第3話 ルナの初仕事ー⑤
「隠れて下さい。どうやら着いたみたいです」
小声で指示されたルナが木の陰に隠れながらクロノアが指さす方を見ると、緩やかに傾斜した斜面にぽっかりと洞窟が口を開けていた。
ルナが全神経を研ぎ澄ませて洞窟の様子を窺うと、直ぐにゴブリンの住処だと理解できた。
洞窟からは夏場に数日放置した牛乳と洗っていない獣の匂いが混ざって濃縮されたような吐き気を催す香りが離れていても風に乗って漂ってきているうえに、先程倒したゴブリン達に似た耳障りな笑い声が聞こえて来たからだ。
「……これは相当数のゴブリンがいるようだな」
「想定していたよりもかなり不味い事態ですね。あの洞窟も、もしかしたら彼らが掘ったのかもしれません」
クロノアの指摘通り、洞窟の入り口は自然に空いたにしてはえらく綺麗な形をしており、所々木材で補強している箇所も見受けられた。
ゴブリンに土木工事を出来るだけの知能があることを意外に思いながらも、ルナはどうしたものかと考える。
洞窟を作るだけの労働力があるということは、それだけゴブリンが大勢いる証拠だ。
そうなってくると新米冒険者二人には手に余る事態と言わざるを得ない。
実力だけで考えればゴブリンの二十や三十、敵ではなく倒すだけなら問題はないだろう。
だが、戦闘の最中に一匹でも逃してしまえばまたどこかで同じだけ、下手をすればそれ以上に増えてしまう可能性があるのがゴブリンの厄介な点だ。
「一旦戻って騎士団を呼んでこないと不味いかもしれないな」
「そうですね、これはギルドも想定外でしょうし調査だけでも十分依頼達成と認めてくれるはずです。証拠の死体もありますし」
この場合の最適解は騎士団に出動を依頼して、数を頼りにゴブリンを一匹も逃がさぬよう包囲殲滅することだ。
間違っても手柄と報酬目当てにゴブリンの巣に突撃するべきではない。
「早く村人達にも知らせて避難を促すべきだな」
対策が決まれば後は行動するのみとばかりに二人が巣から離れようとした時、聞こえてきていた声が一際大きくなった。
驚き、足を止めた二人が再び木の陰で耳を澄ましていると、少しずつ声は大きく、いや、近づいてきてることに気づく。
「ギャッギャッギャ、ヨウヤクカシラガヤルキニナッタ」
「メシイッパイ! オンナモイッパイ!」
洞窟から口々に欲望を吐きながら、ぞろぞろとゴブリン達が出てきた。
狭そうな洞窟によくもまあそんなに居たなと思う程大量の、最早軍勢と呼べそうな量のゴブリン達は手には武器を持ち、皆一様に興奮している。
「予想よりも数が多いな。それに全部が出てきたということは何処かを襲う気か」
「間違いなく村を襲う気でしょうね。早く知らせないと」
村へと急ごうとする二人は洞窟から一番最後に出てきたゴブリンを見て再び足を止める。
普通のゴブリンの四倍以上、ルナよりも二回り大きい筋骨隆々の体躯を持つゴブリンが出てきたからだ。
さらに肌の色が通常緑の筈なのにこの個体は血のように赤く、最早ゴブリンとは言えない見た目をしている。
「あれはもしや、オーガなのか……」
長年人類は自分達の最大の敵として魔獣を研究してきた。
コマンドアーツやマジックアーツもその研究過程での副産物を利用して魔獣に対するひ弱な人類の為の対抗手段として生み出されたことは、子供でも知っている一般常識となっている。
だが、どれだけの学者たちが人生を賭けて研究に没頭しても魔獣についての全てが解明されているわけでは無い。
そんな解明されていない謎の中に突然変異というものがある。
魔獣達の中にはどういった要因でそうなるのかは分かってはいないが、時たま種族としての限界を超え、強力な姿や能力を得た個体が生まれることがあり、それらは総じて突然変異種と呼ばれている。
突然変異種達は各種族ごとに存在しており、変異とは言われながらも変異個体は種族毎に決まった変化を起こすことが多く、それぞれに新たな種族名が着けられている。
例えば、ゴブリンの突然変異は体躯及び筋力の増量と肌の変色が主なもので、変異後の個体はオーガという種族に分類される。
オーガは見た目通りゴブリンとは比べ物にならない近接戦闘能力を持ち、過去には一匹でベアドラゴンを狩って食べていたのを目撃された例もある。
またゴブリン達を従え組織化したり、言語も流暢に操る個体も確認されており、知能の方も格段に上昇するらしい。
「いいかテメエら! 俺達が隠れ住むのもここまでだ! 十分に仲間が増えた今なら騎士だろうが何だろうが怖かねえ! これから近くの村や街を襲いまくって飯に女に欲しいものは何でも奪え!」
ゴブリン達を鼓舞するオーガの様はまるで一軍の将のようだ。
「ルナさん、急ぎましょう! 本気でこれは不味いですよ!」
二人はオーガ率いるゴブリン軍団に気取られぬように気配を殺しながらゆっくりと移動を開始した。
ある程度離れた二人は、気配など気にせずに森を疾走する。
「クロノア! 着いてこれるか!」
「私のことは気にしないで下さい! 村に一刻も早く辿り着かないと!」
剣を抜いたルナは行く手を遮る枝や蔓を次々に切り飛ばし、道なき道を強引に進む。
一切速度を緩めることなく走りながらも、気にするなと言われても気になったルナがクロノアが着いてきているか確かめる為に振り向く。
ルナはすっかり置き去りにしてしまったものだと思っていたのだが、クロノアは猿のような機敏な動きで障害物を避けつつ、着いてくるどころかルナを抜かしそうな勢いで走っていた。
魔法士は勉強ばかりしているせいで運動はあまり得意ではないという世間一般のイメージであり、ルナもそう思っていたがクロノアの動きを見て覆されてしまう。
「私に付いてこれるとは相当鍛えているようだなクロノア」
「私の師匠は変わり者で頭だけじゃなく体も鍛えさせらたんです。それにルナさんの従者になろうとしていたんですから、いつ如何なる場所にでもついて行けなくては従者とは呼べませんので」
従者とはそこまでするものだったのかとルナは首を傾げる。
猪突猛進と軽やかな身のこなし、それぞれの得意な動きで森を爆走した二人は警戒しながら進んでいた行きの半分ほどの時間で村へと辿り着いくことに成功したのだった。
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