第2話 冒険者ルナ誕生ー④
「ああ、暖かい食事というのはこんなにも美味しいものだったんだな」
大きく切られた今が旬の野菜がごろごろと惜しげもなく入った黄金色のスープを口に運びながらしみじみとルナが呟く。
戦場での食事と言えばメニューは歯が欠けそうな程堅いパンや干し肉といった味気ない保存食ばかりであり、体力を回復させる為だけにそれらをただ胃に詰め込む作業でしかなかった。
今のように暖かい食事を腰を落ち着けてゆっくりと味わうことなど戦場では有り得ず、出兵前以来久しく無かったことであり、ルナにとってはとんでもない贅沢をしている気分だった。
「沢山食べてください。ここは安宿ですが食事の味は良いと評判の宿ですから」
食べ盛りの子供に負けずとも劣らない勢いで皿を空にするルナを見ながら彼女の境遇を思ってクロノアはまたも目頭を押さえるつつ、料理を追加注文をする。
今二人がいるのは街にいくつかある宿屋では、下から数えた方が早い宿泊料金の安い宿だった。
クロノアとしてはルナを最上級の宿のスイートルームにでも泊まらせたかったのだが、そういう宿には貴族や騎士が滞在している可能性が非常に高い。
万が一にもそんな宿泊客の中にルナの顔を見てヴァーリウスと気付く者がいて、鉢合わせてしまっては不味いので、そういった連中がおよそ泊まることはないだろう安宿に部屋を取ったと言う訳だ。
とはいえ勿論クロノアがただの安宿に心酔するルナを泊まらせる訳がない。
せめて食事だけでも満足いくものをと、このベッドはイマイチ食事は最高と評判である金の竃亭選んだのだが、ルナの食事に舌鼓を打つ顔からクロノアは自分の判断が正しかったことを確信した。
ただ一つクロノアにとって計算外だったのが、宿屋へ向かうのがルナの剣選びに時間が掛かり遅くなったせいで部屋が一つしか取れなかったことだ。
クロノアは同じ部屋は恐れ多いと別々の部屋を取ろうとしたのだが、あいにく二人部屋が一部屋空いているのみで他の部屋は全て埋まっていた。
流石にルナから離れて別の宿、という訳にもいかずに渋々同じ部屋に泊まることにした。
別に恐れ多いと言うだけではなく、ルナには死んでもバレたくない秘密があるからこそクロノアは同室は避けたかったのだが。
「……バレない様に気を付けなきゃ」
「何か言ったか、クロノア」
「いえ、別に。それよりまだ何か追加で注文しますか?」
何やら誤魔化された気はしながらも食欲に負けたルナはクロノアに渡されたメニューを見て何を食べようかと考え始め、疑問は胃袋のどこかへと消え去ってしまう。
久方ぶりの真面な食事を楽しんだルナの瞼は昨夜から眠っていないこともあってか重くなり始める。
それを察したクロノアに言われるがままに眠る支度を整えたルナは、ベッドに潜り込むと一瞬で意識が途切れてしまう。
「ふう、ルナさんが一瞬で寝てくれて助かった。それだけ疲れさせてしまったのは申し訳ないですが……」
ここまでの強行軍を先導した身としては些か罪悪感が生まれたが、明かせぬ秘密を持つ身のクロノアとしては有難かった。
自分もそれなりには疲れているはずなのにクロノアはルナの寝顔を見続ける。
疲労の色が濃く出ているとはいえルナの寝顔は彫刻のように美しく、されどどこか幼い少女の如き可愛さも兼ね備えており、それを隠れて覗いたり忍び込むことも無く見れるのはクロノアにとっては正に至福の時間であった。
だが流石にこのまま見続けて自分の気配でルナを起こしてはいけないとギリギリ残っていた理性に諭されたクロノアは、自分のベッドで横になる。
しかし瞼にルナの寝顔が焼き付いたクロノアはどれだけ精神を落ち着かせて眠りにつこうとしても睡魔が訪れることはなく、寧ろどんどん抑えがたい衝動が沸き上がって意識が覚醒してしまう。
「……ちょっとだけなら、バレないよね」
ルナの眠りが深いのを良いことに衝動に負けたクロノアは、ベッドの中で一晩中もぞもぞしているのだった。
翌朝、窓から差し込む朝日を浴びながらルナはここ何年かは味わったことの無い清々しい目覚めを迎えていた。
戦場では石を枕に鎧のまま寝たりしていた彼女にとって、堅いベッドに肌触りの悪いシーツでも十分豪勢な寝床であり、熟睡できたようだ。
それに比べて先に起きてすっかり身支度を済ませルナが目覚めるのを待ち構えていたクロノアの目元には深い隈が浮かび上がっており、こちらは睡眠不足が伺える。
「クロノア、昨日は眠れなかったと見えるが、もしや私はイビキでもかいてしまったのか」
心配そうに顔を覗き込まれて、一気に血色を良くしながら慌ててクロノアは否定する。
色々と昂り、燃えるように情熱的で激しくエキサイティングな夜を勝手に過ごしたせいで眠れなかったなど口が裂けても言える筈が無いからだ。
もう少しベッドで横になってはというルナの勧めを辞退したクロノアは彼女を連れて宿を出た。
二人は早朝にも関わらず活気と人で溢れかえる通りを進み、冒険者ギルドへと向かうのだった。
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