第6話 後を追う者ー⑧

「実はな、お主の父親に頼まれて生死の確認と、もし生きておれば殺せと依頼されたんじゃ」


 ルナを殺すと聞いた瞬間クロノアは殺意を爆発させる。


「やめておけ馬鹿弟子。お主がわしに勝てる訳が無かろう」


 クノイチはクロノアを制止するように手を向けた。


 先程までは酒に酔った赤ら顔をしていたはずなのに、今は氷の様に詰めたい微笑を浮かべている。


「やはり父上が私を殺そうとしていたのか」


 乗り越えた筈のショックに、ルナはクノイチのせいで再び襲われてしまう。


 ヴァーリウスを捨てルナに戻った今でも実は心の片隅では、暗殺を命じたのは自分を蔑んでいた義理の母であり、父は何も知らないのではないかと思っていた。


 例え洗脳のような教育を自分に施した酷い人間でも、生きている唯一の肉親である父をルナは信じたかったのだろう。


 だが、面と向かって自分を殺すよう命じたのが父だと言われてしまえば、その甘い幻想も儚く散ってしまう。


 一粒の涙と共に父への思いを心から流し去ったルナは、自分の命を狙うというクノイチと戦う為に臨戦態勢へと入る。


 だが、クノイチは氷の様な微笑を引っ込め、赤ら顔に戻ると再び笑い出した。


「二人共落ち着かんか。わしはルナを殺す気は無い。確かにベリルスには息子を殺せとは言われたが証拠を持ってこいとは言われとらんからの。いくらでも誤魔化せる」


 殺すと言ったり殺さないと言ったり、支離滅裂なことを言うクノイチにルナもクロノアも困惑する。


「ではどうするというんだ」


「実はわしは馬鹿弟子を連れ戻せればそれでいいんじゃ。最初は面倒な話し合いなぞせずに殺してしまおうかと思っておったんじゃがそれだと馬鹿弟子が後を追いかねんからな。仕方なしの譲歩としてルナ、お主を生かしておいてやることにしたんじゃ」


 随分と尊大で身勝手な言い草ではあるが、感謝しろ、と言わんばかりの態度を取るクノイチにルナもクロノアも怒りを感じはするが、この場で戦いになるのは避けるべきだと考えられる程度には冷静だった。


 弟子として扱かれ続けたクロノアは当たり前だが、対峙しているだけでルナも自分が敵う相手ではないと悟ったからだ。


「僕は戻る気は無いぞ。ルナさんから離れたくないし、アンタのおもちゃにされるのはもうコリゴリだからな」


「なんじゃ、まだ怒っておるのか。ちょっと常に女子の格好をさせたりパンツ一丁で酒の酌をさせたりしただけではないか。タダで衣食住の面倒まで見てやっておったんじゃからそれぐらい役得があってもええじゃろうが」


 クロノアがそもそも最初に女装する羽目になったのは何を隠そうクノイチの仕業なのである。


 彼女は重度の面食いであり、特に中性的な顔立ちの少年や可愛らしい女性を好み、少年にはやたらと女装させたがる訳の分からない趣味を持つ、クロノアからするととんでもない色情魔なのだ。


 そもそもクロノアを拾ったのも才覚や修行に耐えうるだけの覚悟を見抜いたのもあるが、一番の決め手はクロノアの顔立ちが磨けば光ると思ったからだ。


「それだけじゃないだろこのド変態! 酔うと無理やりキスしようとしたり、寝てる間に着替えを全部フリフリのドレスに変えたり、酷い時には着替えを覗きながら酒飲んでたじゃないか!」


「それくらいで止めておけクロノア。お主の思い人が羞恥で死んでしまうぞ」


 ニヤニヤしながらクノイチに言われたクロノアがルナを見ると、性知識が皆無の彼女でさえクノイチの奇行が少しではあるが理解できたらしく、耳まで真っ赤にしていた。


「す、すいませんルナさん! でもちゃんと初めてだけは守り抜きましたから!」


「クックックック、男所帯にいたくせにこの程度の話でその様とはよく今までやってこられたもんじゃ。何だか可愛らしく思えてきたわ」


 お気に入りのクロノアを取られた気がしてクノイチはルナに嫉妬していたが、話しているうちに段々とルナのことをクノイチは気に入り始めていた。


「ま、とにかくじゃ、ベリルスには息子は死んでいたと報告しておいてやる。じゃからルナよ、お主はコクレアを出てどこぞ適当な余所の国に行け、一人での」


「僕は絶対嫌だからな! 折角ルナさんと付き合えたのに!」


 そこまで拒否しなくてもいいだろうという位、自分を軽蔑した目で拒否してくる愛しい馬鹿弟子に流石のクノイチも少しショックを受けたのか、手に持っていた殆ど空の酒瓶を畳に落とす。


「ま、まあいいじゃろ。風呂を覗く辺りまだそこまでの仲にはなっていないんじゃろうしの。ルナよ、わしが言うのは何じゃがこいつも結構なムッツリスケベなんじゃが本当にこいつが恋人でいいのかえ?」


 そう言われてしまうと確かに少し思うところがあるな、と顔に出てしまっているルナにクロノアは泣きそうになりながら縋り付く。


「ルナさん、捨てないで下さい! 覗こうとしたのはほんの出来心だったんです!」


 他に客がいたのならばまだしも見られても特に気にしていないクノイチと、自分だけならまあ良いかとルナはとりあえず許すことにして、足に縋り付いているクロノアを剥して立たせる。


「おい、絆されるなよ。お主が気づいとらんだけでそ奴、絶対余罪があるぞ」


 余計なことをいうなとばかりに睨んでくるクロノアに警戒心の強い小型犬を連想したクノイチは思わず吹き出してしまう。


「落ち着けクロノア、言っただろう、これからも一緒に居て欲しいと。私は君から離れる気は無い」


「ほう、ではお主らは二人揃ってわしの親切を無駄にすると言うんじゃな」


「その通りだ。そもそも何故貴女の指図を私達が受けないといけないんだ。私達は物ではなく人だ。どう生きるかは自分達で決める権利がある」


 ヴァーリウス時代には自由に生きるなど考えたことは一度も無く、ルナはただ父の言う通りに生きているだけだった。


 その当時なら生き方を決めるのは自分だ、などと絶対にルナは言わなかっただろう。


 しかしルナとして蘇った彼女は、少しずつではあるが自分の生き方を自分で決めようという意志が育ち始めていた。


 そう感じたクロノアは、例え自分がどうなったとしてもクノイチからルナを守らなければならないと決心する。


「操り人形の偽息子だったくせにほざきよる。じゃがまあいい、ならばお主らにチャンスをやろう。わしに勝ってみせえ」


 クノイチの言うチャンスとは、明日、彼女が指定するサック近くの誰も近づかないであろう森の中での決闘だった。


 クノイチが勝てばクロノアは彼女の元へと戻り、ルナは国を離れて二度と戻らないことをクノイチに誓う。


 二人が勝てばクノイチはクロノアを諦め、ベリルスにもルナが生きていることは絶対に漏らさない。


 この条件ならば文句はないだろと言うクノイチに、身勝手さを感じならがらも二人は了承するしかなかった。


 断るなり、決闘を受けたふりをして逃げるなりしてもクノイチから逃げ切ることは絶対に不可能だろうからだ。


「では明朝、楽しみにしておるぞ」


 クノイチが部屋から去ると、二人は嵐が過ぎ去ったかのような安心感に襲われへたり込んでしまう。


「ルナさんすみません。僕のせいでこんなことになるなんて」


「いや、クロノアだけのせいじゃない。私の父も絡んでいるのだから」


 二人揃って自分達の元保護者の身勝手さに溜息を吐く。


「とにかく、明日は勝つしかないな」


「もちろんです! 早速作戦会議をしましょう」


 無理やり気持ちを切り替えた二人は、クノイチをどう倒すかの作戦を考え始めた。


 自分達の自由を賭けた戦いに勝つための会議はその日の深夜まで続き、結局クロノアが思い描いた温泉での初体験の夢は露と消えるのであった。

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