エニール・ミーンその5

「最近眠そうじゃのうエニール」


 朝に、ナセじいがあたしの顔を見て、そう言った。

 夜には彼に会いに行って、帰ってきてから仮面を作っているのだから、それは寝不足にもなるだろう。


「そういうナセじいは、最近調子良さそうだね」


 ナセじいは体が弱い。

 当たり前だ。爺さんなのだから。


「エニールが毎日持ってきてくれるからのお」


 果物の事だ。

 周りにバレない様にぼかしている。


「う、うん。なんかたくさんあるところを見つけちゃって」


 ナセじいには、彼の事は話していない。

 余計な心配をかけたくないから。


「おかげで、お迎えはまだまだ先のようじゃ。ありがとうの」

「うん!頑張ろうね!ナセじい」


 ここでは、いつ誰が死んでもおかしくない。

 実際に仲のいい子や人が何人も死んで行った。


 でも、ナセじいは、ずっとあたしを孫のように可愛がってくれているのだ。

 ナセじいが死ぬのなんて、考えたくもない。

 

「さて、そろそろいかんといけないのう」


 今日も何事もないといいけど。



     ♦



 今日は良くない事が二つある。

 まず一つ目は、グザンが見に来ていることだ。

 あいつは奴隷をいじめるのが好きだ。

 グザンが仕事を見に来るという事は、誰かが鞭で打たれるという事だ。


 そして二つ目は今日は陽射しが強い。

 ベナミスさんは顔をしかめているし、ラエインは――なんだろう。妙に嬉々とした顔をしている。最近いつもあんな感じだけど、なにかあるのだろうか?


 その時だった、


「おい!貴様!」


 魔族の怒声が聞こえて来た。


 ハッとなって、振り向くと、そこではナセじいが――倒れていた。

 あたしはすぐに駆け出す。


「しっかり働け!」


 そう言って、鞭を打とうとする魔族からナセじいを守るために、あたしはナセじいの上に覆いかぶさった。


「なんだ貴様は!」


 魔族は容赦をしない。

 ナセじいにかぶさったあたしに対して、"バチン"と鞭を打った。


「あああああ!」


 鋭い痛みが走る。

 ぼろきれの様な服は、すぐに破けるだろう。

 でも、大丈夫だ。鞭打ちには"慣れている"んだ。


「エニール。いいんだ。やめなさい」

 

 ナセじいが、あたしの下でそう言った。

 でも、あたしはどかない。

 どく気はない。


 そんなあたしに、魔族は何度も鞭を振り下ろす。


「っ!!」


 そのたびに、鋭い痛みが走り、目がチカチカとする。

 涙だけでなく、色々な液体が体中から流れる。

 でも、大丈夫。ナセじいを守らなきゃ。


 その時だった。

 チカチカとする目で、あたしは見てしまった。

 最初は、痛みで幻覚を見たのかと思った。

 でも間違いなくいた。

 遠くの建物の上に。

 ――彼が。


 なんとなくだけどわかった。

 彼はあたしを助けようとしている。

 それならあたしは――


「"来ないで"!!!」


 出来る限りの大声で叫んだのだ。

 聞こえただろうか?

 聞こえてくれなきゃ困る。


「おいおい、そんな事を言うなよ?」


 この声は何度も聞いた声だ。

 グザンだ。

 もちろんこいつに言ったわけではない。


「そんなに、このジジイが大事か?」

「っ!!!」


 グザンは喋るついでに、鞭を振るった。

 こいつの鞭打ちは他の魔族より特別痛い。

 わざと痛そうなところを狙うのだ。

 性格がよく出ている。


「答えんか?」

「っ!!!」



 やはり、喋る度にバチンと鞭を振るう。

 答える気にもならない。

 あたしの背中は、服が破けて一面真っ赤になっているだろう。

 動いたり喋ったりするだけで、激痛が走るのだ。


「ふむ、48番か。お前はよく仲間を庇うよなあ?」

「っ!!!」



 言葉と一緒に、鞭を振るうのは忘れない。

 よく覚えているものだ。


「反抗的な目だな。俺様はお前みたいな目が好きなんだよ」

「あああああ!!!」


 そう言いながらグザンは、顔を容赦なく鞭で打った。

 どうせくだらない理由だ。


「その目をしたまま、苦痛に顔をゆがませるのを見るのが、好きでなあ!」

「いっ!!!」



 目を瞑って鞭打ちに耐える。

 彼は来ない。

 良かった。それでいいのだ。


「そして、最後にはそんな目も出来なくなるわけだ」

「あうっ!」


 バチンと鞭で打たれる。

 グザンはチラリとどこかを見た。

 そして、あたしにしか聞こえない程の小声で、「おっとあいつは違かったな」と言って、楽しそうに笑うのだ。


「よし、鞭打ちを続行しろ」

「」


 そして、ついでに打たれた、最後の鞭の痛みで、あたしは気を失った。



     ♦



「ああああ!」


 だけど、現実は甘くない。

 気を失っても、鞭打ちは続くのだ。


 "だから、痛みですぐに目が覚めた"。

 "だけど、痛みですぐに気を失った"。



     ♦



「ああっ!!!」


 何度でも痛みで目が覚める。

 何度でも痛みで気を失う。



     ♦



 どれだけの時間が経ったのだろうか。

 あたしはうつ伏せで目を覚ました。

 痛みはあるけど、鞭は打たれていない。


「気が付いたかい。エニールや」


 ナセじいの声だ。

 体をよじって、ナセじいの方を見ようとするけど、全身が痛くて仕方がない。


「おお!動かんでおくれ」

「良かったナセじい。無事だったんだ」


 本当に良かった。


「まず自分の心配をしておくれよエニール。老い先短い儂の事なんて庇わなくても良いというのに……」

「今回はいつもより効いたね」


 いつもはここまでやられることはない。

 なにかあったのだろうか?


「もう喋らんでおくれ。ベナミスが薬をくれたのじゃよ。もう塗り終わっておる」


 薬なんて珍しい。

 こんなことがあっても、休みなんて来ない。

 明日も奴隷として働かないといけないのだ。

 だから、薬なんて最初の頃にすぐなくなった。


「だから、今日はもう寝ておくれエニール。ありがとう」


 あたしの方こそナセじい。無事でありがとう。

 口には出さずにそう答えると、あたしはまた、気を失ったのだ。

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