32、この美しき夢想曲《トロイメライ》
◆◆◆◆◆
『遙かなる旅路。果てへ繋がる未来』
誰かの声が、クロノの頭の中で響いていた。聞いたことがあるようなないような、といった朧気な意識でその声に耳を傾ける。
『月が隠れ星が目覚める空の下。私はまた君と出会う』
クロノは聞こえてくる言葉を追うように、羽ペンを走らせた。それは誰かのために綴っておらず、全て自分のために書き記している。
しかし、書き記すものがない。それに気づいたクロノは思わず手を止めると、声が笑った。
『大丈夫、そんなもの必要ないよ』
何かが手を差し出す。それを見た少年はその手を掴んだ。
まるで一緒にダンスするかのように、手を取り合い文字を空間に記していく。
不思議な時間だった。だからなのか、楽しい時間でもあった。
『さあ、彼女へ贈る詩を書こう――』
クロノは羽ペンを走らせる。
朧気な意識の中、笑っているフィリスの顔を思い浮かべながら。
◆◆◆◆◆
不思議な光景とは、どんなものを差すだろうか。
神秘的なのか、幻想的なのか、不思議なのか、奇妙なのか、それともその全てを含めるのか。
答えなんてないかもしれない。しかし、人は見たこともない光景を見ると心が揺り動かされ、思考を停止させられるものだ。
「これは――」
魔法使いダランベール。かつて天才と謳われ、その才能がゆえに神殺しを成し遂げた男もまた、人だった。
なぜならダランベールは、今起きている不思議な光景に動けないでいる。
『詩を作ろう。歌ってもらおう』
殺したはずの騎士。それが立ち上がった。そこまではいい。
だが、なぜ魔術ではなく魔法が発動しているのか理解できていなかった。
死にかけたために死力が溢れているためか。元々そこまでの才能があったためか。それとも死にかけたから理に触れたのか。その全てが要因なのか。
考えるがダランベールにはハッキリとした結論が出せなかった。
「クク、ククク……」
だが、関係ないとダランベールは考え直す。魔法が扱えるようになったのなら、それを奪ってしまえばいい。自分はそれができる。そしてそれで神殺しを成したのだから。
ダランベールは飛びかかってくるヴァンを弾き、ロッドを振る。途端にクロノの胸から文字が浮かび上がった。
それを引っ張りだし、自分の手元に引き寄せる。これでこいつの魔法はなくなった。自分の勝ちだ、とダランベールが笑みを溢したその時、あり得ない光景を目にする。
『詩を作ろう。歌ってもらおう』
黄金に輝く文字。それが再びクロノの胸に浮かび、隠れる。
ダランベールは思わず手にした文字を見た。それは確かに存在する。しかし、先ほど生まれた文字とは違うものであった。
「まさか!」
ダランベールは気づく。
クロノはどんな存在なのかに。
「魔法を生み出す魔法だと!?」
ダランベールは思わず叫んだ。
クロノが得た魔法。それは理を生み出す意味でもあった。
それはダランベールの天敵であり、奪うしかできない彼にとって大きな嫉妬を抱かせる魔法でもある。
だからダランベールは許せない。神殺しを成し遂げた自分以上の才能を持つこの少年が、許せなかった。
「殺してやる!」
ダランベールの意識がクロノに向く。しかしその瞬間、死角から何かが飛び込んできた。
魔法使いは咄嗟にロッドを盾にする。すると振り下ろされた刃がロッドの先端を切り飛ばした。
「どこを見ている?」
いなしたはずのヴァンが、ダランベールの懐へ入り込む。そのまま切り上げると、ダランベールの左腕が飛んだ。
魔法使いは思わず距離を取る。切り飛ばされた腕を再生しようとするが、できない。
そう、封魔の剣がダランベールの回復を邪魔しているのだ。
「クソが!」
劣勢。思いもしない戦況にダランベールは叫んだ。
このまま負けるのか。一瞬、嫌な結末が頭に過る。だが、ダランベールはその結末が許せなかった。
「なら何もかも奪い取ってやる!」
クロノの魔法、ヴァンが持つ封魔の剣。何もかもを奪い、ダランベールは生き残ろうとする。
だが、ダランベールは遅すぎた。
『完成した』
気がつけば一つの魔法が完成していた。漂っていた文字はフィリスの元へ集まり、何かを待っている。
彼女は思わずクロノを見た。するとクロノは優しく微笑み、あることを促した。
『君へ捧げる詩だよ』
真っ白な文字が、黄金に染まる。それは星の輝きのようであり、見たこともない美しいもの。
フィリスは思わずその詩を読む。そして、何を待っているか気づく。
「ありがとう」
勇気とは何か。それは前へ進もうとする小さな一歩のことだ。
その一歩を何度も繰り返すことによって、人は大きな成果を得る。
フィリスは、クロノのためにその一歩を踏み出す。そして、受け取った大きな成果を声に出した。
『闇色の空。真っ暗な空。月が隠れた空。星が踊り、輝く空で私は出会う』
それは二人の思い出を詩にしたものだった。
フィリスは懐かしく思いながら声に出して歌う。
『情けない僕はいつも笑う。何かを隠して泣いている君のために笑う。どうすることもできなくて、でも元気になって欲しくて。僕は君のために笑って、でも泣き止んでくれなくて。だから僕は詩を贈る』
幼い頃、双子の姉のアイリスと入れ替わった時のことが描かれている。自分が本物の姫でないことに気づきながらも優しく接してくれたバアバを助けられなかったことがとても悲しかった思いがある。
だが、クロノはそんな自分を必死に励ましてくれた。だからフィリスは、その時からクロノのことが好きになった。
『君は笑う。素敵だって笑ってくれる。僕はそれが嬉しくて、でも君だと気づかなくて。だけど、それでよかった。今こうして僕は、君の騎士になれたのだから』
クロノの想いが伝わる。だからフィリスはその詩に想いを込めて歌う。
「やめろ!」
歌っているとダランベールが苦しみだした。空をよく見ると、大きな満月の周りに力強く輝く星がたくさん点在している。
どうやらフィリスの歌で魔法使いは苦しんでいる様子だった。堪らずにダランベールがフィリスに文字を飛ばすが、ヴァンがそれを切り落とす。
「邪魔するなァァ!」
ダランベールは先端が切り落とされたロッドに光を集め、刃を作る。それを大きく振り上げると、ヴァンを睨みつけた。
彼は剣を構え、振り下ろされた一撃を受け止める。どうにか弾くものの、あまりの威力に膝をついてしまった。
「叩き切ってくれる!」
もう一撃がくる。しかし、ヴァンは体勢が整い切れていない。
窮地に陥る中、ヴァンの身体をアイリスが支えた。
「もう少しです!」
「わかっている!」
どうにか整え、迫りくる一撃を受け止める。だが、先ほどよりも威力があり、ルナルト・ベルヌの剣に亀裂が入ってしまう。
絶体絶命だった。
しかし、ここにいる者達は全員諦めない。
『この出会いは奇跡。夢のような奇跡。だからこそこの想いを綴り、あなたへ伝えよう。この美しき
魔法が発動する。二人の出会いが綴られた詩と共に。
ヴァンの身体が輝き、ルナルト・ベルヌの剣ごと包み込んでいく。途端に剣の亀裂は消え、迫っていた光の刃を切り飛ばした。
ダランベールは思いもしないことに目を大きくする。ヴァンはその表情を見ることなく、胸に剣を突き立てたのだった。
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