第6話 後を追う者-③

 翌日、太陽が沈み始めた頃、娼館の一室で目を覚ましたクノイチは痛む頭を押さえながら隣で眠る些か化粧の濃い女に気づかれないようにベッドから出る。


 床に散らばる酒瓶と記憶が一部飛んでいる辺り、相当楽しんだことを察しながらお手製の二日酔い用の薬をクノイチは僅かにボトルに残っていた酒で胃へと流し込んだ。


「いかんのう、またやってしまった。我ながら酒癖の悪さには辟易するわ」


 もう何度目か分からない反省をしたクノイチは脱ぎ散らかした服をかき集める。


 薬のお陰で頭痛が和らいで来たクノイチは身支度を整え、まだ眠っている女の頬に軽くキスすると娼館を後にした。


 耳に入る通りを行きかう人々の話から街が一時封鎖されていたことと、二人の冒険者がオーガ率いるゴブリンの軍団相手に村人を率いて戦ったことをクノイチは知った。


「並みの奴ではとっくに死んでおろうがあの二人ならばゴブリン程度、いくら数がいても大丈夫じゃろ。クロノアならばおかしな気でも起こさん限りオーガも倒せるじゃろうし」


 実際はルナを庇ってクロノアは死にかけたのだが、クノイチが知る由もない。


 クノイチは悩む。


 こうなったら村まで赴いて殺すべきなのか、街で待ち伏せて機会を伺うべきなのか、どちらが上策なのかと。


 村でクノイチが到着するまでいてくれればいいが、入れ違いなる可能性も十分にある。


 おまけに街道で偶然出くわしてしまい、その場の成り行きで殺してしまえば色々と後始末が面倒だ。


 街で待ち伏せるのは村に行くよりは手間は無いが、ギルドに侵入したせいで騎士や冒険者の目が街中で光っている今は、街で仕事をするのもリスクがある。


「よし、決めたぞ。どうせベリルスの奴からたんまり報酬を頂くんじゃし街で遊びながらあ奴らが帰ってくるのを待とう」


 急がば回れを地でいっているのか、その高い実力から来る自信の表れなのか、はたまたただのめんどくさがりなのか、真意は分からないがとにかくクノイチは街に残ることにした。


 それからルナとクロノアが街に戻るまでの数日、クノイチは酒と女と時々男に明け暮れる日々を過ごした。


 二人が戻ったのを察知したクノイチはその道のプロらしく自堕落な生活から仕事モードへと自分を切り替えると、すぐさま再びギルドへと忍び込んだ。


 冒険者やギルド職員はともかく、歴戦の猛者であるルナや弟子であるクロノアにすら気取られることなくギルドマスターと二人の話を屋根裏で盗み聞いた。


(ほうほう、たんまり儲けたようじゃのう。クロノアのついでに金も頂いてしばらくの間はたっぷり遊べそうじゃな)


 ギルドから金の竃亭まで尾行したクノイチはバレぬよう部屋を見張りながらルナの暗殺計画を練り始める。


 今この場でルナを仕留めるのは容易い。


 ただ、ギルドへ侵入して以来ずっと警戒態勢が続くこの街で騒ぎを起こすとまた面倒なことになるかもしれない。


 そこまで考えたクノイチに妙案が浮かんだ。


 盗み聞いた話からすると二人は湯治に行くらしい。


 ならば温泉街まで尾行し、ルナを葬った後はそのまま温泉と地酒とクロノアを頂くのも一興ではないかと。


 金ならたんまり有りそうだし、風呂付きの部屋で久しぶりにクロノアと一緒に入るのも悪くない。


 湯上がりの火照ったクロノアをツマミに酒を飲む、我ながら素晴らしい考えでにクノイチには思えた。


 いつもの妖艶な雰囲気はどこへやら、涎を垂らしたみっともない顔をしながらクノイチは不気味に笑う。


 何があってクロノアがクノイチの元を出奔したのかは分からないが、師弟揃って同じようなことを考える辺り、案外似たもの師弟のようだ。


 朝早く、宿の前でルナは大きく体を伸ばすが、痛みに顔を歪める。


 ゴブリンと戦い続けた上にオーガと死闘を繰り広げ、戦いが終わった後も村の復興の為に働き続けたのだから体を休める暇は無かった。


 そんなことをしていれば治る怪我も治るわけがなく、動けば体が悲鳴を上げるのも当然だ。


 おまけに村から離れたことで張っていた気が緩んだらしく、どっぱどっぱ出ていた脳内麻薬もすっかり出がらしになったので余計に痛みを感じてしまうらしい。


 横目でクロノアを見るとまた寝不足の様でブツブツと呟いている。


 耳を澄ますと温泉、混浴、などと聞こえてきたので温泉が楽しみで眠れなかったのかと納得したルナは、無邪気な子供のようだと微笑ましく思った。


 実際は脳内ドピンクの邪気だらけなのだが。


 街で一番大きな門の間にある広場に向かうと、遠方へと向かう為に早い時間から出発する馬車で込み合っていた。


 慣れていない者だと一見どれがどこへ行く馬車なのか皆目見当がつかない程、何台も馬車が乗客を待っているのだが、御者が自分の馬車は何処へ向かうかを大声でアピールしているので落ち着いて聞き分ければきちんと目的の馬車へ乗れるだろう。


 ただ、移動は自分で馬を駆っていたルナがそんな常識を知る由も無く、ほんの一瞬クロノアと逸れた隙に御者の呼び込みに釣られて反対方向へ向かう馬車に乗りかけてしまう。


 寸でのところで気づいたクロノアが腕を掴んで止めたので事なきを得たが、危ないところだった。


「こうすれば絶対逸れないから安心ですよ」


 流石にこれは不味いと思ったのか、クロノアはそのまま腕を組み、ルナも迷子になりかけた自分を情けなく思ったらしく素直にそれを受け入れた。


 別に手を引くなり繋ぐなりで十分事足りるのだが、そこはクロノアの煩悩がいかんなく発揮されてのことだとはルナは気づかないまま、二人は無事に目的地行きの馬車へと乗ることが出来た。


 そんな二人の様子を物陰から見ていたクノイチは、大枚叩いて職人に特注した煙管を握り折ってしまう。


「あの筋肉ダルマめ、ワシのクロノアとえらく仲が良いではないか。ワシとてあんな風に腕を組んで貰いたいというに」


 怒りで眉毛をピクピクさせながら折れた煙管を投げ捨てたクノイチは目にも止まらぬ早業で特徴の無いよくいそうな旅行者に変装すると、二人が乗った馬車が出発する直前に乗り込んだ。


「ルナさん、なんか寒くないですか?」


「そうか? 私は寧ろ少し暑いくらいだが」


 ゆっくりと走り出した馬車の中でクロノアは形容しがたい悪寒に襲われた。


 しかし、ルナの言う通り満員の馬車の中は少し暑いくらいであり、クロノアとて出発ギリギリで旅行者が一人乗りこんでくるまでは暑いと思っていた。


「疲れで風邪でも引きかけてるんじゃないか? 着くまで少し眠るといい」


 パンパンと膝を叩くルナに意図を察したクロノアは悪寒はどこへやら、帽子を取ると顔の血色を良くしながら少し遠慮気味にルナの膝に頭を置いた。


 筋肉のせいで些か固くはあるが、クロノアにとっては最高の寝心地であり、クロノアはあっという間に夢の世界へと旅立つ。


 正確には眠ったのではなく、興奮のあまり気絶してしまったのではあるが、目を瞑って寝息を立てるクロノアにルナは満足しつつ、頭の奥底に眠っていた記憶を思い出し、母が幼い自分にしてくたようにクロノアの頭を撫でてやる。


「仲がよろしいんですね。妹さんかしら」


 ギリギリに乗り込んできた旅行者に話しかけられたルナは、一応彼氏だと説明すると、旅行者に羨ましがられてしまい少し恥ずかしくなる。


 クロノアが起きていれば、少しでもルナが冷静であれば気づいただろうが、彼氏がいることを羨ましがられるという初めての体験に舞い上がったルナは気づかなかった。


 普通の人間はクロノアを彼氏だと言っても、どこからどう見ても美少女にしか見えないクロノアを男とは信じないことを。


 彼氏だと言って納得するのはクロノアをよく知る人物か余程の観察眼を持つ者くらいしかあり得ないはずなのだ。


 だが、その後もしばらく旅行者と雑談を続けたルナは最後の最後までそのことに気づかなかった。

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