第3話


ガソリンが満タンになったぽんさんの車は、また元気よく夜の道を走り出した。ぽんさんは、ドリンクホルダーに僕から受け取ったお茶を差し込み、赤信号になったタイミングで少しずつ飲んだ。

「あの。」

僕は、再度ぽんさんに質問した。「自分の過去を懐かしいと思えるようになるタイミングって、ぽんさんはどこだと思いますか?」

「私は・・・・とある出来事があってから、ふと自分が歩んできた足跡を、見つめ直しました。」ぽんさんは少し寂しそうに、でも微笑んで言った。「それが後々、私が今こうして前向きになれるキッカケをくれました。」

「そう、なんですね・・・・。」

僕は、どこかぽんさんとの「壁」を感じ、そこで質問するのをやめた。誰にでも喋りたくないことはあるだろう。踏み込みすぎたのかもしれない。

すると、ぽんさんは、車のミラーで僕の姿を一瞥した。

「懐かしいと思いたいことが、あるんですか・・・・?」

「え・・・・?」

僕は、不意をつかれたような間が抜けたような声を出し、ぽんさんを見た。

「いえ、なんでもありません。お客様がそう悩んでいらっしゃるように見えましたので。」

ぽんさんは、ハンドルを握っていた左手を離し、顔の前で横に振った。「変なことを聞いてしまい、申し訳ないです。」

「いえ、大丈夫です。」

僕は、そう言って少し黙った。が、すぐに顔を上げた。「ぽんさん・・・・僕には、懐かしいと思いたいことがあるんです。」

「・・・・そうですか。」

「四年前、横断歩道を渡りきるか否かのところで、当時の恋人を亡くしてしまいました。あともう少しの、あと一歩のところで、彼女を失ったことが、今も脳裏に焼き付いていて、離れないんです。」


僕の言葉は、夜道を走る車内に、静かに、静かに溶けていった。




『二人でいると楽しいね!』

僕は、四年前の恋人の言葉を思い出した。

『急にどうしたの?』

僕は、彼女の言葉に首を傾げた。彼女はそんな僕を見て、ふふっ、と笑った。

『あなたと一緒なら、一歩でも前を向いて歩くことができるなって思ったの。』

『それは僕もだよ。』

僕は、隣にいる彼女の頭を撫でた。『ずっと一緒にいようね。』

『うんっ!』

彼女は、満面の笑みを浮かべて、僕に寄り掛かった。




なんで、今更これを思い出したかは分からない。特別な会話をしたわけではないし、第三者が見れば「カップルの幸せな時間の一コマ」にしか見えない。

ただ、僕は今そのことを思い出して、何か寂しくて、悲しくて、辛くてどうしようもなかった。その感情は、一粒の何かになって、僕の頬を静かに伝った。

ぽんさんは、何も言わずに、前を向いて車を運転していた。僕が泣いていることを考えてくれたのかどうかは分からないが、今は何も言ってくれないことが有難いと思った。


ここで僕は、この四年前の話を家族以外の人間に言ったことがないことに気づいた。別にいう必要はないと思った僕は、今まで親戚や友達に「恋人と別れた」と嘘を貫いていた。

なのに、僕はあっさり、今日会ったばかりのぽんさんに話してしまった。


自分でも不思議だが、話してしまった、という焦りや不安は全くなく、むしろ「この人なら話しても大丈夫だ。」と思えた自分がいた。

ぽんさんに会わなければ、僕は第三者にこのことを話すことはなかったのかもしれない。

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