04.名前を呼んでもらえるの?

 どんどん落ちていく。でも怖くなかった。僕はずっと綺麗な女の人を見ていたから。この人が地上に降りても、僕を捨てないか心配なの。


 ふわりと羽が動いて、振動がなく到着した。大きな水溜まりは水が動いている。不思議な匂いがした。くんと鼻を動かす。こんな匂いは初めてだ。


 目を細めて匂いを確認する僕に、女の人は優しく微笑む。どうして? 僕を嫌いじゃないのかな。


「お帰りなさいませ、アストリッド様」


「番を見つけたとお聞きしました、おめでとうございます」


「おめでとうございます」


 集まってきた女性や男性が、口々に綺麗で優しい人に頭を下げる。僕も慌ててぺこりとした。それを笑う銀髪の人は、不思議と嫌な感じがしない。僕を笑うのは、皆嫌な感じがしたのに。なんだか擽ったい気持ちだった。


 あ、お母さんに似てる。


「おか、あさ……」


 慌てて口を手で押さえた。いけない、お母さんじゃないのにダメ。失礼だもん。きっと怒る。僕を叩くかもしれない。怖くなって頭を両腕で覆った。


「あなたのお母さんに似てる? それは光栄なことだわ」


 ふふっと笑う声に、恐る恐る腕を下ろした。叩かれなかった。見つめる僕に微笑む姿は優しくて、後ろから差し込む光が眩しい。銀色の髪って、こんなふうに光るんだね。手を伸ばしそうになって、引っ込めた。


「まずは着替えかしら。それと治療、食事、睡眠ね」


 聞いたことのない言葉ばっかり。僕の目の下をそっと撫でた指先は、僕より冷たい。ひんやりして気持ちよかった。周りの人が慌てて動き出す。


「一緒にお風呂に入りましょう。綺麗にして痛いところを治して、お腹いっぱいご飯を食べて眠るの。あなたに今必要なことばかりよ」


 頷いたらいいの? よく分からなくて首を傾げた。これも怒られるからダメ。えっと……どうしよう。困った僕は体を固くして丸まる。これなら痛みも我慢できるし、声も出さなくて済む。そんな僕を見る女性の表情が曇った。


 怖い、どうしよう。痛いこと? それとも苦しいこと? 震える僕の背中に、とんとんと優しい手が離れては触れる。叩くときに似てるのに、痛くないし怖くなかった。きつく閉じた目を開けて、銀髪の女性の目を見つめる。紫色で綺麗、夜が明ける時の空みたい。


「私の名前はアストリッドよ、あなたの名前を聞いてもいい?」


 名前……お母さん以外誰も呼ばなかった。いつも「おい」「そこの」「化け物」と呼ばれてきたけど、ちゃんと名前はあるよ。教えたら呼んでもらえるの? あの柔らかくて綺麗な声が、僕の名前を呼ぶなんて想像できないな。


「カイ」


 小さな声だった。でも聞こえたみたいで、アストリッドさんは嬉しそうに「カイ」と名を呼んでくれた。その響きに涙が溢れて、慌てて手で拭う。紫に変色した指で、何度も顔を拭いたけど……また溢れて、僕はアストリッドさんに抱き締められた。

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