29、月と踊る満天の星

◆◆◆◆◆


 かつてこの世界には、理に触れる者達がいた。そのほとんどが人よりも知性を持つ存在であり、人が持つ才能すらも凌駕する者達でもあった。


 人々はそんな者達のことを畏怖と畏敬を持って〈神〉と崇め呼んだ。神はそんな人々のためにあらゆる術を教え、いつしか人はその術を自分が使いやすいように作り替え、取り入れていった。


 良好な関係だった。神の手が回らない部分を人がやり、人の手には余る出来事を神が処置する。互いに協力し合い、かつて発足した神話時代はそのまま絶頂期を迎えていた。


 だが、トラブルとは些細なことで起きる。水面下で燻っていた火種はちょっとしたことで一気に燃え上がるものだ。

 その決定的なキッカケになったのが、人から魔法を扱える個体が誕生したことだった。


 その者は燻っていた人々に持ち上げられ、神に対する兵器となった。そして火種は一気に燃え上がり、火蓋が切られる。

 そして人は成し遂げてしまった。


 神から魔法を奪い取るという偉業を――


◆◆◆◆◆


 大きな月が微笑み、闇色に染まった空はクロノ達を見下ろしていた。そんな光景を背に宙へ浮かぶ魔法使いダランベールは妖しい笑みを浮かべている。

 隣にいるドラゴンが威嚇し臨戦態勢を取る中、クロノは後ろにいるフィリスに声をかけた。


「フィリス、僕から離れないで」

「う、うん。でも――」

「安心して。絶対に守るから」


 安心させるための言葉。それを聞いたフィリスは、感じたことのない頼もしさをクロノに抱いた。

 だが、だからといってこのまま守ってもらうなんて嫌だった。だからフィリスはクロノを背中から抱きしめる。


「フィリス?」

「私も戦う。だから、一緒にいさせて」


 クロノは拒絶しない。その言葉を受け入れ、ゆっくり振り返る。

 どこまでできるかわからないが、それでもできることをしたい。だからクロノはフィリスの手を握った。


「怖い目に合うかもしれないよ?」

「大丈夫、アンタがいるから」

「……わかった。一緒に生き残ろう」


 一緒に敵を見つめる。空にいる魔法使いはというと、冷めた目で二人を見つめていた。

 鼻を鳴らし、嘲笑いながら右手を広げる。途端に一つのロッドが現れ、ダランベールはそれを握り締めた。

 ロッドが振られると周囲に見たことのない文字が展開された。クロノはそれを目にし、すぐさまドラゴンに指示を出す。


「回避!」


 クロノのかけ声を聞き、ドラゴンは空へ逃げた。直後、ドラゴンがいた地面が爆発する。

 咄嗟にクロノは少女を庇い、そのまま後ろへ転がった。フィリスがケガをしないよう抱きしめ、どうにか勢いがなくなったところで彼は顔を上げる。


 目に入ってきたのは交戦するドラゴンと魔法使いの姿だった。遅れてその光景を目にしたフィリスは思わずドラゴンの名を叫んだ。


「アストラル!」


 魔法使いを追いかけ、アストラルはブレスを吐き出す。しかし、ダランベールは吐き出されたブレスに文字をぶつけ、掻き消した。

 涼しい顔をしながらドラゴンと戯れるように戦う姿に、クロノは背筋を震わせた。


「ドラゴンを相手にあんな戦い方……」

「やっぱりアストラルだけじゃあ勝てないかも。どうにかしないと!」

「わかってる。フィリス、ちょっと離れてて」


 クロノは空間に文字を記し始める。戦ってくれているドラゴンのために、その助けになるために黄金文字を書き記していく。


『熱よ上がれ。空に昇る太陽の如く高く上がれ。熱よ下がれ。海に沈む太陽の如く低く下がれ。熱は二つ。どこまでも上がり、どこまでも下がる。二つの熱よ、その息に宿れ!』


 一つの詩がアストラルに飛び込んでいく。そのまま身体の中に宿ると、ドラゴンは雄々しい叫び声を上げた。

 口に集まってくる光が赤紫色に輝く。魔法使いはそれを見た瞬間、ガードをやめた。


 吐き出されるブレスは、水面を燃え上がらせ、凍てつかせる。不思議な光景を目にしたダランベールは、すぐさまクロノを睨んだ。


「なるほど、魔法までに達している魔術か」


 ドラゴンが追撃してくる。しかし、ダランベールはその突撃を難なく躱し、アストラルに文字を飛ばした。

 アストラルは咄嗟に回避しようとする。だが遅い。そのまま背中で爆発が起き、ドラゴンは地面に叩きつけられた。


「さて、あと一つ」


 クロノは思いもしない光景に叫びそうになった。しかし、それをする前に何かが腹部に突き刺さる。

 ゆっくりと視線を落とすと、そこにはロッドがあった。浸みだしている血を認識すると同時に、痛みが広がり始める。


「なんだ、たいしたことないな」

「クロノ!」


 フィリスは思わず駆け寄ろうとする。クロノは動かない口で何かを叫ぼうとしたが、そのまま蹴り飛ばされてしまう。

 フィリスにぶつけられるように蹴り飛ばされたクロノは、どうすることもできないままフィリスと倒れた。


「しっかりして、クロノ!」


 クロノは返事をしない。いつもは強気の目をしている彼女だが、今は涙で塗れていた。

 どうしようもない運命。圧倒的な力の差。

 わかっていながらも挑んだ自分達にフィリスは後悔を抱く。


「さて、返してもらおうか。僕の魔法を」


 髪を乱暴に掴まれ、立たされる。フィリスは必死に抵抗し、迫る唇から逃れようとした。

 だが、そのことに焦れたダランベールはフィリスの顎を掴んだ。顔が動かないように固定し、ニヤリと笑った。


「ホントにいい顔だ」


 恐怖で引きつった顔。フィリスのそんな表情を見て、ダランベールは笑った。


「あまりいい趣味ではないな」


 だがその時、思いもしない声が耳に飛び込んでくる。咄嗟にダランベールはフィリスから離れようとした瞬間、何かが割って入るように飛び込んできた。


 右腕が飛び、どこかへ転がっていく。魔法使いは思わず切り飛ばされた右腕を押さえると、ある人物の姿が目に入る。


「お前は最悪だ。女を泣かせるのは特にな」


 精悍な顔つきをした黒髪の少年。手には一つの剣があり、優しく月の光を反射している。

 それを目にしたダランベールは、憎々しく睨みつけていた。


「ヴァン!」


 フィリスは少年の名前を叫ぶ。名前を呼ばれたヴァンは、振り返ることなく剣を構え彼女に言い放った。


「足留めをする。そのバカをどうにかしろ!」

「で、でも――」

「お前しか頼れん。頼むぞ!」


 ヴァンは駆ける。ダランベールは舌打ちをし、ロッドを振った。しかし、飛び込んできた文字はヴァンが持つ剣によって断ち切られる。

 ダランベールの顔が曇った。ヴァンはその表情を見てもお構いなしに突撃する。


「あれは確か、ルナルト・ベルヌ。なんであんなものがここに……」

「私が給わせました」


 フィリスは声が聞こえた方向に振り返る。そこにはアイリスの姿があった。

 ドラゴンが心配げにクロノを見つめる中、アイリスは彼女に声をかける。


「彼にとって天敵ともなる封魔の剣です。ですが、それだけでは太刀打ちできません」

「だけど、姉様。私の魔法は――」


 フィリスが何かを言いかけた瞬間、アイリスが微笑む。そしてその手を取り、優しく囁いた。


「大丈夫、消えてなんていませんよ。ただちょっと、あなたが怖がっているだけ」


 その言葉は全てを見抜いていた。

 そう、フィリスは気づいていた。ただ使うのが怖かっただけだと。

 気づきながらも使えなかった。だから王族でなくなったのだと。

 だが、それはもうおしまいだ。


「ここにはあなたを利用する人はいません。あなたの優しさにつけ込む人も、ね。だから、怖がらなくていいのです」


 今こそ、封じていた魔法を使う時だ。

 フィリスはそう促され、決意を固める。ゆっくりと深呼吸をし、倒れているクロノのために祈りを捧げ、そして口を開いた。


『お願い、私の大好きな人を助けて!』


 優しい光がクロノを包み込む。

 木漏れ日が溢れていく中、この世界に星が広がった。

 それは次第に数を増やし、満月に負けないほどの輝きを放つ。


「ガァアァアアアァァァァァッッッ!!!」


 光が溢れ、ドラゴンが咆哮を上げる。

 途端にクロノは目を覚まし、立ち上がった。

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