31、星神子の姫

◆◆◆◆◆


 それから数年が経つ。


 王都で暮らす少女は、ただ楽しい毎日を過ごしていた。ちょっとうるさいけど親代わりの大好きなおじさんと共に暮らし、たくさんのイタズラをするヤンチャな女の子。それがフィリスだった。


 よくおじさんに叱られていたが、凝りもせず次のイタズラを考える。友達はというと、そんなフィリスに感心しつつも付き合ってられないと離れる始末だった。


 だんだんに人がいなくなり、暇になっていった。そんなある日、フィリスは町である少女と出会う。


「きゃあっ」

「うぎゃあっ」


 それは、いつものようにイタズラの内容を考えていた時のこと。特に周りを気にせず歩いていると、走ってきた女の子とぶつかってしまった。


 そのまま二人で倒れ、痛みを堪えて身体を起こしたその時にフィリスは自分そっくりの少女を目にする。


「え?」


 服装は違うものの、顔どころが身体は自分そのもの。だからフィリスは驚いてしまった。

 どうしてこんなにもそっくりな人がいるのか。そんなことを考えていると、倒れていた少女が顔を上げた。


「大丈夫です、か……?」


 二人は混乱した。どうして自分そっくりの女の子が目の前にいるのだろう、と。

 しかし、そんな時間はない。女の子は誰かの声が聞こえると同時に、フィリスの手を引いて駆け出した。


 一緒に走り、隠れること数分。ようやく騒ぎが落ちつき、少女は胸を撫で下ろしていた。


「一人で安心しないでよ」

「あ、ごめんなさい。どうにか逃げ切れたものでつい」

「ふーん。どこから逃げてきたの?」

「あそこです」


 フィリスは少女の指先に視線を合わせる。するとそこには王城があった。

 どうしてそんな建物に指差しているのか、と考えていると少女は名乗り始める。


「名乗り遅れましたね。私はアイリス。アイリス・ド・テランドと申します」

「それって確か、お姫様の名前よね?」

「はい。私がそのアイリスです」


 フィリスは思いもしない言葉に目を丸くする。

 名前は聞いたことあったが、まさかその人物が目の前に現れるとは思わなかった。ましてやそれが自分そっくりの女の子であるとも思っていなかった。


 あまりの驚きに呆然とするフィリスに、アイリスはちょっと不思議そうな顔をする。マジマジと見つめながら、彼女はこう告げた。


「私とそっくりですね」

「そ、そうね。あ、私はフィリスって言うわ」

「フィリス様ですか。お名前、ありがとうございます」

「様なんてつけなくていいわよ。ねぇ、ところでどうして王城から逃げ出したの?」


「ちょっとお父様とケンカをしまして。だから外に出たくなって出たのですが、追いかけられてしまいまして」

「お姫様も大変ね……」


 しかし、わからなくはない状況だった。

 王族が勝手に外出すれば、大騒ぎになる。しかも親子ゲンカでならなおさら周りが慌てるだろう。


 そう考えていると、フィリスはあることを思いつく。それはイタズラでは収まらないものだ。


「ねぇ、お姫様。よかったら私が謝っておこうか?」

「それはつまり、入れ替わるってことですか? ですが……」

「大丈夫、ちゃんとやっとくから。戻ってきた時にはもう仲直りよ!」


 アイリスは考える。だが、フィリスの言葉はとても魅力的だった。

 だからその作戦に乗る。


「わかりました。お願いしますね、アイリス様」


 物わかりがいいお姫様。フィリスはそう思いつつ、元気よく返事した。


「任せなさい、フィリス!」


 こうしてフィリスはアイリスと入れ替わり、王城へ堂々と忍び込む。しかし、待っていたのは思いもしない公務の忙しさと所作の厳しさ、そして王様に会えない日々だった。


 思い描いていた優雅な日々はそこにはなく、ただ泣きたくなる時間を過ごす。そんなフィリスを見かけてか、バアバがこんな声をかけてきた。


「お友達を作りましょうか?」


 バアバに「いいよ、いらない」とフィリスは返した。だが、気遣ったバアバはその意見を無視してある男の子を招き入れる。


 それがクロノだった。

 フィリスはクロノと会った時、少しドキリとする。なぜならよくフィリスのイタズラの被害に遭う一人だったためだ。


 しかし、クロノは気づかない。緊張のためか、いつもと雰囲気が違うためかフィリスのことに気づくことはなかった。

 それからフィリスとクロノは人が少ない時間でバアバと一緒に遊ぶことになる。そして次第にフィリスは、クロノのことを知っていく。


 楽しかった。しかしその時間はあっという間に過ぎ、終わりを告げる。


「バアバ? しっかりしてバアバ!」


 急にバアバが倒れたのだ。苦しそうに呼吸するバアバを助けようとした。懸命にできることを探し、そしてフィリスは眠っていた力を呼び覚ます。

 それは声による魔法だった。


『お願い、バアバを助けて!』


 バアバの意識が戻ったのは、その魔法が発動した直後だ。ゆっくり開かれる目にフィリスは安心する。

 だが、バアバは弱々しく笑った。


「ありがとう、でもいいんだよ」


 わかっていた。この力でもバアバは助からないと。

 わかっていた。それでも生きて欲しいと願った。


 だが、その願いは届かない。どれほど強力な能力でも、バアバの運命をねじ曲げることはできなかった。

 フィリスは己の無力さに泣く。どうしようもない運命に打ちひしがれる。


 しかしバアバは、そんなフィリスのために優しく声をかけた。


「あなたは優しい子ね。でもその力は人前で使ってはいけないよ。私よりも大切な人にお使いなさい」

「でも、でも!」

「本当に優しい子だね。そんな風に育ってくれて、嬉しいよ」


 バアバは何もかもわかっていた。

 いや、もしかしたら王城に住む人々の全員が気づいていたかもしれない。

 フィリスとアイリスが入れ替わっていたことを。たがらずっと追い出されず、見守られていたのだ。


 だが、フィリスにはわからないことがあった。どうしてそんなことをしてくれたのか、と。

 その答えを、バアバは口にする。


「私は嬉しいよ。またあなたに会えたことが。こんなにも立派で優しい子に育ってくれたことが、本当に本当に――」


 バアバは嬉しそうに笑い、泣く。

 フィリスはそんなバアバの顔を見て、悔しく思いながら泣く。

 そんな彼女を見て、バアバは微笑んだ。


「笑いなさい。魔法は感情――あなたが笑えば魔法も笑う。だから、あなたのために笑いなさい」


 フィリスはバアバの手を握り、胸に当てる。彼女は涙でぐちゃぐちゃになっているにも関わらず、笑おうとするフィリスを見て満足げにしながら息を引き取った。

 大切な人を失った。アイリスの、いや姉の帰るべき場所を守れなかった。


 そんな思いで胸がいっぱいになっていると、一人の男性がやってくる。それは新聞でしか見たことのない国王の姿だった。


「逝ってしまったか」


 国王は悲しい顔をしていた。だが同時に、穏やかな雰囲気もある。

 フィリスは国王に声をかけようとしたが、できない。それよりもバアバを失った悲しみに胸が締めつけられる。


 国王はそんなフィリスを見て、頭を優しく撫でた。


「よく頑張った。今日はゆっくりしろ」


 国王はバアバを抱きかかえ、去っていく。フィリスは追いかけようとしたが、辛すぎてできなかった。


「仲直り、できなかったや」


 フィリスは一人で遊び場となっている中庭に立っていた。誰もいないこの場所なら、思いっきり泣けると考えたためである。

 何もできなかった。自分の無力さに、フィリスは悔しさを覚える。


 何もかも引っくるめて、泣いて忘れよう。そう思っているのに、泣けない。

 悲しい気持ちになりながら、フィリスは顔を上げると満天の星空が目に入った。宝石が闇のキャンパスに散りばめられたかのようなその空は、とても美しく輝いている。

 フィリスが思わずその空に見蕩れると、誰かが声をかけてきた。


「あ……」


 振り返ると、クロノがいた。

 とても心配そうな顔をして、フィリスを見つめている。フィリスは思わず顔を隠し、溢れそうになった涙を拭った。

 一生懸命に笑顔をとりつくり、振り返る。だが、少年から放たれた言葉は優しかった。


「どうしたの? 何かあったの?」


 フィリスは泣きそうになる。だが、強情な彼女は打ち明けられなかった。

 ただ一緒に過ごし、このまま何ごともなかったかのようにしていよう。そう思った矢先に、クロノは魔術を発動させた。


 彼が発動させた魔術は中途半端なもの。何の効果もない、だけど美しい半端な魔術だった。

 だが、それはフィリスのために発動される。綺麗な詩と共に、励ましてくれる。


 だからフィリスはクロノに答えた。この力を、大好きになったこの人のために使おうと思って。

 そして、フィリスはクロノの力を目覚めさせるキッカケを与え魔法を封じた。



 これは夢。人の優しさで満ちた夢。

 戻ることのない過ぎ去った想い出である。

 その想いを胸に、クロノは立ち上がる。

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