしてはならない存在であった。


「――パパっ!!」


 ギルドハウスのドアが開くのと同時に、見慣れた幼い少年が泣きながら入って来る。スキンヘッドの男、ロイダルも一緒である。


「パパはどこっ!!」


 ・・・


 少年はエドガーの一人息子だった。彼の悲痛な言葉に、ミサは心臓が縮みあがるような感覚と、登り上がるような溜飲の不快感に襲われた。ミサの意識が目的と乖離する。時が止まったかのような一拍を置いて、ロイダルは手を止めたミサにすかさず声を掛けた。


「――ミサちゃん!」


「ロ、ロイダルさんっ、その恰好は?!」


 ロイダルはハーケンやピッケルを腰に据えたベルトに、皮のグローブをはめ、探索の一張羅を着込みながら現れた。


「あぁ、手続きは要らねぇよな? それよりまさか、さっきのふざけた連中の仕業じゃないだろうな?」


「分かりません。それより、第二層のダイアナさんが救難クエストを辞退されました。ロイダルさん……。」


 ミサは心苦しそうにロイダルを見つめた。


「ダイアナがっ?クソッ……。ダイアナが諦めたのかっ?!」


 ロイダルはクマを浮かべながら、酒臭い口を捻らせ地面を踏み鳴らした。


「クソッ!!クソッ!!クソッ!!」


 ダイアナ・モードレットという実力者が諦めたという指標。その事実一つで、ダンジョンには明確な生と死の境界線が、はっきりと隔てられていた。


「ロイダルさん……。」


 ダンジョンとは人が死ぬところである。それは鮫が陸では死ぬように、獅子が海では死ぬように。生きる場所が隔てられたこの世界で、迷宮の闇に溺れた人間は、さも当たり前のように死んでいく。それが自然の摂理だから。


「――クソッ!!」


 ロイダルが癇癪を起し、長椅子の脚を蹴飛ばしたその時、ダンジョンギルドに着信の呼鈴がリリリンと鳴り響いた。ミサは鬼気迫った表情で受話器を手に取り「こちらギルド」と返答する。


「……ミ、ミサちゃん。こちら第二層、ダイアナだ。」


「ダイアナさんっ!!」


 受話器の先のダイアナの声は困惑に参ってしまったように、疲れ切って震えていた。


「その驚かないで聞いて欲しいんだが……。」


「はっ、はい、なんですか!何が有ったんですか?」

 

 そしてダイアナは息を呑み、その先の言葉を紡いだ。



「今しがた、が"崩落したダンジョン"を下っていった……。」



「――はっ?」


 その言葉にミサは少し怒ったように言葉を返した。


「何を言ってるんですかダイアナさん!!こんな忙しい時にっ!!」


「本当なんだっ!!が、四輪になりながらダンジョンの中を下って行ってしまった。これが幻覚だったなら、恐らく私は助からないッ。と、とにかく第三層に居るクランが一つ増えるだろう。彼らが何者かは分からないが通信石を強奪された。もう意味が分からない!!」


 ダイアナは戸惑ったような声色で、慌てながら弁明するようにそう言った。


「とにかく連絡が有るかもしれない。つまりその、キャラバンに乗った何者かからの……」


 その時、ミサの隣に置かれたもう一つの受話器から、――リリリンと不気味な音が鳴った。一瞬間、ミサの背筋に悪寒が走る。

 

「ミ、ミサちゃん。」


 ロイダルのその言葉にミサは静かに頷き、息を呑んで受話器を取った。


「は、はい。こちらギルドです。」


「あっ……、あぁー……聞こえますか、……電波悪いな。いや、電波じゃないのか。」


 ぶつ切れの声は、激しい風切り音と共に聞こえてきた。


「もしもし?」


「もしも……。あ、お姉…ん?そっか……か話が早いや。今しがた深層で事故が起きたらしくて、誰も救助に行け……だとか。話によ、……ば、もう死人が出てるだとか何とか。あぁ、後何人生きて帰れるのかなぁ?」


――死人?!死人が出た……!?本当に……?私が……送り出した…事故死。


「それは本当ですかっ!?……いや、それより。一体、貴方たちは誰なんですか!?」


 焦燥交じりの声色を嘲るように、淡々とその声は、はっきりと聞こえる様に帰って来た。


「誰ですかって、酷い人だな。」


 ギルドの受話器は呼鈴の音を増やしていく。隣でそれを取ったギルドマスターは、驚いたような声で「……?」と呟いた。他の受付番も同様に戸惑っている様子が目に映つる。


「はい、こちらギルド。はぁですか?洞窟ですよ?」


「――おい、あんなのアリかよ!?」


 呆れた様な声が、あちらこちらで漏れて出る。百聞は一見に如かずだ。どれだけ聞いても、信じられないことがこの世界にはある。そして間違いなく現場は混沌とし、このギルドハウスは混乱していた。


「落ち着いてください。」


 次々に鳴る呼鈴は輪唱するようにその数を増やし、受話器の向こうでは口を揃えたように「」という言葉が飛び交っていた。非常識で場違いな状況証言。鳴り止まない受話器。減り続ける制限時間。過去に類を見ないカオスの合唱を前に、ミサは苦しそうにユラリと頭を振った。


 ……そして時は、もう一度遡る。混沌を正すように。




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