第4話 ゴブリン軍VS有志軍-⑦
「あまり私を、人間を舐めてくれるなオーガ!」
剣を杖代わりにしているのを見てもう戦う力までは残っていないと油断したのか、不用意に手を伸ばしてきたオーガの手のひらをルナは精一杯の力で切り裂く。
薄皮一枚を切られた程度ではあったが、思わぬ反撃の痛みに驚きオーガは手を引っ込める。
「調子に乗るな人間! お前らは所詮俺達のエサか子を成すための道具に過ぎないんだぞ!」
ルナの反撃に怒ったオーガは赤い顔をより赤く染め上げ、喚き散らしながら爆発した感情任せに大きく背中まで振りかぶった棍棒をルナ目掛けて豪快に振り下ろす。
杖代わりにしていた剣でオーガの手を切ったせいで支えを失ったルナはバランスを崩して倒れてしまい、起き上がる力も残っておらずどうあがいても避けようがない。
ルナは最早これまでと覚悟を決めて瞳を閉じる。
「もう少し、もう少しだけルナとして生きたかったな……」
ヴァーリウスであった頃、戦場で幾度も死を意識したことはあったし、実際深い傷を負い、死にかけもした。
その時は死を恐ろしいと感じたこともないし、生にしがみつこうともしなかった。
本人に自覚は無かったが、ヴァーリウスという父親が望む型に押し込まれ、洗脳に近い教育の中で忘れ去ってしまったルナとしての人格が、偽りの人生を拒否していたのだ。
だが、今は違う。
ヴァーリウスとして生きる外なかった雁字搦めに縛られた人生から解放され、ルナとしての自由な人生を手に入れたばかりなのだ。
まだ何をしたいのか、どう生きていきたいのかはルナ自身にも分からない。
だが、だからこそ答えを見つける為に心の底から、ルナは生きたいと思った。
しかしどんなに望んだとしても、自分に振り下ろされる棍棒が止まることはないだろう。
覚悟を決めてルナは瞳を閉じたのだが、彼女を襲ったのは棍棒の一撃ではなくクロノアの叫びと体当たりだった。
「ヴァーリウス様ーーーーーー!」
火事場の馬鹿力なのだろうか、小さな体から繰り出されたとは思えない威力の体当たりで泥まみれになりながら転がったものの、辛うじてルナは棍棒で潰されずに済んだ。
ルナは何が起こったのか分からず、固く閉じた瞳をゆっくりと開けると驚愕した。
「そんな! クロノア!」
幸運にもクロノアも棍棒に潰されはしなかったようだが、代わりにオーガの大きな手に掴まり、今にも握り潰されようとしていたのだ。
「俺の邪魔をするとは生意気なチビスケめ。このまま握りつぶしてやるか、それとも子分共にくれてやるか、悩ましいな。お前はどっちがいいんだ?」
オーガの臭い息に顔を顰めながらクロノアはそっぽを向く。
「……好きにしろ。でもルナさんには手を出すんじゃない!」
自分が死ぬかゴブリンの慰み者にされるかの二択を迫られているのにも関わらず、クロノアの口からはまだルナを心配しての言葉が出る。
オーガはクロノアの答えに不満を抱いたらしく、不快そうな顔する。
しかし、何かが気になったのか鼻をひくつかせると、黄色く薄汚れた牙をむき出しにして笑い出した。
「お前、そんな面と服のくせに男じゃないか。人間の考えることはよく分らんがこれじゃあ子は産めんな」
「ち、違う! 私は男なんかじゃない!」
オーガに掴まれたままろくに抵抗する素振りすら見せなかったクロノアが突然狂ったように暴れだし、オーガに言われたことを必死に否定する。
ただ、それはオーガにではなくルナに対して自分が男ではないと主張しているように見えた。
「いや、俺の鼻が間違うことはない。何をそんなにムキになって認めようとしないんだ?」
クロノアの焦り様を不思議に思ったのかオーガは子首を傾げるが、直ぐにそれがルナには知られたくないからだと理解したらしく、クロノアをルナの方へ向けた。
「おい、そこのお前! ようく見てやるといい。こいつが男である証をな」
そう言いながらオーガは握っていた小指と薬指を開き、クロノアの下半身がしっかり見えるようにすると、棍棒を無造作に地面に投げ捨てた。
そのままオーガは空いた手でクロノアのスカートを掴むと乱暴に引きちぎろうとする。
「や、止めろ! 止めろって言ってるだろ!」
盛んに足をバタつかせて抵抗するクロノアだったが、どんなに足掻いたところでオーガの手が止まるはずもなく、無残にもスカートが引きちぎられてしまう。
「……クロノア、君は本当に男だったのか」
引きちぎられたスカートの下には、女性にはあるはずのない膨らみが、クロノアが男であることを主張していた。
なまじ肌に張り付き、ボディラインがむき出しな装束のせいで余計に目立ってしまっている。
「見ないで……見ないで……」
自分の知られたくない秘密を暴かれたクロノアの心は壊れてしまったのか、ただ見ないでとうわ言のように呟き続ける。
そんなクロノアの様子を見たルナの心は活火山のマグマのように赤く煮えたぎった激しい怒りの衝動に襲われた。
性別を偽り、自分を騙していたクロノアへの怒りではない。
自分の命を二度も救ってくれた恩人であるクロノアの秘密を暴き、彼女を、彼を辱めたオーガへの怒りだ。
「初めてだ、こんなにも心の底から怒りが湧いてくるのは。怒りとはこんなに凄まじい力を与えてくれるのだな」
ルナは立ち上がった。
痛みという悲鳴を上げる体を怒りでねじ伏せ、死への恐怖を殺意で塗りつぶしながら。
もうルナが立ち上がることはないだろうと高を括っていたオーガは身震いする。
何故なら生まれてこの方、思わず死を連想する程に強い殺意を向けられたことが無かったからだ。
「ウオオオオオオオオオオオオォ!」
自分が人間程度では敵わない強者である自覚があるオーガは、人間相手に恐れを抱くなど微塵も思っていなかった。
だが目の前の、立ち上がるのもやっとなボロボロの人間一人に恐れを抱いてしまったオーガはそれを払拭し、己を鼓舞するため吼えた。
「黙れえええええええええ!」
しかしオーガの咆哮は、戦場に生物の頂点たるドラゴン種が舞い降りたと錯覚しそうな程の威圧感を纏ったルナの怒声でかき消された。
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