第6話 後を追う者-④

「では、私はお先に失礼しますね。彼氏さんとの温泉旅行、楽しんで来て下さい」


 馬車が停まると、旅行者は急いでいるらしくそそくさと馬車を降りて行った。


 ルナも馬車を降りようとクロノアの体を揺すって起こそうとするが、一向にクロノアは起きない。


 無言でさっさと降りろとプレッシャーを掛けてくる御者に焦ったルナは思わずクロノアの頬を抓ってしまう。


 突然の痛みに驚き、勢いよく飛び起きたクロノアは自分の顔を覗き込んでいたルナと思い切り頭をぶつけてしまい、馬車内にゴチンと鈍い音を響かせるのだった。


「すみませんでしたルナさん」


「いや、私も抓ったりして悪かった。それより体の方はどうだ」


 二人仲良く赤くなった額を、クロノアは頬も摩りながら馬車を降りた。


 気絶だったとはいえ熟睡出来たのが良かったのか、それとも他の原因で悪寒を感じていて、それが無くなったからなのかは分からないが、クロノアは悪寒を感じなくなっていた。


 馬車が付いたのは温泉街、ではなく、街道沿いの宿場町だった。


 ワーロクの街から目的地の温泉街まではそれなりの距離がある為、いくつか途中の宿場町で馬車を乗り換えなければならないとクロノアはルナに説明する。


 今夜はここで一泊なのかと、クロノアが温泉までは二日掛かると言っていたのをすっかり忘れて、今日温泉に入れると思っていたルナは少しがっかりするが、現実はもっと非常であった。


「クロノア、やはりさっきの街で一泊するのでは駄目だったのか」


「ルナさんと一緒で僕も早く温泉に入りたいんです。それに夜行なら宿代も浮きますしね」


 本来乗合馬車は夜間走ることは無い。


 理由は言わずもがな、暗い中を走るのは野盗や凶暴な動物に襲われたりといったリスクが色々と多いからだ。


 しかし、何事にも例外というものは存在しており、今二人が乗っている馬車もその例外に含まれるものだ。


 これから二人が向かう温泉街、サックは王国内有数の観光地であり、諸外国からも大勢の観光客が訪れることで有名な場所であり、国が外貨を稼ぐ為に力を入れていることでも知られている。


 コクレア王国は東西大戦で東側の最前線に位置する国として、西側諸国と常に激しい戦いをしていた。


 そのせいで莫大な軍事費を費やすこととなり、国庫は国が成立して以来初めてと言える程に消耗しきってしまった。


 何とか税収を上げようと国は必死になったのだが、国民から搾り取り過ぎれば戦争どころか反乱を起こされ内戦に発展しかねず、あまり成果は無かった。


 かと言って他国との貿易で稼ごうにもお世辞にも大きいと言えない国土では自国の食料を賄うだけでも精一杯であり、農作物の輸出は到底不可能だった。


 珍しい鉱石の鉱脈の一つでもあれば良かったのだがそんな物も都合よく有りはせず、国王は「麻薬でも作って西側の連中に密売でもするか。それなら敵をかく乱出来るし儲かるんじゃないか」と会議中に漏らしてしまい、大臣や閣僚達も同意しかけるくらいには皆追い詰められていたらしい。


 それでも東側最強とうたわれる騎士の国としてのプライドが何とかその場に居た者達を思いとどまらせ、必死にアイデアを捻りだした末の案が観光業へ力を入れることだった。


 幸い元々温泉や大きく綺麗な湖など風光明媚な観光地がそれなりにあり、諸外国にも知れ渡っていたので、苦しい国庫から捻りに捻り出した僅かばかりの初期投資だけで外貨の獲得に成功し、辛うじて戦線を維持することが出来た。


 夜行馬車もそんな国策の一環で整備されたもので、流石に国中とまでは行かないが、観光地から二、三日くらいの距離にある宿場町や大きな街からなら大抵は乗れるようになっている。


 最初は国も上手く行くかは不安だったようだが、旅費の節約や移動時間を短縮したい観光客などから好評となり、観光客増加の一助となったらしい。


 馬車の御者達からは安全面で不平不満も最初は出たようだが、騎士による巡回増加や場合によっては護衛を付けることで無理やり納得させて運行に同意させた。


 ちなみに騎士側からの仕事増加に対する不満は黙殺されたそうだ。


 そんな話をクロノアから聞かされたルナは、夜間も働く騎士達に心から感謝しつつ、馬車の心地良い揺れに身を任せて眠ってしまうのであった。


 翌朝、別の宿場町に着いた二人は更に馬車を乗り換え移動を続け、結局この日も夜は夜行馬車に乗り強行軍で温泉へと向かうこととなった。


 ワーロクから出発して二日目の朝、馬車の幌の穴から差し込む光でルナは目を覚ました。


 二日も座ったまま眠ったので体中が動かすと異音がする程バキバキに凝ってしまってはいるが、思ってたよりは眠れたルナは、ふと異臭を感じた。


「なんだこの匂いは? まるで卵か何かが腐ったような……」


「それは温泉の匂いですね。もうすぐ着くみたいですよ」


 先に起きていたクロノアは初めてかぐ匂いに興味深々なルナに温泉について色々とレクチャーし始める。


 どうやらクロノアは温泉に来るのは今回が初めてではないらしい。


 そうこうしている内に馬車はサックへと到着し、馬車から降りたルナは初めて見る温泉街に子供の様にはしゃぎ出した。


 サックが有名なのには実は理由が二つある。


 一つは怪我や病気はもちろん、入るだけで美人になると噂れる程に泉質が良いこと。


 もう一つは街並みがとても珍しいことだ。

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