26、月神子の姫

◆◆◆◆◆


 温かい。


 少女が目を覚ました時、なぜかそう感じた。どうしてそんな温かみを感じたのかわからないが、不思議とずっと包まれていたいと思ってしまう。


 ふと、目に見慣れない少年の姿が飛び込んできた。精悍な顔つきで、鍛錬しているためかガッチリした身体つきだ。

 黒い髪がなびく中、少年は少女に目を向けることはない。しかし、少女は気づいた。自分の身体を彼が抱きしめていることに。


 不思議な温もり。その源を知った少女は再び目を閉じる。


 もしかしたら英雄騎士様かもしれない。

 違ったら、ううんそんなことはない。


 そんな風に考え、ちょっと嬉しそうに微笑みながら少女は眠りについた。


◆◆◆◆◆


 それは、とんでもない出来事だった。見ていたクロノは呆れ、ジャクシオはというと驚愕のあまりに顔を引きつらせている。

 これは笑えばいいのか、と考えつつ口づけを終えたヴァンにクロノは近寄った。


「ヴァーン」


 堅物の少年に声をかけた瞬間、クロノはギロリと睨みつけられる。その視線は殺意で満ちており、見られただけで命を奪い取られそうな勢いだった。


 なぜそんなに殺意を満ちあふれさせているのか。

 クロノはそう問いかけようとした瞬間、ジャクシオが飛び込んできた。


「お、おおおおお、お前ぇぇぇぇぇ!」


 襟首を掴まれ、頭をブンブンと振られるヴァン。その姿はちょっと面白く、クロノはつい笑ってしまいそうになる。

 しかし、ジャクシオの顔は血相をかいていた。あまりの焦りように、さすがのクロノもおかしいと感じ始める。


「何するんですか、団長」

「何するじゃない! お前なんてことしてくれたんだ!」

「なんてことって、俺はフィリスに――」

「その方はフィリスじゃない!」


 ジャクシオの言葉にヴァンが頭を傾げた。クロノはというと、まさかと思い顔を覗き込んだ。

 ジャクシオは状況を把握できていないヴァンに頭を抱える。

 仕方なく団長はヴァンのために重々しい口を開いて少女の正体を明かした。


「その御方はアイリス王女だ。フィリスじゃあない」

「ハッ?」


 思いもしない名前が出てきてヴァンは目を点にした。一体どういうことかわからず、思わず抱えている少女に目を落とす。

 気持ちよさそうに眠っている少女。その顔も髪の色もフィリスそのものだ。しかし、よく見るとフィリスにはないホクロが目尻にある。


 ただそれだけの違い。しかしそれが大きな違いとなる。


「この人はフィリスではないんですね」

「そうだ」

「つまり俺は、アイリス姫とキスをしたということですか?」

「そういうことだ」


 ジャクシオが力強く頷く。それは嘘偽りのない返事でもあり、ヴァンが頭を抱える原因となった。


 どうしてこうなったのか、と考えるヴァン。そんなヴァンにジャクシオが詰め寄った。


「責任を取れぇー!」

「どう取れというんですか! どうしようもないでしょ!」

「いいから取れ。何が何でも取れ。絶対に取れぇー!」


 ヴァンは困る。どうしようもないと思いながら頭を抱えていた。

 そんな彼からクロノは視線を外し、ジャクシオにあることを訊ねる。それはフィリスの行方だ。


「団長、フィリスはどこにいますか?」

「知らん。たぶんどこかに隠れているんじゃないか?」

「無責任な。彼女も守らないといけないでしょ!」


 クロノの言葉を受け、ジャクシオの顔が変わる。その表情は先ほどとは違う冷静な驚きだ。


「お前、まさか気づいたのか?」


 クロノが口を開こうとした瞬間、王城から大きな音が響いた。全員が反射的に振り返ると、とある窓から煙が上がっている。


「あれは――」

「先生、いや国王の部屋だ……しまった!」


 ジャクシオは慌てて王城へ向かい始める。何が起きたかわからないクロノとヴァンは、その場に置き去りとなった。


「国王の部屋から煙って……」

「何かあったのは間違いない。もしかして副団長か?」

「でもどうして国王を襲撃したんだ?」

「必要だったからだろ」


「どうして必要だったんだよ?」


 二人は考える。しかし、どんなに考えてもその必要性がわからなかった。


「それは封印された魔神が復活するための鍵を、私達が持っているからです」


 聞き慣れた、だけど丁寧な口調が耳に入ってくる。目を向けると、先ほどまで眠っていたアイリス王女が二人を見つめている姿があった。


 二人は思わずかしこまりそうになる。だが、アイリスは「楽にしてください」と声をかけた。


「残念ながら私の持っていた鍵は奪われてしまいました。もし残り二つの鍵を奪われれば、大変なことになります」

「もしかして、それを国王とフィリスが持っているんですか?」

「はい。さらによろしくないことに二人は一緒にいます」


 悪いことは立て続けに起きる。ヴァンが頭を痛そうにし、額を抑えた。しかしクロノはそんなことをせず、ジャクシオを追いかけるようにとドラゴンに指示した。


「待て、クロノ!」

「ごめん、待ってられないよ!」


 ヴァンの言うことを聞かず、クロノはドラゴンと共に空を翔る。ヴァンも追いかけようとしたが、アイリスに「いけません!」と止められた。


「すまない。今は安全な場所になど――」

「安全な場所なんてありません。敵は、私の魔法を奪ったのですから」


 思いもしない言葉にヴァンは顔を向けた。アイリスはそんな彼のために簡単に説明する。


「魔法は魔術と比較にならないほど強い力を持ちます。おそらくジャクシオでも太刀打ちできないでしょう」

「だからどうしろと?」

「逃げてください。そして機会を伺い――」

「悪いが断る」


 ヴァンがそう答えると、アイリスは驚いた顔をした。どうして、と見つめて問いかけてくる王女に彼はこう返事する。


「放っておけないバカがいる。そいつを残して逃げるほど、俺は頭はよくない」

「ですが」

「大バカの面倒を見れるのは同じ大バカだけだ。逃げたければ一人で逃げてくれ」


 そう、クロノを置いて逃げる選択肢なんてヴァンにはなかった。だからこそ、無茶をして飛び込んでいった相棒を追いかける。

 アイリスはそんな選択をしたヴァンに、言葉を失った。だが同時に、自分に欠けていたものが何なのか気づく。


「私が愚かでしたね」


 ヴァンの腕の中、アイリスは決意に満ちた目を向ける。そしてその手を取り、ヴァンにこう告げた。


「行きましょう。あなたの友と、私の家族を守るために」


 ドラゴンは高らかに雄叫びを上げる。これから始まる戦いに向け、二人を鼓舞するかのように。


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