エニール・ミーンその2

 そうして、あたしは、いつも行く、お気に入りの場所へ着いた。

 川だ。

 奴隷は水を自由に使えない。でもここなら好き勝手に水を使える。

 あたしは、服を脱ぎ捨てて、川へと飛び込んだ。

 

 冷たい水が気持ちいい。

 流されていると、辺り一面は静かで、自分しかいなという事を実感できる。

 

 そう思っていた。

 でも、音が聞こえた。

 

 モンスターかと思って、警戒したけど、すぐに違うとわかった。

 そこには人間がいたからだ。

 でも、それはおかしい。

 だって、こんなところに人間がいるはずがないのだから。ここは"魔王領"だから。

 恰好はボロボロの服を着ているけど、あたし達と違って、番号札を下げていない。

 

 その人間は、こちらを見ていた。

 いったいいつから?

 とりあえず話しかけようと思ったのだけど、相手が先に話してきたのだ。


「勘違いしないで欲しいんだけど。勝手に服を脱ぎだしたのは君の方だからね」


 そう言われて、慌てて服を取りに行く。


「あと、興味もないから安心して欲しい」


 そう興味がないと、はっきり言われると"カチン"とくる部分もある。


「あなたは誰?いつからいたの?」

「まあ、最初からだね」


 なら、声をかけてくれれば良かったのに、と思う。

 するとそいつは、まるで心を読んだかのように、


「声はかけようとしたんだけどね。そうする間もなかったわけさ」


 と言った。

 それでは、まるであたしが悪いみたいだ。

 

「それで、あなたは誰なんですか?」


 よくよく考えてみると、ボロボロの服を着ているのだし、もしかしたら他の国の奴隷かもしれない。きっとそうなのだろう。


「僕が一体だれかと言われると、わからないとしか答えられないね」


 その答えはおかしい。

 自分が誰かわからない人間はいないだろう。

 でも、不思議と嘘を言っているようには感じなかった。


「でも、僕はとっても有名みたいだよ」


 随分と適当な事を言う。

 変な人だし、関わらない方がいいのだろう。


 だけど、彼は、あたしが、服を着たら勝手に近づいてきたのだ。

 近づいてわかるが、服はボロボロだけど、体はとても鍛えられてるのが分かった。それは奴隷ではないという事だ。奴隷ならもっと痩せ細った体をしているだろう。

 だから、ますます、何者かわからなくなってしまった。


「こんなところに何をしに来たんですか?」

「実は、あてもなく歩いてきて、初めて人間が暮らしてそうな所を見つけたんだよね。でも、夜だし明るくなってからと思って、ここで寝ようかと思っていたら、君が急に出て来たんだ」


 いったい何を言っているのだろう?あてもなく歩いてこれるところではないのに。

 やはり怪しい。


「そんなに警戒しないで欲しいな。ここに来て、初めて人間と話しているから、僕は少し高揚しているのかもしれない」


 怪しいんでいるのが顔に出ていたのか、よくわからない弁明をされた。


「記憶喪失と言うやつですか?」


 話をまとめると、そうなのではないだろうか?

 それでもおかしい事には変わりないのだけど。


「まあ、そう言うことにしておいて欲しい」


 とぼけているというか、おちゃらけているというか……とても信用できない返答しか返ってこない。


「あの国には入れませんよ」

「何故だい?」

 

 説明がいるのだろうか?

 記憶喪失という事なら、説明がいるのだろう。


「魔族が占領しているからです」


 それを聞くと、彼は驚いたような顔を一瞬したのだが、すぐに"うんうん"と頷きだしたのだ。


「なるほど。でも、君はそんな国の住人なのかな?」


 気持ちを荒立てるような事をいう人だ。


「あたしは、奴隷ですから!」


 仕方がない事なのだ。どうしようもないことだ。


「でも、君は外にいるじゃないか」

「それは勝手に抜け出してきたから……そうだ、そろそろ帰らないと」


 もう帰って寝ないといけない。

 でも、その前に果物を少し取って、ナセじいにあげるんだ。


「別に君に敵対したかったわけじゃないんだ。すまない」


 彼は急にしおらしい顔をしだした。

 よく見ると、とても綺麗な顔をしている。

 そう、目を奪われるほどに。

 そんな顔をされると、こちらが悪い気がしてくる。


「あたしも……そういうつもりじゃ……」

「それは良かった」


 その笑顔はやめて欲しい。


「とにかく!あの国には入っちゃだめだからね!」


 そう言って去ろうとしたのだけど、よく考えたら、この人は行くところがないのではないか?

 でも、あの地獄のような、奴隷の生活に引きづりこむわけにはいかない。

 どうしたらいいのだろう。


「善処するよ」


 どういう意味かは分からないが、あまりいい意味ではなさそうだ。


「驚かせてすまなかったね。それではまた」

「え?う、うん。またね」


 実は、今までの事は全て嘘で、帰るところがあるとでも言いたげな感じで、彼は森の中に消えていった。

 

「またって……」


 そんな機会があるのだろうか。


 少し呆けていたが、早く帰らないといけないことを思い出した。

 なんだかあまり、気が休まなかったけど。

 不思議とそんなに悪い夜ではないとも思えたのだ。


 そういえば、彼の名前を聞き忘れたな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る