昨日の友と今日を共に
ルート247
①レール
今自分がしていること、自分の姿、人生を、10年前の自分は想像していただろうか。想像通り、なんて人は、親が医者だとか、代々政治家の家系だとか、まるで最初から目的地の決まった電車に乗っているような、生まれながらにして終点までのレールを引かれている人たちだ。15年くらい前に某有名起業家が流行語大賞を取った、「想定の範囲内」というフレーズ。自分の人生が、「想定の範囲内」に収まる人がどれだけいるだろうか。人生には想定し得ない事象が数多に起こる
自分が今本を書いているなんて、10年前の俺は1ミリも考えていなかった。高校生になるまでずっと本が嫌いだった。読むことも書くことも、ましてや国語なんて1番の苦手科目だった。俺の好きなボーカロイドの曲、「ロストワンの慟哭」の歌詞の中に、「数学と理科は好きですが、国語がどうもダメで嫌いでした」とあるが、まさしくそれだった(とはいえ、俺は理科も嫌いだったが)。
「大学決めた?」
誰もいない空っぽな田舎駅のホームで電車を待っていると、タカに不意に聞かれた。高校3年の9月。センター試験(現在は共通テストというらしい)まで残り4ヶ月といったところだ。この頃になるとクラスの雰囲気や同級生との会話の中心は大学受験のことで持ちきりだ。学年のほぼ全員が大学受験をするので当たり前に感じていたのは確かだが、10年経った今振り返ってみると、少し異質に感じる。もし「好きなことで生きていく」というフレーズにあるように、YouTuberを始め、学歴に左右されずとも個人の能力で人生を歩むための選択肢が増えた今日に高校生活を送れていたなら、きっと大学受験ではなく、自分がもっとやりたいことを模索したかもしれない。しかし、当時の俺は大学を受験すること、その中でもどの学部へいくのかということしか考えていなかった。というより、それ以外を考える発想すら持っていなかった。
「まぁ、なんとなく」
俺は言葉を濁した。実際はそこそこちゃんと(?)進学先について決めていたのだが、質問をしてきたタカの方が出来が良いために小恥ずかしさがあったからと、とある選択をしようとしていたからだ。
「どこにしたの?」
俺にこう聞くタカは出来がいい。中学とは違い、同じレベルの学力を持つ学生が集まるのが高校だが、俺からすれば何故自分と同じ高校にいるのか分からなかった。勉強している姿はほとんど見ていないが勉強ができる。地元では神童と言われていたらしいし、周りの大人たちからは東大に行くと思われていたらしい(「らしい」というのは地元がやや離れているからで、タカは高校2年の時に知り合った俺の数少ない友達だからだ)。
しかし実際のところは、更に出来るやつはごまんといたし、その中から最難関と呼ばれる大学に進学できるのはほんの数名で、残念ながらタカは(もちろん俺も)、いわゆる「超抜」という部類には入っていない。それでも、神童と呼ばれていたのは、やはり閉鎖的な田舎町であったからだ。
「タカは?」
「逆質問すんなよ」
「人に名前を聞くときは、まず自分から名乗れって言ってただろ」
「誰が」
「江戸時代の武士たちが」
「いや武士って!」
俺は何かを引用する癖がある(それは時にくだらないことでもだ)。それを受け入れてくれるタカとはウマがあった。
「で、どこなの?」
「僕は国立大の農学部にしようかなと」
俺もタカも高校に馴染めなかったので、よく2人でカラオケに行った。決まってタカは、ONE OK ROCK(ロックバンド)の曲を歌った。本物かと思うくらい上手かった。だから俺はこの(元)神童を、ONE OK ROCKのボーカルの名前にちなんで「タカ」と呼んでいる(本人も髪型などを本物の「Taka」に寄せていたし、それは大学に入ってからより顕著になった)。
「なんで農学部なの?」
「生物選択だからだよ」
反射的に答えてきた。
うちの高校では2年に上がる時に文理選択をする。そして更にそれぞれの中で科目を選ぶ。俺もタカも理系を選択したが、俺は物理、タカは生物を選んだから、同じクラスといえども、授業によっては別のクラスに移動することもあった。
「『生物選択だから農学部』、じゃなくて、『農学部に行きたいから生物を選ぶ』ってことじゃないの?」
「だって僕、物理嫌いだったから」
自分の人生を左右するかもしれない選択を、タカは消去法で選んでいた。消去法が悪いわけではない。だが、何かを選択するとき、本当にそのことの奥深くまで調べ、考え抜いて決めていく学生はどれだけいるだろう。俺はそれを適当にしている奴らがたまらなく嫌いだったし、そんな風に適当な奴らを心の底で馬鹿にしていた。だが、実際周りの同級生を見てもそんな奴ばかりだった。
「別に農学部じゃなくても、看護系でもいいじゃん」
「そっち系にするならいっそ医学科行かなきゃ」
「じゃあ医学科に」
「それは無理」
「農業に興味は?」
「あんまりない」
これだ。なんとなくだ。腹が立つ。ましてや俺よりも出来のいいタカが、いろんな選択肢のあるタカが、この先の人生をまともに考えていないのではないかと、俺は少しばかり腹を立てながら質問した。
「農学部って何するの」
「顕微鏡覗くんだよ」
「顕微鏡覗いて何するの」
「研究するんだよ」
「何を」
「農業について」
「農業について?」
「微生物とか見るんだと思う」
「興味もないのに」
「まあね」
「一生?」
「研究者になったらそうかもね」
顕微鏡で空っぽのものを覗いて、どれだけ倍率をあげたとしても、見えるものは変わらない。透明なものはいつまでたっても透明なままなだ。一生タカは、視野が狭くなるほど近づいてまで透明な何かを見ていくのか。
・・・なんてちょっと哲学的(?)というか、ポエム的(?)なことを考えてしまうのは、俺が高二病だからなのか。いやもう3年だから高二病はないか。18歳という年齢がそうさせていたのか、10年経った今当時を振り返ると、なんて恥ずかしいのだろうと思う。そんな羞恥心を抱くことなど知る由もない18歳の俺は、他人と少し違う発想や考え方をもつことに、格好よさというか、自分は特別なんだという哀れな感情を抱いていた。それは大学受験という、周りの同級生と同じレールの上を歩いてしまっている自分に対しての嫌悪感もあった為に、少しでも他人と違う何かをしてやろうという気持ちがあったが故だろう。
「一生顕微鏡を覗く人生でいいの?」
他意もなく聞いてみた。一生なんて、極端極まりない。だけど、安易に興味のない方向へと進んでしまいかけている親友に対して、嫌悪感も入り混じった友情から、少し意地悪な質問をしてしまった。だが、質問の答えが返ってくる前に、俺たちを地元まで運ぶ電車が汽笛を鳴らしながらやってきた。タカは思いのほか俺の質問の答えを真剣に考えてくれているようだったが、少し意地悪だったと反省した俺は、答えを聞く前にこう言った。
「帰ろうぜ」
俺たちは電車に乗り込んだ。電車は相変わらず空いている。そして俺たちはいつも通り、空っぽで中身のない、他人が聞いたらきっとくだらないと思うような話で盛り上がった。電車は俺たちが乗っていることなど気にも留めず、ただ決まったレールの上を走り始める。
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