第176話 練習と実戦の違い
――アルルの家に戻った後もしばらくの間は誰も何も話す事はできず、黙々と時間を過ごす。全員が机を挟んで座り込み、アルルの入れてくれたお茶を飲む。
「……ふうっ、やっと落ち着いて来たね」
「はあっ……何か、一気に疲れが来たわ」
「ふうっ……」
「……お腹空いた」
バルルが口を開くとそれを皮切りに他の者たちも言葉を発し、ようやく緊張感が解れた。赤毛熊を見た後からずっとマオ達は精神的に張りつめていたが、家に戻ってきた事で襲われる心配も無くなった事で安心する。
家に戻って身体を休めながらマオ達は先ほど遭遇した赤毛熊の事を思い返し、突如として現れた化物の出現にそれぞれが別々の感想を抱く。
「あの化物……何処から来たんだ?」
「さあね、少なくともここいらで赤毛熊はいないはずだよ。そうだろう爺さん?」
「ああ、この辺には普通の熊さえも滅多に見かけねえ。恐らくは別の地方からやってきた個体だろう」
「あんなに大きい熊、初めて見た」
「あたしも何度か赤毛熊は倒した事があるけど、あれは規格外だね。いったい何を喰ったらあんなにデカくなる事やら……」
「…………」
全員が赤毛熊の話題で盛り上がる中、マオだけは何かを考え込む。その様子に気付いたバルルは不思議に思って彼に視線を向けると、お互いの視線が交わった瞬間にマオは口を開く。
「師匠、聞きたい事があります」
「何だい、改まって……」
「赤毛熊に……僕の魔法は通じますか?」
『っ……!?』
マオの言葉に全員が言葉を失い、自分で告げたにも関わらずにマオ自身も緊張を隠しきれなかった。バルルはマオの思いもよらぬ言葉に口を開くが、すぐに考え込むように頭に手を伸ばす。
「……あんた、まさか魔法で奴を仕留めるつもりかい?」
「えっと……やっぱり無理ですか?」
「いや、それは分からないね……もしかしたらあんたの魔法なら通じるかもしれない」
数か月前にバルトの試合で見せた「氷柱弾」の事を思い出したバルトは、マオの魔法ならば十分に赤毛熊にも通用する可能性がある事を見出す。
マオが繰り出す氷柱弾は中級魔法の域を超え、上級魔法にも近い威力を誇る。そんな魔法を赤毛熊に至近距離から繰り出せば倒せる可能性は十分にあった。それに氷柱弾でなくとも彼の他の魔法ならば通じる可能性も十分にある。
「あんたの魔法ならもしかしたら奴に通用するかもしれない」
「えっ!?マジかよ!!」
「それなら……」
「おい、バルル!!何を言っているんだ!?こんな子供に奴と……」
「いいから話を最後まで聞きな!!」
バルルの言葉に他の者たちは驚いた声を上げ、アルルは慌てふためく。しかし、そんな全員にバルルは怒鳴りつけて黙らせた。
「確かにあんたの魔法は奴にも対抗できるかもしれない。だけどね、あんただって見て分かっただろ?あいつは普通の魔物じゃない、何十メートルも離れてるのにあいつの姿を見ただけであたし達は震えて身体もまともに動けなかった」
「そ、それは……」
「魔術師が魔法を扱う際に尤も重要な事は何なのか分かるかい?それは冷静さだよ。精神を取り乱せばどんなに腕の良い魔術師だとしても本来の魔法の効果を引き出す事はできない。動揺している状態では魔法をまともに扱う事もできないのはあんたも嫌という程知っているだろう?」
マオはバルルの言葉に言い返す事ができず、精神を乱した状態では碌な魔法も扱えない事はよく知っていた。これまでにもマオは精神的に追い詰められた際、魔法をまともに扱えずに窮地に陥った事はあった。
魔法を発動させる際に重要なのは精神力であるため、赤毛熊に怯えているようではマオは本来の自分の魔法の力を発揮できない。先ほどの赤毛熊の恐怖を思い出したマオはもしも戦う事になれば自分はまともに戦えるのか自信がなかった。
「馬鹿な事を考えるんじゃないよ、あんな化物は今のあんたの手に負える相手じゃない。ほら、さっさと帰り支度をしな。世話になったね、爺さん」
「あ、ああっ……」
「マオ……」
「……仕方ねえさ、あんな化物を俺等がどうにかできるわけがねえ」
「…………」
バルルは子供達に帰る準備を促すと、それに対してマオもミイナもバルトも逆らう事はできなかった。今日の夜に白狼山を経ち、赤毛熊から逃げるのが得策だった――
――自分の貸し与えられた部屋に戻ったマオはバルルに言われた事を思い出し、赤毛熊の事を思い浮かべる。今までに遭遇したどんな魔物よりも恐ろしく、そして大きな力を持つ相手にマオは無意識に身体を震わせる。
(怖い……こんなに怖いと思ったのは初めてだ)
オークと最初に遭遇した時も恐ろしかったが、赤毛熊の姿を見た時はそれ以上の恐怖を抱く。それでもマオは心の何処かで今の自分ならばなんとかできるのではないかと考えてしまう。
(怖いけど、今の僕の魔法なら倒せるかもしれない。けど、あんなのを前にしてまともに戦えるのか?)
赤毛熊の姿を思い返すだけで恐怖のあまりに身体が震える。こんな状態では本物と対峙しただけでまともに身体が動けないかもしれず、魔法を使って戦う事もできない。もう諦めてバルルの言う通りに帰り支度を整えようとした時、不意にマオはある事を思い出す。
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